1話:それぞれの温度
図書館の窓際、いつもの席でレンとミラベルは向かい合っていた。
「このパターン、興味深いわ」
ミラベルがノートを指差す。そこには、マナ消費の変動を示すグラフが描かれていた。
「詠唱の速度を変えても、マナの放出速度は一定に保たれている」
「ああ」
レンが頷き、自分のノートにメモを取る。
「つまり、身体が意識よりも先に最適化を学習している。運動学習の理論と一致する」
ミラベルの研究は、この数ヶ月でさらに深まっていた。様々な術を試し、その都度データを取り、パターンを分析する。レンはそれを理論化し、アルフレッドとの共同研究にも応用していた。
すべてが、繋がっていた。
「ねえ、レン」
ミラベルが顔を上げる。
「この研究、本当に役に立ってる?」
「ああ、間違いなく」
レンが即答すると、ミラベルは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。私、誰かの役に立てることが嬉しいの」
その笑顔は純粋で、打算がなかった。何も求めてこない。ただ、自分の能力を理解したいと思っているだけで、『レン・アステリア』には一切の興味がない。だから、レンはミラベルといると安心感があった。
「お前の研究は、多くの人の役に立っている」
ミラベルは頬を染めた。
「ありがとう」
二人の研究は、静かに続いていく。
一方で、セラフィナとの関係は、どことなく、ぎこちないままだった。
ある日の午後、レンは訓練場でセラフィナと会った。彼女は相変わらず的に向かって火炎弾を放ち、完璧に命中させている。制御は、さらに向上していた。
「レン」
セラフィナがレンに気づき、歩み寄ってくる。その足取りは、以前ほど軽くない。
「久しぶりね」
「ああ」
レンが短く答えると、セラフィナは少し寂しそうな顔をした。
「最近、あまり会わないわね」
「忙しかったからな」
「……そう」
沈黙が落ちる。以前なら、すぐに会話が続いたはずだ。
「訓練、続けてるのか?」
「ええ。あなたが教えてくれた効率化、すごく役に立ってる」
「そうか」
「でも……」
セラフィナが言葉を切る。何か言いたげに、でも言えない様子だった。
「何だ?」
「……いえ、何でもないわ」
セラフィナが首を振る。
二人はしばらく黙って立っていた。風が吹き、木の葉が乱れて落ちる。石畳の上に落ちた葉が、風に押されてゆっくりと転がっていく。
「私、訓練に戻るわ」
セラフィナが小さく呟き、訓練場の中央へ戻っていく。その背中を見送りながら、レンは複雑な気持ちになった。
一方、アルフレッドとの関係は変わらなかった。
研究室で、二人は魔力増幅理論の最終段階に取り組んでいる。ミラベルから学んだ効率化の概念を組み込み、理論はほぼ形になっていた。
「これで、魔力が少ない術者でも強力な術が使える」
アルフレッドが資料をまとめる。紙の端を揃え、静かに息を吐いた。
「お前のおかげだよ、レン」
「いや、お前との議論があったからこそだ」
短い沈黙のあと、二人は視線を交わす。
魔力の総量に依存しない術式構築。出力を底上げするのではなく、損失を削る。理論は単純だが、応用範囲は広い。
ここでは血統も家名も関係ない。必要なのは計算と検証だけだ。
その事実が、レンをわずかに落ち着かせていた。
だが、そのバランスは、やがて崩れることになる。




