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悪魔と死神の、ありふれた幸福論  作者: 百助蝶子
『公開審問』編
23/32

『美しい怪物』

「証拠もございます」


エドワーズが、色褪せた数枚の書類を厳かに掲げた。


「孤児院からの引取証明書です」


審問官がそれを受け取り、念入りに内容を確認していく。それを追うように会場のざわめきがさらに強くなる中、ドミニクは無意識のうちに羽ペンを握る手を止めていた。


何かが、決定的におかしい。


もし彼女がフォレスト伯爵の言う通り、ただの卑しい「身代わりの偽物」に過ぎないのだとしたら、なぜあんな底の知れない顔で、泰然とそこに座っていられるというのか。


「……加えて」


エドワーズは、勝利を確信した冷え切った声で静かに続けた。


「証言する者もおります」


その言葉に、傍聴席が再び激しくざわつく。

白聖大広間の後方にある重厚な扉が開き、現れたのは、中年の女だった。続いて、当時の使用人らしき男女数名が、緊張に顔を強張らせながら前へと進み出てくる。


「あの女は、確かに“リル”という名で呼ばれておりました」


フォレスト伯爵邸の侍女長であるという女が、震えながらもはっきりとした声で告げた。


「クリスティーナ様付きの侍女として働いており……外へ出ることは滅多にございませんでした」


「何故だ」と、上段から審問官が問いかける。

侍女長は、ちらりと被告席の女へ視線を向けた。


「顔に酷い傷がございましたので。……周囲の者を怯えさせぬよう、邸内だけで働かせておりました」

「では、あの火傷痕は当時からあったものだな?」

「はい……間違いございません」


刹那、大広間に羽ペンの音が雨のように一斉に響き渡り、記者たちが我先にとその言葉を紙へ書き殴っていく。

ドミニクもまた、反射的にペンを走らせていた。


――本物の令嬢ではない。昔からの醜い傷。ただの孤児。


明日の新聞の一面を飾る記事としては、これで十分すぎるほどの材料が揃った。

なのに、ドミニクの胸の奥にくすぶる妙な違和感は、消えるどころか肥大していく。


ついと視線を上げれば、白金の女はまだ、あの艷やかな弧を唇に描いていた。

けれど、先程よりも明らかに顔色が悪い。

透き通るような白さは死人のように青白く変わり、まるで、今にもその場に崩れ落ちそうなほどに脆く見えた。


「他にもおります」


エドワーズの冷酷な声に、ドミニクが再び後方の扉へと視線を向けると、今度現れたのは、煤けた衣服を纏った中年の男と、まだ十六、七歳ほどに見える若い青年だった。

男は、貴族たちの放つ威圧感に怯えるように深く頭を下げる。


「エボニー・クロフト……。フォレスト家でお世話になっておりました、クリスティーナ様と、……そして、流行病で亡くなられた双子の姉、リリー様の乳母の夫です」


その名が放たれた瞬間、大広間は今日一番の大歓声とざわめきに包まれた。

死んだはずの、もう一人のフォレスト家の血脈。


「これは、息子になります」


隣に立つ青年も、父親に合わせるようにぎこちなく頭を下げた。


「私の妻、エボニーは……」


ドミニクの視線は、証言台のクロフトが並べる言葉をただの雑音として弾き、目の前の白金の女から、もう一瞬たりとも目を離すことができなくなっていた。


無意識の自衛か、あるいはかつての記憶の疼きか。

女の細い指先が、執拗に首元のチョーカーをもてあそんでいる。


その瞬間、彼女は一度、僅かに息を止めたように見えた。

完璧に貼り付けられた微笑みに、ほんの一条の亀裂が入る。


ドミニクは確かに、その傲慢な微笑みの奥に潜む、張り詰めた精神の揺らぎを垣間見た。


(壊れるか――)


彼がそう身構えたのも束の間、その揺らぎすらも、やはりあの女の本性が生み出す深い霧の中へと、一瞬にして消えていく。


そしてその瞬間、女は今まで以上に艶やかに、残酷なほどの弧をその唇に描いてみせた。


にこり、と。

まるで法廷に、不吉な音が響き渡ったかと錯覚するほどの、完璧なまでの笑みだった。


「……笑った」


ぼそり、とドミニクの口から言葉が零れ落ちていた。


ハッとして、自分の意識を現実に引き戻す。

喉の奥が妙に乾いていた。


記者として幾重もの修羅場を潜り抜けてきた自分が、今、周囲の怒号も木槌の音も聞こえなくなるほど、あの被告席の女に見惚れていた。

底の知れない恐怖を孕んだその美しさに、完全に呑まれていた。


「……おい、クロフトは今、なんて言っていた?」


記者たるもの、あるまじき失態だ。

しかし、ドミニクは自身のプライドを捨て、隣に座る同業の男に恥を忍んで声を掛けた。


「はあ? 何で聞いてねえんだよ。お前、さっきから上の空だぞ」


隣の記者は信じられないといった顔でドミニクを睨みつけ、それから忌々しげに吐き捨てた。


「――自分の妻が、あの白金の女に殺されたってよ」


ドミニクはそれを聞いた瞬間、息を呑んだ。


聞いた記者は「二度と邪魔すんなよな」と不機嫌そうに舌打ちを飛ばし、再び手元のノートへと視線を戻した。

だが、ドミニクはその不躾な態度を気にする余裕すらもなかった。

男の言葉が脳裏で反芻された瞬間、背骨の奥から這い上がってきた冷気が、ぞわりと全身の皮膚を粟立たせる。


(――殺した?)


だか、ドミニクが戦慄したのは、女が殺人者であるかもしれないという疑惑に対してではなかった。


「妻を殺した」という、これ以上ないほどおぞましい告発を突きつけられながら。

自らの存在を貶められ、決定的な悪へと仕立て上げられるその瞬間を特等席で浴びながら。


あの女は――にこりと、あの美しい怪物のような笑みを浮かべていたのだ。

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