第5話 翻訳機があるのに言葉を習うらしい
今回のお題:翻訳機でもどうにもならなそうな「異星人との文化の違い」
この銀河には、言葉の壁がない。
だいたい。
「今日も炉?」
『今日は第二高温炉だ』
「昨日は第三じゃなかった?」
『第三は予約が埋まっている』
「炉って予約埋まるんだ……」
昼前。
午前の基礎訓練を終えた俺は、次の実習室へ向かいながらポルカと話していた。
俺が普通に喋り、ポルカが普通に返す。
もちろん、俺たちが同じ言語を使っているわけではない。
ポルカが俺と同じ意味で「声」を出しているのかすら、正確には知らない。
それでも会話は成立する。
自動翻訳があるからだ。
銀河社会では珍しくもない。
だから次の授業名を見たとき、少し疑問に思った。
《異種族間基礎コミュニケーション実習》
「これ、必要なのか?」
『何がだ』
「コミュニケーション実習。翻訳機あるだろ」
『あるな』
「じゃあ何を習うんだ?」
『知らん』
「ポルカも受けるよな?」
『受ける』
「私も受けるよ」
後ろからミナが追いついてきた。
「必修だからね」
「翻訳機の使い方とか?」
「それ、入隊時に入ってるでしょ」
「ああ」
軍用翻訳システムの基本操作は、ブレインインストール済みだ。
なら、なおさら分からない。
答えは授業開始から数分で出た。
◇
教育艦、第六実習室。
大勢の訓練生が集まっていた。
人型、非人型、浮遊している者、液体に見える者、発光している者。どこが顔なのか分からない相手もいる。
正面の大型表示には、開始前から注意書きが出ていた。
《本実習では自動翻訳支援を段階的に制限します》
その横では、現在使用中のシステムが正常稼働を主張している。
《軍用自動翻訳システム Ver.18459271.442》
《状態:正常》
「今日の目的は、翻訳機を使わずに会話できるようになることではない」
教官が教室を見回した。
「翻訳機を使っていても、意思疎通に失敗することがある。それを知るための実習だ」
嫌な目的だった。
「現在の自動翻訳技術は極めて高性能だ。登録済みの主要言語であれば、日常会話に困ることはほぼない」
そこで教官が一度区切る。
「だが、翻訳できることと、意思疎通できることは別だ」
なるほど。
もう分かった気がする。
「では始める。最初は翻訳支援をすべて有効にした状態だ」
画面が切り替わった。
《実習1》
《自動翻訳支援:全機能有効》
《課題:組み合わせられた相手の特徴を一つ褒めてください》
簡単そうに見える。
俺の相手が自動的に指定された。
身長は二メートルほど。
全身を黒い甲殻に覆われ、腕が六本。頭部から二本の触角が伸びていて、目らしきものは見当たらない。
何を褒めればいいんだ。
甲殻。
触角。
腕。
全部危険な気がする。
「始めろ」
無慈悲な指示が飛んだ。
仕方ない。
一番無難そうなところを選ぶ。
「体、きれいですね」
相手の触角が止まった。
『ありがとう』
通じた。
よかった。
『ちょうど脱皮直前だからな』
「脱皮」
『表面が最も滑らかになる時期だ。内部にも栄養を蓄えている』
「…………」
なんだろう。
急に嫌な方向へ進み始めた。
『私の種族では、今の言葉は――』
一拍。
『「食べ頃ですね」に近い』
「食べ頃」
『食物として、だ』
「すみませんでした」
『意図は理解している』
触角がゆっくり揺れた。
『だが、少し腹が立った』
「ですよね」
翻訳機。
正常に仕事をしている。
仕事をした結果がこれだった。
周囲でも似たような事故が起きていた。
「勇敢そうですね」
『私を無謀だと言ったか?』
「言ってません!」
少し離れたところでは、
「若く見えますね」
『成熟度が低いという意味か?』
「違います!」
教室のあちこちで訂正と謝罪が始まった。
「そこまで」
教官の声が響く。
「現在、自動翻訳システムに異常はない」
「ないんですか?」
