リル・グレイル
「ははははははッ!!」
王の哄笑が、高い天井へと響き渡る。
もはや誰もそれを止められない。
「素晴らしい……!」
ぎらついた瞳が、完全に底なしの欲望へと染まっていた。
「やはり退屈とは無縁よなァ!! グレイル卿!!」
その射すような視線が、再び女へ突き刺さる。
値値踏みするように。
激しく、欲するように。
王権。不死。聖女。奇跡。
すべてを覆し、国家そのもののバランスを塗り替える存在。
王の本能が理解していた。
これを手放せば終わる。
そして同時に――この怪物を北へ完全に渡してしまえば、それこそ王家の権威が終わるのだ。
「……リル・グレイル」
王が、初めてその名を呼んだ。
その瞬間、法廷の空気が完全に切り替わった。
もう誰も、かつてそこにいた“偽物の侍女”など見ていない。
そこにいるのは、王すらも焦がれて欲する“聖女”だった。
「リル・グレイル……」
「王が、自ら認めただと……?」
「まさか、本当に……」
記者たちの間で囁きが波のように広がっていく。
ドミニクの走らせる羽ペンが、興奮で激しく震えた。
「……陛下!」
ヴァレンティノ侯爵が、堪えきれぬように前へ出た。
「お、お待ちください! まだ何一つ、ここで証明されたわけでは――」
「証明?」
王が、ゆっくりと笑った。その目は、もはや侯爵など見ていない。
「首を落とされても死なぬ女を前にして、まだこれ以上の証明が必要か?」
「っ……!」
ヴァレンティノが言葉を失う。
ドミニクの思考も、その言葉の衝撃で一瞬停止した。
首を落とされても、死なない――?
王は、玉座を模した法廷の最高席へ深く身体を預けたまま、愉快そうに指先で肘掛けを叩いた。
「余はなァ、ヴァレンティノ。こういう“理解不能”な怪異が好きなのだ」
ぞくり、と。
ドミニクの背筋を、本能的な寒気が駆け抜けた。
この王は危険だ。
聖女を崇めているのではない。
新しい異形の玩具を見つけた子供のように、国家を揺るがす怪物をただ欲しているのだ。
「……リル・グレイル」
再び、王がその名を呼ぶ。
女が静かに視線を上げた。
「そなた、自ら“聖女”を名乗るか?」
白聖大広間が静まり返る。
全員が、彼女の答えを待っていた。
けれど、女はゆるやかに笑ってみせる。
「いいえ」
静かな声だった。
「わたくしは、聖女ではございませんわ」
ざわり、と空気が揺れる。
だが、女は淡々と言葉を続けた。
「人を救いたいわけでもありません。正義にも興味はございませんし、慈愛など、もっと縁遠いものです」
誰もその毅然とした態度に口を挟めない。
「ですが」
女は、そっとゼノスの頑強な腕へ、白く細い指先を滑らせるように添わせた。
「――死ねないのです」
その瞬間、ドミニクの周辺にいた何人かの貴族がぶるりと身体を震わせた。
“死ねない”。
その簡潔な一言が、不死という凄惨な現実を、より生々しく彼らの脳髄へ突きつける。
女は笑う。美しく、淑やかに。
けれど、どこまでも壊れた怪物のように。
「ですから陛下。貴方様が望まれるのであれば――奇跡でも、災厄でも。お好きな方をお見せいたしますわ」
「……は」
王が、笑った。
喉の奥を震わせるような、低く粘ついた笑いだ。
「はは……! 素晴らしい!」
脂に塗れた頬を歪めながら、ユリウス王は前へのめり出す。
「聖女らしくない! 慈愛も救済も語らぬか! それでこそ面白い!」
「陛下……!」
ヴァレンティノ侯爵が青ざめた声を漏らす。
「この女は危険です! 不死など、あまりにも――」
「当然であろう」
王は、吐き捨てるようにそれを遮った。
「だからこそ、価値がある」
広間にいた全員の背筋を、冷たい悪寒が撫でていく。
王は理解しているのだ。
理解した上で、なおこの怪物を欲している。
「余は退屈が嫌いでなァ」
王のぎらついた瞳が、女を舐めるように細まる。
「死なぬ女。奇跡。聖女。そして、怪物。――これほど王国を掻き乱す極上の玩具を、どうして手放せようか」
空気が重く沈む。
誰も口を開けない。
ただ一人、ゼノスだけが、冷めきった瞳でその哀れな王を見つめていた。
「……グレイル卿」
国王が、ゆっくりと、けれど確かに答えを出した。
前日の謁見の間で突きつけられたという、脳髄を焼き焦がすような恐怖と歓喜。
王権をも超越する「聖女」を自らの手の内に収めたいという、底なしの権力欲と強欲。
ユリウス国王は、その悍ましい欲望に打ち勝つことなど、最初からできはしなかったのだ。
でっぷりと肥えた身体を震わせ、王が法廷のすべてを圧する声を響かせる。
「……リル・グレイル。貴殿を、神に愛されし我が国の『聖女』として、ここに宣言する」
その瞬間、白聖大広間に割れんばかりの衝撃が走った。
「へ、陛下……!?」
エドワーズが、信じられないものを見る目で王を見上げた。
顔色は土気色に変わり、その端正だった顔立ちが絶望で醜く歪んでいく。
王の出した答え。
それは、フォレスト伯爵家の完全なる切り捨てであり、同時に、北の死神への全面的な屈服を意味していた。
グレイル家を、これ以上敵に回してはならない。
彼らと手を取り合い、仲良くやっていきさえすれば、国家は安泰なのだ。
何より、あの至高の「不死の聖女」が、間接的にせよ我が王国のものとなる。
王は、自らの保身と欲望のために、その最良の盤面を選んだのだ。
「な……何をおっしゃるのですか、陛下! その女はただの侍女、我が家を騙した偽物です!」
狂ったように叫ぶエドワーズ。
けれど、壇上の王は彼に視線すら向けない。
ただ、女とゼノスの二人を、畏怖と歪んだ期待の入り混じった瞳で見つめている。
ドミニクは、興奮で震える手で必死に羽ペンを走らせた。
(とんでもない記事になる……。いや、これはもう国の歴史が変わる瞬間だ)
ふと見れば、ゼノスの口元が微かに、けれど傲然と歪んでいた。
すべてが、あの北の死神の思い通りに進んでいる。
そして被告席の女――クリスティーナ・フォレストと呼ばれた、哀れな人間の過去を王の言葉によって完全に殺された彼女は。
王都のすべての貴族を絶望へ突き落とす、美しき怪物――『リル・グレイル』として、今、この法廷の頂点に君臨していた。
ふと。
女の赤い唇が、ほんの僅かに歪む。
まるで隣へ立つ黒衣の男へだけ向けるように。
(……本当に、貴方様の思い通りですのね)




