第9話 真実の愛は、証拠を持って裏切り合います
第9話 真実の愛は、証拠を持って裏切り合います
ジェラルドがアルヴェイン侯爵邸を訪れた翌朝、白い離宮では夜明け前から馬車の支度が進められていた。裏庭の百日草には朝露が残り、厩舎の屋根から雫が一滴ずつ干し草へ落ちている。御者は眠そうに欠伸をしながら、行き先を知らされないまま、二頭の馬へ旅用の鞍をつけていた。
ミレーヌは焦げ茶色の旅行着に外套を重ね、大きな衣装箱を三つも馬車へ積ませた。国外へ逃げるだけなら着替えは数枚で足りるはずだが、絹のドレスも羽根飾りも置いていけなかった。侍女が箱の一つを持ち上げようとして腰を押さえると、蓋の隙間から真珠の首飾りが一瞬だけ覗いた。
「ミレーヌ様、本当に御旅行なのですか。国境へ続く街道は、会計院の監査官が見張っていると聞きました」
「旅行ではないわ。隣国で静養するだけよ。殿下も、私には休息が必要だとおっしゃっていたもの」
「ジェラルド殿下には、いつ御許可をいただいたのでしょう」
「細かいことを聞かないで。あなたも一緒に来れば、隣国で新しい服を買ってあげるわ」
侍女は返事をせず、衣装箱から手を離した。金貨五枚で嘘の証言をした侍女が告白してから、白い離宮の使用人たちはミレーヌへ近づこうとしなくなっていた。台所に残っていた朝食も、冷えた芋のスープと端の固いパンだけだった。
ミレーヌは香油の小瓶まで鞄へ入れると、侍女を残して馬車へ乗り込んだ。座席の下には王家の金貨が詰まった革袋を隠し、衣装箱には白い離宮から持ち出した宝石を入れている。ミレーヌは何度も後ろを振り返ったが、見送りに出た者は一人もいなかった。
馬車は昼過ぎに国境へ到着した。街道沿いには赤い野菊が咲き、検問所の煙突から焼いた芋の匂いが漂っている。国境警備兵たちは昼食の途中だったが、王都から届いた手配書を見ると、口に入れていた芋を急いで飲み込んだ。
「荷物を確認いたします。すべての箱を開けてください」
「私は王太子殿下の婚約者よ。私の持ち物へ勝手に触れれば、あなたたちの首が飛ぶわ」
「王太子殿下の婚約者は、現在決まっておりません。それに王家の財産を国外へ持ち出す者は、身分にかかわらず拘束するよう命じられています」
衣装箱を開けると、ドレスの下から宝石箱が六つ見つかった。首飾りの金具や腕輪の内側には、王家の管理番号が刻まれている。馬車の座席から発見された金貨にも、救済金として保管されていたことを示す小さな星形の印がついていた。
「違うわ。全部、ジェラルド殿下から贈られた物よ。私は盗んでいないわ!」
「その御説明は、王都でお願いいたします。冷えますので、芋のスープを召し上がってから出発しますか」
「そんな物、食べるわけがないでしょう!」
ミレーヌは差し出された木の器を払いのけた。スープは地面へこぼれ、湯気と一緒に玉葱の匂いが立ち上る。若い警備兵は芋が一切れ落ちたのを見て眉を下げたが、何も言わずにミレーヌの両手へ縄をかけた。
三日後、王都の大審理場で公開審理が開かれた。傍聴席は貴族と王都の代表者で埋まり、入口では書記官が立ったまま黒パンを食べている。壁際に飾られた黄色い菊は前夜の冷え込みで少し萎れ、暖炉では湿った薪が煙を上げていた。
リディアは紺色のドレスを着て、セシリアの隣へ座った。膝には証拠を書き留める帳面があり、細い紐でつないだ鉛筆がぶら下がっている。以前、審理の途中で鉛筆を床へ落とし、前に座る伯爵の靴の下まで転がったため、兄エドガーが紐をつけてくれたのだった。
中央にはジェラルドとミレーヌが、椅子一つ分の間を空けて座っていた。ジェラルドは王太子の徽章を外され、黒い上着には金糸の刺繍がない。ミレーヌも宝石をすべて取り上げられ、薄茶色の簡素な服の袖口を何度も引っ張っていた。
「私は何も知りませんでした。すべてジェラルド殿下に命じられたのです」
審理が始まると、ミレーヌは真っ先にそう訴えた。ジェラルドが振り向いても目を合わせず、持参した革の鞄から手紙の束を取り出す。桃色の紐で結ばれた手紙には、彼から贈られた宝石やドレスの明細も添えられていた。
「白い離宮も馬車も、殿下が私のために用意するとおっしゃいました。お金がどこから出たのか、私は知りません。こちらの手紙にも、欲しい物は何でも買ってよいと書かれています」
「君が欲しいと泣いて頼んだのだろう。私は何度も、無駄遣いは控えるよう言ったはずだ!」
「嘘ですわ。私が白いお城に住みたいと言ったら、国中の城より美しい物を建てると約束なさいました。ここに殿下の御署名があります!」
