4話:星は冷たく、炎は遠く
レンは寮への道を歩いていた。
靴音が石畳に規則正しく響き、夜の冷気が頬を撫でていく。星が瞬き、その光が道を白く照らしている。だが、その光は冷たく、影を濃くするだけだった。
胸の奥に、重たいものが沈んでいる。
セラフィナの涙。震える声——「好き」という言葉。それらが頭の中で繰り返され、消えようとしない。
レンは立ち止まり、空を見上げた。無数の星が輝き、冷たい光を放っている。息を吐くと、白い霧が立ち昇り、やがて闇に溶けていった。
レンは歩き出す。寮の門をくぐり、階段を上り、自室の扉を開ける。鍵を閉め、窓辺に立った。星明かりが部屋を照らし、机の上の本を白く浮かび上がらせている。
レンは胸元の布袋に手を当てた。星光石が微かに温かい。マナを吸収し、放出し続けている。
レンは窓を開けた。冷たい風が吹き込み、カーテンが大きく揺れる。部屋の空気が一気に入れ替わり、肺に冷たさが満ちていった。
セラフィナの「魔術は美しい」という言葉は、本当だったのだろうか。
「私も道具じゃない」という気づきは、本心だったのだろうか。
それとも、すべて演技だったのか。
彼女自身もわからないのだから、自分にわかるはずがない。
でも、彼女の笑顔には、いつも嘘が見えなかった。心からの、純粋な喜びが溢れていた。刻印に操られていたとしても、その瞬間の感情は本物だったのかもしれない。
だが、それがどうした。
結局、彼女は血統を求めている。自分を、人として見ていない。その事実は変わらない。
レンは窓を閉め、外の音を遮断した。
ベッドに横になり、天井を見つめる。木目が星明かりに浮かび上がり、複雑な模様を描いていた。
翌朝、レンは図書館へ向かった。
廊下を歩きながら、窓の外を見る。中庭では、生徒たちが魔術の訓練をしていた。笑い声が聞こえ、光が飛び交っている。
図書館の扉を開けると、ミラベルがいつもの席で待っていた。ノートを広げ、何かを書き込んでいる。その横顔は真剣で、ペンを走らせる手が規則正しく動いていた。
「レン」
ミラベルが顔を上げ、笑顔を見せる。その笑顔は純粋で、打算がない。朝の光を受けて、どこか透明に見えた。
「おはよう。今日のデータ、楽しみにしてたの」
レンは席に座り、ノートを開いた。研究が始まる。データを見て、議論し、新しい仮説を立てる。この時間だけは、レンは自分を忘れることができた。純粋な知的好奇心だけが、そこにある。
「ねえ、レン」
ミラベルは、グラフを指差しながら、目を輝かせていた。
「この結果、すごく面白いわ。マナの放出パターンが、詠唱の種類に関わらず一定なの」
彼女は自分の発見を、まるで宝物のように語る。
数時間後、二人は一区切りをつけた。窓の外では、陽光が強さを増している。
「今日も、ありがとう」
ミラベルが微笑む。ノートを閉じ、丁寧にペンを仕舞っていた。
「こちらこそ」
レンが答えると、ミラベルは少し首を傾げた。
「レン、何かあった?」
「え?」
「なんだか……いつもと違う気がして」
表情を変えていないつもりだったのに、彼女には何かが伝わったらしい。
「……いや、何も」
「そう……」
ミラベルは、それ以上追及しなかった。ただ、心配そうな顔でレンを見ている。青い瞳が、じっとこちらを見つめていた。
「もし、話したくなったら……いつでも聞くから」
その優しさが、レンの胸に染みた。彼女は何も知らない。セラフィナのことも、自分の秘密も。それでも、ただ友人として心配してくれている。
「ありがとう」
レンが立ち上がると、ミラベルも頷いた。
「また、明日」
「ああ」
数日後、レンは研究室でアルフレッドと会った。
魔力増幅理論の最終確認をするためだ。机の上には、これまでの研究成果がまとめられた資料が積み上げられている。
「レン、調子はどうだ?」
アルフレッドが明るく声をかけてくる。いつもの笑顔で、資料を整理していた。
「……普通だ」
「そうか」
アルフレッドは、レンの様子を見て何かを感じ取ったようだったが、何も言わなかった。ただ、資料を広げて議論を始める。その配慮が、ありがたかった。
二人の研究は順調だった。アルフレッドがペンで図を描き、レンが修正を加える。息の合った共同作業が続いていく。
「これで、魔力が少ない術者でも強力な魔術が使えるようになる」
アルフレッドが満足そうに言う。
「お前のおかげだよ、レン」
「お前との議論があったからこそだ」
レンが答えると、アルフレッドは笑顔を見せた。その笑顔は屈託がなく、純粋な喜びに満ちている。
「俺たち、いいコンビだな」
「そういえば」
アルフレッドが話題を変える。ペンを置き、窓の外を見ながら呟いた。
「セラフィナを最近見かけないな。お前、何か知ってるか?」
その名前を聞いて、レンの胸が痛んだ。呼吸が一瞬止まり、視線を資料に落とす。
「……いや」
アルフレッドは、それ以上何も聞かなかった。ただ「まあ、訓練が忙しいんだろうな」と呟き、また資料に目を戻す。
押し込もうとして、できなかった問いが胸の底に沈む。知らないままでいい。知られるたびに、俺はまた一つ嘘をつく。
研究が終わり、二人は研究室を出た。廊下に出ると、夕陽が差し込んでいた。
「また明日」
アルフレッドが手を振り、去っていく。その背中は、いつもと変わらない。明るく、前向きで、何も知らない。
レンは、その背中を見送った。
夜、自室でベッドに横になり、天井を見つめる。まだ答えは出ない。あれは本心だったのか、自分はどうしたいのか。考えても、結論は出ない。
目を閉じると、夢の中で青緑の炎が揺れていた。
そして、その隣に、赤い炎が燃えている。二つの炎は、触れ合うことなく、ただ並んで揺れていた。




