剥がれ落ちた至宝
バルトが去ってから、最初の試練はすぐに訪れた。
旅の汚れを落とすため、そして部屋に用意された衣服へ着替えるために、グレイル家のメイドが二人、部屋へと入ってきたのだ。
「お嬢様、お付きの侍女がいらっしゃらないとお聞きしましたので、私共が一時的ではございますがお嬢様付きを務めさせていただきます」
どちらも北の過酷な環境で育ったからか、南方のメイドたちのように軽薄な噂話に興じる様子はなく、無表情で淡々と私のドレスの編み上げを解き始めた。
重い生地が床へと滑り落ち、コルセットが外される。
その瞬間、細すぎる身体を誤魔化すために押し込んでいた詰め物が、ぼとりと音を立てて足元に転がった。
「……っ?」
二人の視線が怪訝そうに落ちた詰め物に移り、そして私の背中へと戻ったとき――メイドたちの動きが、同時にピタリと静止した。
部屋の冷たい空気が、一瞬で凍りついたのが分かった。
私はベールの下で、静かに溜息を吐き出した。
(早かれ遅かれ、こうなることは分かっていたわ。思ったより少し早かっただけよ)
メイドたちの目前、剥き出しになった背中には、無数の、ただれて引き攣った凄惨な火傷の痕が、醜く広がっていた。
あまりの異様さに、一人が弾かれたように私の手袋を剥ぎ取り、ベールを外す。
そこに現れたのは、骨が浮き出した身体に手入れがされていない、ひび割れてボロボロになった手指。
そして、厚塗りの白粉でも隠しきれない、左顔の凄惨な火傷の痕だった。
それが、社交界の華と謳われるフォレスト伯爵家の「至宝」の正体だ。
「……っ!」
メイドたちの瞳に、明らかな動揺と不審、そして恐怖にも似た衝撃が走る。
当然だ。格下の家から差し出された人質とはいえ、目の前にいるのは「至高の美姫」などではなく、どこからどう見ても、手荒く扱われ、虐待され続けてきた「まがい物」なのだから。
一人がたまらず、この異常事態をバルトへ報告するために扉へと足を向けようとした。
「――待って」
淑女らしく穏やかで、けれど芯に冷徹さを孕ませた声で呼び止めた。
そしてトランクの底から、大粒のダイヤモンドが嵌められた花の形を模したブローチを取り出した。お父様が本物のクリスティーナのために誂えたものだ。
今回の「生贄の旅」に必要であろうと、私が密かに盗み出してきた、フォレスト家本物の至宝。
それを、部屋を出ようとしたメイドの手のひらに、無理やり握らせた。
「お、お嬢様……これは……?」
メイドは戸惑い、差し出された目の眩むような宝石と、私の火傷だらけの姿を交互に見つめた。
「お願い。このことは、ゼノス様にお会いするまで、どうか内緒にしておいて。……バルト様にも、他の方にも、絶対に」
私は口元にそっと手を当て、目元を涙で濡らす「哀れな子兎」の瞳を作って見せた。
「お父様は……私がこの地で孤立しないようにと、全てを私に委ねてくださいました。けれど、もしこの傷のことが閣下に知られれば、私はお会いすることすら叶わず、追い返されてしまうかもしれないわ……。そうなれば、フォレスト家は滅びてしまう。お願い、一度だけでいいの。閣下に直接お会いしてお話しする機会を、私にくださいな」
ふふ、と心の中で冷笑する。
実家のために身を粉にし、これほどの傷を負いながらも、公爵の慈悲を信じて縋ろうとする健気な生贄。
前の家でも、エドワーズの側近だったオリバーがそうであったように。
どれほど冷徹に教育された使用人であっても、この極限の「哀れみ」と「目の前の巨万の富」を同時に差し出されれば、僅かな慈悲が、あるいは欲が、理性を上回るものだ。
メイドたちは、握らされたブローチの重みと、私の必死な(演技の)眼差しに気圧されたように、ごくりと息を呑んだ。
やがて、二人は視線を交わし、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました、クリスティーナ様。ゼノス様がお戻りになるまでは、私どもの胸に留めておきます」
「ありがとう。あなたたちのような優しい方に会えて、私、救われたわ」
私は満面の笑みを浮かべて見せた。
その後、静かに湯船に浸かり、再び一人になった部屋で、私は白粉を手に取った。
隠しきれない傷だと分かっていても、ゼノス公爵の前に出るその瞬間までは、完璧な「クリスティーナ」の仮面を貼り付けておかなければならない。
(これで彼が戻るまでは、私の正体は誰にも露見しないはず……)
フォレスト家がしでかした不祥事の全貌はまだ見えない。けれど、この城の人間たちの冷遇、そしてメイドたちの動揺を見るに、あの家は私が思っていた以上に崖っぷちに立たされている。
私は再び白粉を肌に叩き込みながら、明日からの計画を練り始めた。
騙し討ちの生贄として放り込まれたこの檻で、私は私のやり方で、まずは足場を固めてみせよう、と。




