第17話 名前と本人は別の話
今回のお題:本名以外で呼ばれている名前
あだ名、ハンドルネーム、役職、昔からの呼び名など。
本名よりそちらで呼ばれる方が多い、というものがあれば教えてください。
今日の《基礎身体操作Ⅰ》は、いつもの訓練区画ではなかった。
師匠に連れられて来たのは、複数の訓練科目で共同利用されている身体能力測定区画だった。広い室内には大小さまざまな測定機器が並び、俺たち以外にも何人もの訓練生が順番を待っている。
「今日は測定ですか?」
「ああ。前回からどれだけ変わったか見る」
「変わってます?」
「それを今から測るんだ」
それもそうだった。
受付端末へ近づくと、自動で俺の情報が表示される。
《個体識別:確認済》
《登録呼称:ハジメ》
《対象科目:基礎身体操作Ⅰ》
《担当:ガルド・ゼン》
普段なら、そのまま通り過ぎるところだった。
だが今日は、隣の受付端末が目に入った。
《個体識別:確認済》
《登録呼称:セイ》
《名称表現:発光》
「……発光?」
思わず口に出した。
端末の前にいた訓練生がこちらを向く。細い身体の表面を、淡い光の線がゆっくり流れていた。
「珍しい?」
「すみません。名前のところが気になって」
「別にいいよ」
翻訳された声は普通だった。
「セイって名前なんですか?」
「君たちが呼ぶときはね」
「呼ぶときは?」
相手の身体を走っていた光が、一瞬だけ複雑な模様を作った。三本の線が交差し、色が変わり、短く明滅して元へ戻る。
「今のが、僕の名前」
「……光るんですね」
「そういう名前だから」
もう一度見せてもらっても、俺には正確に再現できそうになかった。そもそも発光する身体を持っていない。
「音声を使う相手には、セイで通してる。軍でもそれで登録してる」
「なるほど」
俺が表示を見直していると、師匠が横から言った。
「呼べれば困らん」
「でも、セイって呼び名だけで本人だと分かるんですか?」
「それは別だ」
師匠が端末を指す。
《個体識別:確認済》
「本人かどうかは、もう確認が終わってる」
「ああ」
言われてみれば、その通りだった。
◇
測定は順番に行われた。
筋出力、関節可動域、重心制御、神経反応。俺の場合はだいたいヒト向けの項目で済むが、別種族の順番になると、同じ測定装置が脚を増やしたり、床へ沈んだり、空中へ測定枠を展開したりしていた。
待ち時間には、いろいろな登録情報も目に入る。
《個体識別:確認済》
《登録呼称:リト》
《所属共同体:アシュ=レム第三群》
別の端末。
《個体識別:確認済》
《登録呼称:オル》
《名称情報:一部非公開》
さらに別。
《個体識別:確認済》
《登録呼称:第七枝》
「第七枝……」
変わった呼び方だった。
ちょうど本人が近くにいたので、邪魔にならないタイミングで声をかける。
「それって、名前?」
「今はそう」
「今は?」
「次の成長段階になったら変わる」
「名前が?」
「枝が増えるから」
身体を見る。
確かに、腕とも触手ともつかない細い器官が七本伸びていた。
「八本になったら?」
「第八枝」
「分かりやすいな」
「そう?」
本人には普通らしい。
名称情報が一部非公開になっていた訓練生にも、別の事情があった。
「外で使うのは登録呼称だけ。契約用の名は普段使わない」
「契約って、魔法の?」
「そう」
それなら聞かない方がいいだろう。
以前の講義でも、魔法は術式だけでなく、何を対象として指定するかが重要になる場合があると習った。名前を契約上の識別に使う文化なら、必要もない相手へ公開しないのは不思議ではない。
それでも端末上では、
《個体識別:確認済》
である。
名前の一部を知らなくても、本人かどうかには何の問題もないらしい。
◇
俺の測定が始まった。
「腕を上げろ」
「はい」
師匠に言われた通りに動かす。
「肩」
「またですか?」
「まただ」
腕を動かしているだけなのに、相変わらず余計なところへ力を入れているらしい。
一度やり直す。
「今度は腰が固い」
「肩は?」
「さっきよりましだ」
「一個直すと別のところに来るんですよね」
「だから練習してる」
反論できない。
何度か繰り返したところで、測定装置が動作を解析し、前回記録との比較結果を表示した。
《基礎身体操作Ⅰ・運動解析報告》
《上肢運動軌道一致率:前回比+四・七%》
《不要筋群同時収縮率:前回比-一二・三%》
《動作時重心偏位量:前回比-八・一%》
《全身運動連鎖効率:前回比+三・九%》
《総合評価:改善傾向》
「前より良くなってる」
「ああ。もう一回」
「はい」
同じように腕を上げる。
今度は途中で肩に力が入り、さっきより少し軌道がぶれた。測定結果も、それに合わせて少し落ちる。