「ない。今の発言はすべて、意味としては正常に翻訳されている」
画面に処理項目が表示された。
《言語情報》
《文脈情報》
《文化情報》
《生理情報》
《非言語情報》
「自動翻訳は単語を別の単語へ置き換えているだけではない。利用可能な文化情報、生理情報、状況、非言語情報も参照している」
「それでもこうなるんですね」
「翻訳機は、発言者が実際に言った内容まで勝手に無難な表現へ変更する装置ではない」
教官がさっきの会話記録を表示する。
「ハジメは相手の身体がきれいだと評価した。その意味は正確に伝わった。相手も、ハジメに捕食の意思がないことは理解している」
「でも腹は立った」
『少しな』
「つまりそういうことだ」
確かに、翻訳機の責任ではなかった。
「特に問題になるのが、非言語情報と文化的な解釈だ」
次の資料が表示された。
《音声抑揚》
《表情》
《体色》
《発光》
《体温》
《姿勢》
《匂い》
《精神波》
《電磁放射》
《その他》
「何を状態表現や言語情報に使うかは種族によって異なる。複数の経路を組み合わせる種族も珍しくない」
「そこまで翻訳するんですか?」
「登録済みのものはな。ただし、個体差、地域差、文化差、特殊な状況まで完全に処理できるわけではない」
教官は少し間を置いた。
「中には、感情状態そのものの変化を情報媒体として使用する種族もいる」
それは難しそうだ。
「次。支援機能を一部停止する」
《実習2》
《言語変換:有効》
《感情補正:無効》
《非言語補助:無効》
《文化注釈:無効》
嫌な予感しかしない。
《課題:相手を昼食に誘ってください》
ちょうどいい課題だった。
実習が終われば昼休みである。
教室の各所で、指定された組み合わせの訓練生が向かい合った。
近くにいた一人が、相手をまっすぐ見て話しかける。
「一緒に昼食を食べませんか?」
相手の身体が硬直した。
『受けて立つ』
「何を!?」
教官が淡々と補足する。
「今の相手種族に対し、一定時間以上の直接注視は競争意思の表明になる」
「昼食の?」
『決闘の』
「しません!」
教室に笑いが起きた。
別の組では、さっきの様子を見て警戒したのか、相手から視線を外して誘っている。
「一緒に食事でもどうですか?」
『謝罪を受理する』
「何の!?」
「その種族では、視線を外した状態で正式に話しかける行為が謝罪動作の一部だ」
「じゃあ、どこ見ればいいんですか!?」
俺も少し気になった。
「ハジメ」
「はい」
「次、お前だ」
指定された相手はポルカだった。
「…………」
『どうした』
「いや」
普段なら普通に誘える。
翻訳支援が減った途端、不安になる。
そもそもポルカの視覚器官がどこなのか、俺はよく知らない。
「ポルカ」
『なんだ』
「昼、一緒に食べる?」
『構わない』
普通に通じた。
「おお」
「ではハジメ。相手の現在の状態を答えろ」
「状態?」
俺はポルカを見る。
青白く燃えている。
「燃えています」
『燃えているな』
「そういう意味ではない」
分かっている。
でも、他に何がある。
炎の揺れが、いつもより少し速い気がする。
「機嫌がいい?」
『違う』
「怒ってる?」
『違う』
「腹減ってる?」
『そうだ』
「分かるか!」
「通常なら、その判断を翻訳支援が補助している」
教官がポルカの状態情報の一部を教材表示へ出す。
「彼の種族では、炎の揺らぎや放出周期の一部が状態表現に使われる。現在は空腹状態にあり、食事へ移行したい意思が強い」
『あと、この会話が少し面倒だ』
「それも分かるんですか?」
「登録された表現情報から推定できる範囲だけだ。思考そのものを読んでいるわけではない」
そこまでされたら怖い。
「じゃあ、言葉そのものより、相手の文化や表現方法を勉強する授業なんですか?」
「それも目的の一つだ」
納得した。
「次。さらに支援を落とす」
◇
《実習3》
《言語変換:有効》
《文脈補正:無効》
《慣用表現補正:無効》
