『男の尊厳』
「号外だ――! 号外――!!」
『聖女誕生』
そう紙面に大きく刷られた新聞が、王都中へ激しくばら撒かれたのは、その日の夕刻のことだった。
王自らが乱入した前代未聞の公開審問会は、あまりにも呆気なく、そしてあまりにも衝撃的な幕切れを迎えた。
歴史的瞬間の目撃者となった記者たちは、一斉に席を立ち、我先にと白聖大広間を飛び出していく。
もはや、法廷の片隅に佇む“偽物令嬢”の身元審問など、誰も見ていなかった。
傍聴席の貴族たちは顔を鉛色に青褪めさせたまま沈黙し、上段の審問官たちですら完全に落ち着きを失って右往左往している。
そして、すべてを終わらせたのは、国王ユリウスが放った理不尽極まりないたった一言だった。
『――聖女を罰するなど、馬鹿げておる』
その瞬間、フォレスト伯爵家がこの日のために周到に積み上げてきた盤面は、音を立てて完全に崩壊した。
白聖大広間はそのまま、言葉にできない混乱と熱狂の渦の中で閉廷となる。
王都中を巻き込んだはずの公開審問会は、結局、何一つ裁かれぬまま終わったのだった。
同時刻、フォレスト伯爵邸。
「レミントン卿!! 約束と違うではないかッ!!」
引き裂くような怒声が、豪華な応接間へ響き渡った。
エドワーズは顔を真っ赤に染め上げ、激しい怒りのままに豪奢な机へ拳を叩きつける。
「すべて上手くいくと言っただろう!! 審問会は我が方の完全な勝利に終わると、そう断言したのは貴様だぞ!!」
激昂するエドワーズに対し、部屋の中央に佇む男――ドリーウェル・レミントンは、優雅な動作で静かに紅茶を口へ運んでいた。
「ええ」
磁器の擦れる小さな音。あまりにも穏やかな声だった。
「すべて、上手くいきましたよ」
「……な、に?」
エドワーズの顔が、恐怖と困惑で引き攣る。
ドリーウェルはゆっくりとカップを置くと、その端正な顔に美しい笑みを浮かべた。
「多少の誤算はありましたが、概ね私の思惑通りです」
「貴様……何を言っているんだ……?」
理解が追いつかない。
いや、本能がその先を理解したくないと拒絶していた。
ドリーウェルは狼狽する彼を冷徹に見下ろしながら、くすり、と小さく笑う。
「まさか本当に、フォレスト家ごときが、あの北のグレイル家へ勝てると思っていたのですか?」
「っ……!」
エドワーズの顔色が変わる。
「わ、私は……! お前が協力を――!」
「私は一度も、『勝てる』などと言っておりませんよ」
淡々と、あまりにも淡々とした声音だった。
「な……何を、言ってるんだ……お前は……」
エドワーズの喉が、ひゅ、と引き攣った音を立てる。
すると、ドリーウェルは、ふっとその張り付いたような笑みを消した。
その瞬間。
応接間の空気が、一瞬で凍りつく。
「分からなくても結構です」
冷たい。
今まで見せていた朗らかな好青年の笑みなど、最初からどこにも存在していなかったかのように。
そこにいるのは、人間の皮を被った、底の知れない「何か」だった。
「ですが、エドワーズ卿――いえ、父上」
その呼び方に、エドワーズの肩がびくりと跳ねる。
ドリーウェルは、まるで足元の汚物でも見るような冷酷な目で彼を見下ろした。
「貴方は二つ、致命的な間違いを犯した」
ゆっくりと、男の白い指先が上着の懐へと滑り込んでいく。
次の瞬間、引き抜かれた細身のナイフが、室内の燭台の光を受けて鈍く冷酷に煌めいた。
「一つは」
くつくつ、と。
喉の奥で歪んだ笑いを嗤う。
「頭が、致命的に悪かったこと」
そして、ドリーウェルの冷え切った視線が、ゆっくりとエドワーズの下半身へとしなだれるように落ちた。
「もう一つは――」
ぞわり、と。
エドワーズの背筋を、本能的な死の悪寒が駆け抜ける。
ドリーウェルは、ただ静かに、美しく笑った。
「下半身まで、とことん馬鹿だったことです」
――ずしゃり。
布を激しく裂き、肉を硬く断つ、湿った悍ましい音が室内に響いた。
遅れて、
「――ぁ゛ッッッ!!???」
この世のものとは思えない絶叫が、伯爵邸の壁を震わせた。
エドワーズが、自身の股間を押さえて床へと無様に崩れ落ちる。
裂けた衣服の隙間から、どろり、と大量の鮮血が、高級な絨毯を汚しながら溢れ出していく。
そして。
ころり、と。
赤黒い肉塊が、広がる血溜まりの中へ静かに転がり落ちた。
「ぁ……あ……?」
痛みのあまり理解が追いつかない。
エドワーズは激しく震える指先で、自らの股間へ恐る恐る触れた。
だが――そこにあるはずだった、男としての「すべて」は、もうどこにも存在していなかった。
「ぁ……あ、ぁぁぁああああああああッ!!!!」
絶望と屈辱に満ちた、狂わんばかりの悲鳴。
その凄惨な地獄絵図の前で、ドリーウェルだけが、顔に返り血を浴びたまま、静かに、そして恍惚とした笑みを浮かべていた。
「だから申し上げたでしょう、父上」
それは、酷く悍ましい悪魔の声音だった。
「貴方は、あまりにも愚かだった」
――そして。
『聖女誕生』の号外に紛れるようにして、一枚の新聞が王都の石畳へ無惨に踏み捨てられていた。
『フォレスト家、失踪か』
もはや、それに目を留める者は誰一人としていない。




