時を止めた駄洒落とラーメン
「……鬼の居ぬ間に洗濯できればいいんだがなぁ」
機械仕掛けの塔で、私以外の時間は静止していた。
ステンドグラスの向こうには、灰色の穹が広がっていた。
「せっかくの縮れ麺が、うんともすんともいわないや」
麺は空中に縫い付けられたようだった。鍋からあと数センチのところで宙に浮かんだままだ。
「そんなに私の冗談は寒いのか?」
リゼルは蝋人形のごとく絹張りの椅子に腰掛けていた。額に我が故郷の文字を書きつけた。
「……しゃぶしゃぶ鍋ならこの刻印であろうに」
まあ私は世代じゃないんだがな。近くの魔導学院では月末に肉を賭けて全生徒が争うと聞いた。
――この時計、ほっとけい
彼女を笑わせようと披露した渾身の駄洒落であった。まさか時間が凍るとか思わなかった。
「どうすればいいんだ? 爆笑を取るしかないのか?」
それは事態を悪化させるであろう危険な罠である。我が主君に悪戯書きした瞬間に空気が重くなったのだ。
――こんな時どんな顔をすればいいか分からないの
脳裏を生前の記憶が掠めた。笑いを噛み殺した。むせている場合ではない。
ふと黒檀のテーブルを見やると、中央に見慣れぬ砂時計が置かれていた。妖しく明滅している。
「小僧! お主、それでもお笑い芸人か! 風上にも置けぬわ」
喋ったのは時計である。リゼルの口元は閉じたままだった。
「いや、拙者は芸人ではござらん。これでも調理師だ」
口調が変わってしまった。あの時計には人を惹き込む何かがあった。
「ほお? ならば、その腕前を証明してみよ」
やたら甲高く耳障りな声である。目覚まし時計にはいいかもしれない。
「……それはどのように?」
私が問いかけると、奴は卓上から転がり落ちた。そしてみるみるうちにビロードの外套をまとった貴族へと姿を変えたではないか。声音に不似合いな黒髪の優男だった。
「ワシに旨い飯を食わせろ。果たせばこの部屋を元に戻さんでもない」
ここに女将がいないのは僥倖なのだろう。もとよりリゼルを巻き込むつもりはなかった。
「鍋と火を元通りにしていただけます?」
彼が指を弾くと麺が静かな音を立てて湯の中に飛び込んだ。
自然に緩むのを待って、麺を菜箸でほぐしていく。その後三分間茹でなければならない。
「……すいません、三分計ってくれます?」
「造作もないことよ」
時計だからな。鼻持ちならない態度を気にしても仕方ない。
ブリキ缶から鶏ガラスープの粉末を熱めの湯に溶かし、干し肉を細かく刻み、乾燥香草のみじん切りと和えた。
「……ほう? 変わった料理を食べさせるつもりだな?」
「故郷の味です。お口に合えばいいのですが」
彼は何も言わなかった。ただ虚空を見つめているようだった。
「時間だ」
彼はテーブルで待つと、エプロンを着けて料理を出すよう促した。どこから取り出したのだろうか。
素早く湯切りをして、丼に盛り付けた。スープを注ぎ、かやくを散らした。
「できました。どうぞ」
檜の盆にラーメンを載せて彼の元へと運んでいった。
「ふむ、これを使うのだろう?」
世俗の事情には通じているらしかった。自分専用の箸を持っていた。
「はふっはふっ! この麺の喉越し! やるではないか」
麺が伸びないように茹でるのはなかなか難しい。本当に納得のいく固さになったことは片手で数えるほどだ。
「どうでしょうか? 再び時を進めて頂けませんか?」
「いいだろう。料理のできるお笑い芸人よ。約束は守ろう」
スープは既に飲み干したらしい。するとどうだろう。この部屋に蜃気楼が漂った。
◇
「ボーア! ボーア!」
リゼルが私の顔を覗き込んでいる。自室の寝台から起き上がることはできなかった。
「……リゼル?」
「塩の取りすぎ。お夜食は控えなさいと言ったはずよ」
そうだった。このところ台所の貯蔵庫から夜な夜な盗み食いをしていたのだった。
だが――
麗しの我が主上よ、その額の「肉」は何だろうか。恐ろしくて聞けない。
「どうしたの? 怒ってないよ? 年頃の男の子ですものね」
顔が笑っていない。目元が虚ろで瞳に光がなかった。
「リゼル、故郷ではおめでたい入れ墨なんだ」
「ふーん? なら貴方のそれもずっと取れないわね」
渡された手鏡に、冴えないボサボサ頭の私の顔が映っていた。
額に刻まれた文字は――
「草」




