表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/38

3話: 観察眼

研究棟から出たのは、夕方になってからだった。


アルフレッドとの議論が長引いた。魔力増幅理論の最終段階に入り、細部の検証に時間がかかっている。

それでも手応えはある。あと少しで、理論は完成に近づく。


廊下に出ると、夕陽が窓から斜めに差し込み、石床をオレンジ色に染めていた。

長い影が伸び、足音が規則正しく響く。


その上級生とすれ違ったのは、研究棟から寮へ向かう廊下の途中だった。


一度見れば忘れない、という印象の人間がいる。その上級生はそういう顔をしていた。

鋭い目が、常に何かを観測している。感情を表に出すでもなく、他者に関心を持つでもなく、ただ通り過ぎていく。

他の生徒と談笑しているのを見たことがない。いつも一人で、何かを測るように歩いている。


すれ違った瞬間、その上級生の足が止まった。


振り返る気配はない。ただ、廊下の真ん中で立ち止まり、少し間があった。


「一つ、確認していいかい」


問いでも命令でもない声音だった。抑揚が薄く、ただ言葉だけが空気を震わせる。


「……何だ」


「君が魔術を使った後の残滓、観測したことがある。先週の実技だ」


レンの呼吸が、わずかに浅くなる。表情は変えない。


「君のは、揺らぎ方が他と違う」


注意深く観察している目だ、とレンは思った。感情がわかりにくいというより、感情より先に分析が走っている。

今もそうだ。レンを見ているのではなく、レンという現象を観測している。


「他の生徒のマナ残滓には、それぞれ癖がある。魔力の質、放出の癖……術者によって全部違う。生きているマナには、揺らぎがある。一定ではない」


上級生が少し首を傾けた。言葉を選んでいる、というより、まだ自分の観測を整理しているような間だった。


「周期が、妙に一定だ。生体マナにしては、機械的すぎる。それと……わずかに、外側から来ている気がする」


断定ではなかった。疑問を、そのまま声に出しているだけだ。

確信があるなら、もっと直接的に問い詰めてくるはずだった。

これは報告だ。自分の観測結果を、当事者に伝えている。


「気のせいじゃないか」


レンが答えると、彼はわずかに目を細めた。


「かもしれない」


あっさりと認める。


「観測精度に限界はある。外側から、というのも、正確な表現じゃない可能性がある。ただ——」


「ただ?」


「同じ現象を、もう一度観測したい」


それが目的だった。追及でも告発でもなく、ただ再観測がしたい。

知的好奇心が、他のすべてより先に来ている人間の言葉だった。


「……好きにしろ」


「ああ、そうさせてもらうよ」


上級生が歩き出す。その背中に、レンは声をかけた。


「名前は」


「ノエル・ハイデッカー。三年だ」


振り返らずに答え、廊下の奥へ消えていった。足音が遠ざかり、角を曲がり、やがて聞こえなくなる。


レンは、その場に立ったまま動かなかった。


夕陽が傾き、廊下の影が長くなっていく。窓の外では木々が風に揺れ、葉が擦れ合う音が静かに届いていた。


(外側から来ている)


星光石の放出パターン。環境中のマナを吸収し、再放出する仕組みだ。生体マナとは厳密に異なる。

その違いを、ノエルは感覚で拾った。証拠ではない。確信でもない。だが、最も危険な種類の「疑い」だった。


論理的な証明に近づいているのではなく、正しい方向を向いた勘が、核心の輪郭を捉えている。


証拠のない疑いは、反証もできない。


レンは歩き出した。靴音が石畳に響き、夕陽の中に長い影が伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