「……まだ安定しないな」
「そうだな」
「もう一回?」
「当然だ」
ですよね。
その後も何度か同じ動作を繰り返した。
完全に同じ結果にはならないものの、最初の頃のように大きく崩れることもなくなっている。測定装置は各試行のばらつきまでまとめて処理し、しばらくして新しい表示を追加した。
《基礎動作安定性:規定値到達》
《反復動作再現性:規定値内》
《次段階訓練移行条件:適合》
「お」
今度は師匠も少し長く表示を見た。
「次から少し変える」
「何をです?」
「次にやる」
教えてくれないらしい。
数字は地味だったが、前より良くなったと機械にまで言われると、少しだけ嬉しい。師匠は褒めなかったけれど、少なくとも次へ進むことだけは決まった。
測定台から降りると、さっきのセイが別の装置へ向かうところだった。
「セイ」
呼ぶと、相手が振り返る。
当然だが、ちゃんと通じた。
あの光の模様を再現できなくても、会話には何の問題もない。
◇
休憩に入ってから、自分の登録情報を改めて開いてみた。
《個体識別:確認済》
《登録呼称:ハジメ》
俺の場合は単純だ。
少なくとも自分では、そう思っている。
「師匠」
「なんだ」
「名前って、本人確認にはあまり使わないんですね」
「使わないわけじゃない。確認材料の一つにはなる」
「でも、それだけじゃ足りない」
「ああ。同じ名前の奴もいるし、名前を変える奴もいる。複数使う奴もいる」
師匠は少し間を置いた。
「そもそも、お前が名前だと思っているものと同じ仕組みを持たない奴もいる」
さっき実際に見たばかりだった。
「だから登録呼称がある?」
「そうだ。呼ぶだけなら、それで足りる」
「かなり割り切ってますね」
「銀河中の命名文化を統一したいのか?」
「絶対嫌です」
「俺もだ」
珍しく意見が完全に一致した。
◇
測定の後半では、他の訓練生と組んで簡単な反応訓練も行った。
俺の相手は、端末上では《登録呼称:ノア》となっている訓練生だった。
「よろしく、ノア」
「よろしく」
しばらくして、少し離れた組から声が飛ぶ。
「ノア、次こっち!」
二人が同時に振り向いた。
俺の相手と、第五区画にいた別の訓練生。
「同じ名前?」
「登録呼称が同じなんだと思う」
「困らない?」
「今ちょっと困った」
本人も困っていた。
だが、俺たちが考えるより先に補助表示が切り替わる。
《ノア/第三区画》
《ノア/第五区画》
「分けられた」
「これでいいか」
「いいんじゃない?」
それで終わった。
本人確認の方には、最初から何の問題も起きていない。単に、同じ場所で同じ呼び方をする者が二人いたから、呼び分けが必要になっただけだった。
◇
訓練終了。
帰り際、端末へ表示された師匠の情報が目に入った。
《個体識別:確認済》
《登録呼称:ガルド・ゼン》
普通の名前だった。
少なくとも、俺にはそう見える。
「師匠」
「なんだ」
「そういえば、俺も師匠のこと登録呼称で呼んでないですね」
「今さらか」
「いや、知ってはいましたけど」
師匠はガルド・ゼンという名前だ。
でも俺がこの人を呼ぶときは、ずっと師匠である。
「じゃあ『師匠』も登録した方がいいですか?」
「いらん」
「即答ですね」
「お前しか呼ばん」
それもそうだった。
端末ではガルド・ゼン。
俺が呼ぶときは師匠。
どちらでも、振り向く相手は同じである。
考えてみれば、名前が何であるかと、目の前にいるのが誰なのかは、最初から別の話だった。
【TIPS:名前と呼称】
銀河社会では、個体や集団を示す名称の形式は非常に多い。
音声による名前だけでなく、光、色、匂い、身体模様、電磁信号、精神波、動作、位置関係などが名称として機能する文化も存在する。
一個体が複数の名称を持つことも珍しくない。
家庭内で使う名、社会生活で使う名、職務上の名、契約に用いる名、成長段階によって変化する名など、その役割は文化によって異なる。
銀河統合宇宙軍では、それらを一つの形式へ統一することはしていない。
本人を確認するための《個体識別》と、通常の意思疎通で他者が使用する《登録呼称》は、別々に管理されている。
登録呼称は、必ずしも本人の文化における唯一の名前でも、最も重要な名前でもない。必要なのは、相手を適切に呼べること。
本人確認は、また別の仕事である。
なお、同じ登録呼称を使う者は普通にいる。
銀河が広くなっても、名前がかぶる問題まではなくならなかった。
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今日も銀河は平和です。
たぶん。




