1話:魂の再定義
白光が消えた。
その後に何が起こったのか、蓮には順序が分からなかった。感覚の喪失という言葉も、正確ではない。
感覚が「ない」ことを知るためには、感覚が「ある」状態との比較が必要だ。その比較基準そのものが存在しなかった。
それでも、何かが──確かに「在る」ということだけは、蓮に理解できた。
どれほどの時間が経ったのか、蓮には測る手段がなかった。目安となる変化は何一つとして存在していない。
時間とは、本来は事象の前後関係で定義されるものだが、今の自分を取り巻く世界には変化がない。
ならば、時間という概念すら適用できないと──そう、蓮は理解した。
この理解が、意外にも彼の胸を落ち着かせた。
何も変わらない世界の中で、ただ自分の存在だけがそこにある。それだけで、心の奥が穏やかに揺れるのを感じた。
遠くに光が見えた。
小さく、温かい何かが、静かに近づいてくる。あるいは、自分が引き寄せられているのかもしれない。
どちらなのかを確かめるための参照点はなく、レンは仮説すら立てられずにいた。
判断がつかないまま、光がゆっくりと彼を包み込む。
やがて、音が聞こえた。
ドクン、ドクン、ドクン、と。
規則的な振動だ。周波数から推測するに、成人の安静時の心拍よりは遅いが、乳児の心拍よりは速い。
何かの内側にいる。その仮説が、一瞬のうちに形を成した。
その後で、蓮はその仮説が示す意味を、ようやく理解した。
温もりがある。閉じられた圧力がある。そして、自分の外側に、確かに別の存在の拍動を感じる。
死後に意識が残るという証拠は、どこにも存在しない。
虚数態物質が神経系の末端まで干渉し、感覚を再構成している可能性を考えたが、この閉じた感触は、幻覚にしては情報量が多すぎる。
幻覚は通常、中心的な感覚だけが精細で、周縁が不鮮明になる。今感じているのは、その逆だ。
『転生』
その言葉が浮かんだのは、他の仮説がすべて不十分だったからだ。非科学的だと分かっていた。
分かった上で、それ以外の説明が見当たらなかった。
俺は今、別の存在として観測されている。それだけは、観測事実として成立する。
意識はまだ、消えていない。
なぜ記憶が保持されているのか。虚数態物質が意識の情報構造に何をしたのか。
問いは立てられたが、答えは出ない。答えが出ない問いを保留することは科学者として正常な判断だった。
やがて、外側から冷たい空気が入ってきた。
外側に世界があると確信したのはその瞬間だ。自分の境界が、急に明瞭になった。
声が聞こえる。
女の声だった。しかし、その声には、母と呼ぶにはどこか合わない質感がある。
感情の起伏はなく、発音には均一さがあった。祈りではなく、手順の読み上げに近い抑揚で、言葉が続いた。
「この御子に……いかなる魂が降ろされたのでしょう」
蓮は聞きながら、仮説を組んでいた。
「前の生において、いかなる歩みをなさった御方なのか……」
「その記憶の灯を、この御子の内に……」
「どうか……天より賜りし叡智を、この御子にお与えください」
前生の記憶を恩寵として祈願する信仰体系。この社会に、そういう教義が存在する。
そして今、その教義の通りに自分が存在している。
偶然なのか、儀式が何らかの形で機能しているのか、虚数態物質が宗教的儀礼と干渉したのか——断定するには情報がまだ足りない。
「レン……と、名付けましょう」
その一語が着地するまでの時間を、後から正確に思い出すことができなかった。
言葉は届いた。意味も分かった。
しかし、「自分に向けられた言葉」であるという認識が、そこから少し遅れた。
レン、前世と同じ響きを持つ名だった。
偶然なのかどうか、今のレンには分からない。
この女性が祈った言葉の中に、前世の自分の名が含まれていたのか――あるいは全く別の起源でこの名がここに存在するのか。因果を辿る手段が存在しない。
やがて、意識が輪郭を失い始めた。
手の内にあったはずの問いの群れが、掴み直す間もなく指の隙間から零れ落ちていく。
それ以前に、掴むための手がどこにあるのかも、もう分からなかった。
彼は『レン・アステリア』として、この世界への登録が完了した。
名が同じであることの意味を、彼が深く考察するのは、まだ先のことになる。




