リリー・フォレスト
……ころり。
絨毯の上へ転がっていた私の首。
その唇が、ゆるやかに、狂おしいほどに笑みを深めた。
「――っ」
誰かが悲鳴を喉の奥で呑み込む。
次の瞬間、断ち切られた私の首筋から、どろり、と赤黒い肉が蠢き始めた。
それはまるで、伸縮する細い糸のように。
あるいは、闇夜に開く不吉な花弁のように。
裂けた肉同士が、ゆっくりと互いを求めるように不気味に伸びていく。
ぼとり、と。
私の首が、意思を持つかのようにひとりでに胴へと転がった。
そして――ぐしゃり。
骨が鳴り、肉が繋がる。
私の首筋へ、赤黒い一本の線が生き物のように刻まれていく。
血が逆流し、ぶちり、ぶちりと肉線が爆ぜる不快な音を立てながら、切断された肉体が、まるで最初から一つだったかのように融解し、結合していく。
騎士も、側近も、ヴァレンティノ侯爵すらも、誰も声を上げられなかった。
ただ青ざめた顔で、目の前で起きている異形の再生を凝視することしかできない。
やがて、ゆっくりと。
頭を失ったはずの私は、何事もなかったかのように立ち上がった。
白い首筋に、赤黒い傷痕だけを残して。
「……ふふ」
私は笑いながら、床に転がった黒のチョーカーを拾い上げる。
ぞわり、と。
ユリウス国王の背筋を、強烈な悪寒が駆け抜けたのが分かった。
玉座へ深く沈み込んでいた肥えた身体を、王はゆっくりと前へ乗り出す。
その肉に埋もれた瞳には、もはや先程までの退屈げな色など微塵も残っていなかった。
そこに宿るのは――圧倒的な歓喜、狂わんばかりの興奮、そして、底の知れない恐怖。
「……は、はは」
王の口から乾いた笑いが漏れる。
「なるほど……。本当に……死なん、か」
聖女。
330年前に消えたはずの、不死の怪物。
もし、この王権すら呑み込む怪物が、北の死神の手中にあるのだとすれば。
王の脳内で、脆い天秤が大きな音を立てて崩れ落ちる。国家の権力が、完全に北へと傾くのだ。
「……グレイル卿」
王の声音が、焦りを孕んで僅かに低くなった。
「その女は……王国が管理すべきものではないか?」
広間の空気が一瞬で張り詰める。
それは、提案の形をした、絶対の命令だった。
この場で私を奪い取らねば、自らの玉座が脅かされるという王の防衛本能。
だが。
「はっ」
ゼノスは、心底可笑しそうに嘲笑った。
黒い大剣についた私の血を冷酷に払いながら、迷いなく言い放つ。
「欲しければ、奪ってみるがいい。――もっとも」
ゼノスの黒い瞳が、ゆっくりと私へ向いた。
彼は再生し終えた私の腰へと、不遜に腕を回して引き寄せる。
「既に、こやつは私の物だがな」
「……っ」
息が、詰まる。
王の目が獰猛に細まり、ヴァレンティノ侯爵が戦慄に顔を引き攣らせる。
その凄惨な嵐の中で、ゼノスだけが静けさを保ったまま、重々しい声を響かせた。
「王の御前にて宣言する。クリスティーナ・フォレスト――否」
一拍。
「リリー・フォレストを、我が妻とする」
――その瞬間だった。
ぐらり、と。今までどんな地獄を見ても揺らがなかった私の視界が、初めて大きく歪んだ。
「……っ」
どうして。
どうして、この男は。
クリスティーナではなく、ただの「身代わりの偽物」でもなく。
私を、“リリー”と呼んだ。
最初から、知った上で。
わざわざ私の名前を調べ、ここで拾い上げてくれた。
泣いてはいけない。
悪魔になると決めたのだから、ここで涙など見せてはならない。
けれど、喉の奥が焼けるように熱かった。
「……また、この時をもって」
ゼノスの低い声が、冷酷に続く。
「リリー・フォレストは死んだ」
息が、止まった。
決して死ぬことのできない、この忌々しい私を。
この男が、その言葉の刃で、確かに一度「殺してくれた」。フォレスト家の呪縛から、私を完全に解放してくれたのだ。
それが何よりも、狂おしいほどに嬉しかった。
「今後、この女はリル・グレイルと名乗り、我がグレイル家の後継として迎え入れる。加えて、王国全土へ布告しろ。――『聖女』誕生をな」
謁見の間が、再び怒号と悲鳴で騒然となる。
「き、貴様……!」
「正気か!?」
「北が聖女を囲うだと――!?」
あらゆる貴族どもの欲望と恐怖が渦巻く中、ゼノスはまるでどうでもいいことのように嗤った。
「それさえ行えば、あとは好きにするがいい。国王の玩具にするでも、民衆へ神輿として担ぎ上げるでも、私は一向に構わん」
そして、ほんの僅かに、その口元を凶悪に歪める。
「――まあ、この女が大人しく、貴様らに従順に従うとは思わんがな」
「……グレイル卿」
王の声音が、重く、深く沈む。
ゼノスはもう答えない。
ただ、黒い瞳だけが静かに王を射抜いていた。
「猶予を与える。明日の公開審問会が終わる、まさにその時までに、答えを聞こう」
言い捨てると同時に、ゼノスは私を抱きかかえたまま、傲然と踵を返した。
王の許可など、最初から求めてすらいない。
謁見の間を退出していく二人の背中を、王も、側近たちも、ただ硬直して見送ることしかできなかった。
――そして、現在。
公開審問会。