《意図推定:無効》
「会話してみろ」
ポルカから何かが伝わってくる。
翻訳結果が表示された。
『私はあなたと共に食事行為を実行することを希望する』
「急に硬いな」
『翻訳結果だ』
「意味は分かるけど」
『では問題ない』
「そういう授業じゃないだろ」
周囲でも似たような直訳が飛び交っている。
『あなたの歩行器官に幸運がありますように』
「何それ?」
『旅の無事を願う慣用句だ』
「足だけ?」
『直訳だからな』
少し離れたところから、別の翻訳結果が聞こえた。
『あなたの内臓が長く温かくありますように』
教室が一瞬静かになる。
「……それ、どういう意味ですか?」
「健康と長寿を願う一般的な祝福表現だ」
「怖いんですけど」
「慣用表現補正が切れているからな」
意味は善意で、翻訳も正しい。それでも怖い。
「最後だ」
教官が操作する。
《実習4》
《自動翻訳支援:停止》
瞬間。
教室が壊れた。
少なくとも俺には、そう感じた。
意味の分からない音。
細かな振動。
明滅する光。
匂い。
体色の変化。
皮膚の奥を撫でられるような、精神波らしき感覚。
さっきまで全部「会話」として整理されていたものが、一斉に元の情報へ戻った。
「静かに」
教官の言葉だけは理解できる。
軍用共通語だ。
入隊時にブレインインストールされている、翻訳システムが使えない場合に備えた軍務用の共通言語である。
「完全な意思疎通を目指す必要はない。未知の言語や、翻訳不能な相手と遭遇した場合、最初に伝えるべき概念は限られる」
画面へ基本概念が表示された。
《停止》
《危険》
《退避》
《敵意なし》
《負傷》
《救助》
《接近禁止》
「軍には複数の感覚経路を利用した非常意思疎通規格がある。光、音、図形、振動、電磁信号などを組み合わせ、可能な限り単純な概念を伝える」
「それなら未知の種族にも通じるんですか?」
「通じるとは限らん」
「限らないんですか」
「未知だからな」
それはそうだ。
「一つの経路を試す。反応を観測する。通じなければ別の方法を使う。相手がどう受け取ったか分からない段階で、こちらの意図が伝わったと思い込むな」
前の艦内安全管理の授業で聞いた話に少し似ている。
未知のものを勝手に決めつけない。
相手が言語でも同じらしい。
「そもそも最初から完全に翻訳できるなら、少なくとも言語については未知ではない」
「自動翻訳が使えない相手もいるんですか?」
「いる。未登録言語、翻訳支援を文化的に拒否する種族、外部からの言語解析を禁止している文明などだ」
「他には?」
「翻訳すると意味や性質が変化するもの」
「そんなのも」
「解析や翻訳という行為そのものに危険があるものも存在する」
「どう危険なんですか?」
「お前たちの段階では知る必要はない」
「そういうやつですか」
最近、この答えにも少し慣れてきた。
「最終課題」
◇
俺の前に新しい相手が来た。
灰色。
丸い。
毛が生えている。
大きな毛玉にしか見えない。
どこが前なのかも分からない。
《課題:翻訳機を使用せず、「危険だからここから離れろ」と伝えよ》
「難しくないですか?」
返事はない。
仕方ない。
俺は非常意思疎通規格を使った。
危険を示す図形。
退避方向を示す光。
警告音。
振動。
毛玉が動いた。
「お」
指定した方向へ移動していく。
「通じた?」
教官が相手側だけ翻訳支援を戻した。
『振動が不快だったので離れた』
「通じてない!」
『あの振動は我々の文化では「道を空けろ」に近い。非常に無礼だ』
「すみません」
『だが、離れた』
「そうですね」
教官が判定を出す。
《意思疎通:不合格》
《避難誘導:合格》
「どっちなんですか」
「両方だ」
そういう採点もあるらしい。
周囲でも似た結果が出ていた。
危険を知らせたつもりが求愛の意思表示になった者。
退避を示したつもりが集合の合図になった者。
敵意がないと示した結果、体調不良を心配された者。
