シーン3:異界の法則
魔力測定から、一年が経った。
レンは六歳になっていた。屋敷に軟禁され、敷地の外には出られない。兄弟たちは学院へ通い始めた。馬車の音が遠ざかるたび、窓辺で立ち尽くしていた。
石造りの屋敷は音を吸い込み、ざわめきすら重く沈んで響く。窓から差し込む光は床に幾何学的な影を落とし、レンの孤独を照らし出していた。
取り残されたのは、俺だけだ。
だが――それは好都合だった。誰にも観測されない。誰にも干渉されない。庭の隅、誰も来ない場所で、レンはこの世界の植物と鉱物を採取し、分析を続けた。
目標は一つ。十歳までに、何か「価値」を示す。魔力がなくても、科学でこの世界を生き抜く――そう決めたのだ。
だが、最初の試作は爆ぜた。閃光。乾いた破裂音。石片が弾け、頬を掠める。手の甲に焼けるような痛みが走り、皮膚が赤く膨れ上がった。その夜、ひとりで頬に触れながら、笑えなかった。痛みより、誰にも見せられないという事実が、じわりと胸に沁みた。
ほんの少し、計算を誤っただけだ。魔力の代替として使った振動共鳴は、臨界を超えると一気に暴走する。前世と同じだ。制御を誤れば、すべてを破壊する。
レンは机に手をつき、呼吸を整えた。失敗は理論ではなく、実装の甘さだ。それでも諦めなかった。
ある朝、レンは採取した白い結晶を見つめていた。
この世界の温泉地で見つけた鉱物で、地球でいう硝酸カリウムに似た成分を持つ。これと硫黄、木炭を混ぜれば——黒色火薬の原理で燃焼反応が起きるはずだ。
レンは慎重に配合する。比率を調整し、少量だけ。失敗しても大きな音が出ないように。そして火打ち石で火花を散らす。
ボフッ
小さな炎が立ち上った。短いが、確かな燃焼。
「……成功だ!」
これなら"魔法"に見える。
希望が、芽生えた。
一年後、レンが七歳になった頃には、酸化還元反応を利用した「瞬間発熱剤」の開発に成功していた。特定の金属粉末と、この世界の鉱物を混ぜたものだ。水と反応すると激しく発熱する。レンはこの粉末を小瓶に詰めた。
「これを使えば……熱を、即座に発生させられる」
だが問題があった。発熱だけでは誰も驚かないだろう。それでは"価値"にならない。もっと、視覚的にわかりやすい現象が必要だ。
さらに一年後の春、八歳になったレンは新しい実験に取り組んでいた。その時、廊下の足音に思わず動きを止めた。おそらく侍女だ。扉の向こうで立ち止まり、何かを探る気配がする。扉に影が止まり、ノブがわずかにきしむ音がした。
(まずい、入ってくるのか……!?)
室内の微振動を急いで止める。心臓が激しく跳ねる。ほんのわずかでも怪しい動きをしたら――しかし、足音はやがて遠ざかっていった。レンは息を吐いた。
(危なかった……)
こういう瞬間が、一番堪える。失敗するより、誰かに近づかれるほうが恐ろしかった。
安堵したところで、実験を再開した。目標は「光を発する」化学反応。地球ではルミノール反応やケミカルライトがある。この世界でも、似た現象を起こせるはずだ。レンは様々な植物の樹液を採取し、分析する。ある夜光性の苔、その成分を抽出する。そして発熱剤と組み合わせた。
試してみる。水を一滴。
ジュッ!
発熱。そして――淡い青白い光が生まれた。
「……!」
レンの目が見開かれる。
「これだ……! 光る……! これなら、魔法に見える!」
九歳の秋を迎える頃には、レンはさらに研究を進めていた。
光る化学反応だけでは弱い。もっと派手で、わかりやすい現象が必要だ。
例えば……炎。だがただの炎では面白くない。
では、色のついた炎なら? レンは金属塩の知識を思い出す。銅塩を燃やせば緑色の炎。ストロンチウム塩なら赤色。バリウム塩なら黄緑色。この世界にも、似た鉱物があるはずだ。
レンは屋敷の倉庫をこっそり探った。そして見つけた。青緑色の鉱物。銅を含んでいるようだ。これを粉末にして、燃焼剤に混ぜる。
試しに火をつける――
ボッ!
炎が立ち上る。そして炎の色が変わる。
「……成功だ!」
青緑の炎、誰が見ても魔法だ。レンの心が躍った。
やがて冬が訪れ、十歳の誕生日が近づいてきた。あと数ヶ月で、父から与えられた猶予の期限が来る。レンは庭の隅で最終確認をしていた。手のひらに粉末を乗せる。発熱剤と発光成分を混ぜたもの。水を一滴――
ジュッ!
青白い光が手のひらから立ち上る。
「よし……」
次に、燃焼剤に銅塩を混ぜたものに火をつける――
ボッ!
美しい。理論が導き出した、幻想的な炎だ。
「完璧だ……これなら、父を欺けるかもしれない」
レンは何度も練習する。詠唱の演技。手をかざす仕草。タイミング。すべてを完璧にする。
誕生日の一週間前、レンは部屋で考えていた。
父の前で「価値」を示さなければならない。父はこれを"魔術"と認めるだろうか。もし見抜かれたら? その瞬間、すべて終わる。軟禁どころでは済まないかもしれない。俺はアステリア家にとって、ただの無価値な存在になる。
だが――準備はできている。あとはそのときを待つだけだ。
そして、三日前の夜明け前、霜が庭を白く覆っている早朝、レンは庭で最後の練習をしていた。誰もいない時間帯。色つきの炎。青緑色の美しい炎が、レンの手のひらから立ち上る。
「炎よ、我が手に宿れ」
本来なら必要のない詠唱を、あえて口にする。演技として、それらしく。古式に則った響きを意識し、抑揚を整え、荘厳さを纏わせる。掌の上で炎が揺らめく。制御は問題ない。むしろ滑らかすぎるほどだった。
「よし……これで……」
偽装としては十分だ、と内心で確認しかけたその時だった。
「……何をしている」
低い声が背後から落ちた。
血の気が引く、という表現が比喩でないと知る。背筋を冷たいものが走り、指先の感覚が遠のく。四年分の試行錯誤と調整、慎重に積み重ねてきた“普通らしさ”が、一瞬で崩れ落ちる音がした気がした。
炎がわずかに揺れる。意識を持ち直し、収束させる。動揺を見せるわけにはいかない。
おそるおそる振り返る。
霜の白さの向こうに立っていたのは――アステリア公爵、父だった。