書記官が手紙を受け取り、日付と署名を確認した。そこには白い離宮の壁を塗り直す費用を救済予算から出すことや、真珠の代金を孤児院の食器代として処理するよう財務官へ命じたことまで書かれていた。ミレーヌは自分が騙された証拠のつもりで提出したが、それはジェラルドの横領を裏づける記録になった。
ジェラルドは椅子から立ち上がり、自分の鞄を開けた。彼もまた、ミレーヌから受け取った手紙を保管していた。甘い言葉を読み返すためではなく、彼女へ使った金額をあとでセシリアに処理させるため、明細と一緒に残していたものだった。
「私は、この女に誘惑されて判断を誤った。セシリアがミレーヌを虐げているという話も、すべて彼女から聞いたのだ。こちらに、セシリアを追い出す方法を書いた手紙がある!」
「殿下だって賛成したではありませんか! 私が階段から落とされたことにすれば、セシリア様を罪人にできるとおっしゃったでしょう!」
「君が先に言い出したのだ!」
「嘘の証言をする侍女へ、金貨五枚をお渡しになったのは殿下です!」
二人の声が審理場へ響き、書記官たちは慌てて記録を取った。ミレーヌが提出した手紙からは、二人が白い離宮で密会した日付が判明した。その日はジェラルドが北部の救済会議へ出席したと公表していた日であり、会議そのものが開かれていなかったことも分かった。
ジェラルドが出した手紙には、ミレーヌが破れたドレスを修繕店へ預けたあと、それをセシリアに破られた証拠として使う計画が書かれていた。別の手紙には、菓子店が休みの日を選べば店主に証言されずに済むという記述まである。二人は相手だけを罪人にしようと、こちらが求めてもいない証拠を次々と差し出した。
傍聴席で、リディアは帳面へ書き込む手を止めた。証拠が増える速さに追いつけず、鉛筆の先が丸くなっている。隣に座るセシリアは小さな布袋から削り器を出し、妹の鉛筆を受け取った。
「お姉様、この二人は御自分たちで監査を始めました。しかも、会計院より熱心です」
「二人とも相手に罪を押しつけることしか考えていないから、隠すべきことまで話しているのね」
「こちらが調べる手間まで省いてくださるなんて、最後まで仲のよいお二人ですこと」
リディアの声が聞こえたのか、ジェラルドが傍聴席を睨んだ。ところがその拍子に自分の鞄へ肘をぶつけ、残っていた手紙が床へ散らばった。一通がアーネストの足元まで滑り、裏面に押された王家の赤い印章を上にして止まった。
アーネストはその手紙を拾い、宛名を確認した。受取人はジェラルドではなく、国王ヘンリーだった。差出人はミレーヌで、半年前の日付が記されている。
「なぜ、国王陛下宛ての手紙をジェラルド殿下がお持ちなのですか」
「それは返されたのですわ。白い離宮の費用について陛下へ御相談したところ、心配せず殿下に任せるようお返事をいただきました」
「返書も残っていますか」
「ございます。ジェラルド殿下が、陛下もお認めになった証拠だから保管しておけとおっしゃいました」
ミレーヌは新たな手紙を差し出した。そこには国王の署名があり、救済金の不足は翌年の税で補えばよいこと、問題が起きた場合はセシリアの管理不足として処理することが書かれていた。さらに、王太子の結婚前に白い離宮の存在を公表すれば反対されるため、帳簿上は迎賓館として扱うよう命じていた。
審理場の奥に座る国王の手が、肘掛けから滑った。水を入れた杯に触れ、卓上へ水が広がる。侍従が布で拭こうとしたが、国王はその手を強く払いのけた。
「その手紙は偽物だ。私がそのような命令を出すはずがない」
「用紙には国王執務室の透かしが入り、封蝋も陛下の印章と一致しています。筆跡についても、直ちに鑑定いたします」
アーネストは手紙を証拠箱へ入れ、鍵をかけた。箱の中には、ジェラルドとミレーヌが持ち寄った手紙、宝石の明細、虚偽証言への支払記録が隙間なく詰まっている。二人はようやく口を閉じたが、すでに取り戻せる言葉は一つも残っていなかった。
セシリアは削り終えた鉛筆をリディアへ返した。木の削り屑が膝に一つ落ちたため、指先でつまんで小さな布袋へ入れる。審理場では湿った薪がまた煙を上げ、壁際の菊の花びらが一枚、床へ落ちた。
「監査対象を国王執務室へ拡大します。国王陛下には、半年前から横領を把握し、セシリア嬢へ罪を負わせようとした疑いがあります」
アーネストの言葉に、国王は何も答えなかった。王冠の下から汗が一筋流れ、濡れた襟元へ吸い込まれていく。裁かれるべき者は、王太子と男爵令嬢だけではなくなった。