完全な意思疎通には程遠い。
それでも危険な場所から離れてもらえたなら、その部分については成功なのだろう。
「以上で実習を終了する」
教官が翻訳支援を通常状態へ戻した。
《軍用自動翻訳システム Ver.18459271.442》
《全支援機能:正常》
教室を満たしていた音、光、振動、匂いが、一瞬で意味のある情報へ戻った。
「便利だな……」
『今さらか』
ポルカの言葉も、いつも通り理解できる。
壊れて初めてありがたさが分かる、というやつだ。
今回は一度も壊れていないけど。
◇
実習室を出る。
「昼、どうする?」
ミナが聞いた。
「ポルカと食うことになってる」
『そうだったな』
「私も行く」
「いいけど」
『構わない』
三人で食堂へ向かう。
「今日は何食べるの?」
ミナがポルカに聞いた。
『熱』
「知ってた」
「ミナは?」
「普通のご飯」
『恒星光ではないのか』
「それは主食。ご飯は趣味」
『理解できない』
「ポルカも温度に味があるんでしょ?」
『ある』
「同じだよ」
『違う』
翻訳機は正常に動いている。
それでも、分からないものは分からないらしい。
食堂へ入る直前、ポルカが止まった。
『そういえばハジメ』
「ん?」
『さっきの実習で、私を昼食に誘ったな』
「誘ったな」
『あれは正式な約束として処理された』
「そうなの?」
『そうだ』
「じゃあ一緒に食えばいいだろ」
『問題ない』
「何だったんだよ今の確認」
『文化差だ』
「便利な言葉だな」
ミナが笑った。
その横を、別の訓練生が走っていく。
「教官! さっきの実習で決闘の申し込みが成立してた!」
「取り消し手続きどこ!?」
「翻訳戻したら正式受理って出たんです!」
何人かが慌てて追いかけていった。
俺たちは少しだけ見送る。
「大変そうだね」
「教官が何とかするだろ」
『そのためにいる』
「それもそうか」
三人で食堂へ入った。
翻訳機は正常だった。
たぶん、今日も一度も壊れていない。
問題は、その先だった。
【TIPS:自動翻訳】
銀河社会で広く利用されている言語・情報変換システム。
単純な単語変換だけでなく、文脈、文化、生理構造、慣用表現、非言語情報などを参照し、可能な範囲で発話者の意図に近い形へ変換する。
対応する情報経路は音声だけではない。文字、光、体色、振動、匂い、電磁信号、精神波など、種族に応じた複数の通信方式へ対応している。
ただし、自動翻訳は「相手を絶対に怒らせない装置」ではない。
発言内容そのものを勝手に無難な内容へ書き換えることは原則として行わず、同じ言葉や行動が文化によって異なる意味を持つ場合もある。
翻訳が正しいことと、意思疎通に成功することは同じではない。
【TIPS:軍用非常意思疎通規格】
自動翻訳が使用できない状況で、最低限の意思を伝えるための軍用規格。
主に「停止」「危険」「退避」「敵意なし」「負傷」「救助」「接近禁止」など、緊急時に必要となる単純な概念を対象とする。
音、光、図形、振動、電磁信号など複数の経路を組み合わせることで、未知の相手にも伝わる可能性を高める。
ただし、未知の相手に必ず通じる万能規格ではない。
そのため「何を伝えたつもりか」だけではなく、「相手が実際にどう反応したか」まで確認することが重要とされる。
なお、意思疎通には失敗していても、結果として危険区域から退避させることに成功した場合は、避難誘導だけ合格になることがある。
お読みいただき、ありがとうございます!
感想や、この銀河に存在してほしい「変なもの」も募集中です。
種族、能力、魔法、超科学、怪異、都市伝説、謎の物体――なんでもどうぞ。
いただいたアイデアは、作品世界に合わせてアレンジして登場するかもしれません。
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それでは次回。
今日も銀河は平和です。
たぶん。




