第五話 拝見、あなたの本棚 前
あ、という顔になった先輩が、さりげない動きで腕から女子の手を外し、アオハルの輪からするりと抜けた。
「春川?」
「じゃ、俺行く」
「えー? なに? ほんとに帰るのー?」
呼びかけに答えず、先輩は俺のところに小走りで駆け寄ってくる。門から覗く俺の視界を自分の身体で遮った。
「ごめん、お待たせ」
そう言うと、先輩が俺の肩に手を置いて、くるりと身体を回した。
「え?」
そのまま背負ったリュックを軽く押されるように促されて、来た道を引き返した。
急いで門から離れたいというような雰囲気に瞬きしつつ、先輩の手がリュックごしに背中に回っているのが気になってどぎまぎする。
「え、待ってだれ?」
「男? 男じゃん」
「なんだ、男か」
「どこの制服?」
「東高じゃない?」
「顔わかんなかったね」
後ろから賑やかな声がまだかすかに聞こえた。
そうか、俺の顔見られたくなかったんだ。とその声を聞いて思い至った。
校門が見えなくなるまで歩いたところで、先輩は俺から腕を離して軽く息をついた。
「あの、すみません」
「え?」
「勝手に来ちゃって」
俺はぺこっと頭を下げる。
きっと、学校まで来たのは迷惑だった。
よく考えたら、いくら仲がよくても冴えない見た目の俺が先輩の待ち合わせの相手だって見られたら恥ずかしいよな。ちゃんと考えればよかった。
前田のことがあってもっと気をつけなきゃと思ったのに、全然ダメじゃん、俺。
「駅で待ち合わせって言われたのに、余計なことして、すみません」
「待った。なんで謝る? みずき、ちょっとこっち来て」
先輩が真面目な顔になって俺の腕を掴んだ。近くの横道に引っ張っられる。
学生が歩いていない道でまで来て、先輩が俺の顔を覗き込んできた。
「引っ張ってごめん。せっかく来てくれたのに余計なこととか思わないけど、どうした?」
「……迷惑じゃなかったですか?」
「全然。さっさと逃げたのは、あそこで山﨑とかクラスの女子に絡まれたらみずきが引くなと思って」
「そうですか? 俺邪魔じゃなかったですか?」
「全く。俺が誘ったんだし、それで俺が怒ってたら俺の情緒おかしいでしょ。待ってる間誰かに絡まれなかった? 大丈夫?」
「は、はい……」
頷いたら、先輩がほっとしたように笑った。その笑みを見たら俺も力が抜ける。
「すみません、俺マイナス思考になっててうざくて」
「うざくないし、俺は朝だけじゃなく帰りもみずきに会えてラッキー以外ないけど」
「え?」
「とりあえずなんかあったのはわかった。行こう。俺の家でい?」
「はい!?」
さらっと言われたことに仰天する。今、俺の家って言った?
「駅前だと知り合いに会いそうだし、ゆっくり話すなら家がいいと思うけど」
「先輩の……家ですか?」
「うん。親仕事だし、妹はそのうち帰ってくるけどまだ時間あるから」
せ、先輩の家に、行っていいんですか?
そんな簡単に?
という心の声がして、心臓が大きく跳ねる。
「家以外だと……話せるとこ、公園とか? 寒くない?」
「そ、そうですね」
「俺の部屋来たら本棚あるよ」
「行きます」
つい即答してしまい、先輩が笑った。
「見てもいいんですか?」
「いいよ。そんなにたくさんはないけど」
本棚、という言葉につられ現金にもテンションが急上昇した。躊躇していた気持ちを容易く乗り越えて、一瞬で「行く」が勝る。なんなら色々な葛藤を忘れ去り「ぜひ」という副詞もそこに乗っかった。
「本見たら、みずき元気になるかなと思って」
「ほんとにいいんですか?」
「特に面白いものはないけど、みずきならいいよ」
気持ちがふわっと浮上する。先輩の言葉が嬉しかったから、ちょっと照れてはにかんだ。
「わ……た、楽しみです!」
「うん。可愛すぎてギュンだね」
「え?」
「え?」
何か今聞こえた?
聞き返したら、先輩もきょとんとしたから、俺は幻聴か? と首を傾げた。
気のせいか。先輩から可愛い、みたいな単語が聞こえた気がするけど、突然で意味わかんないしな。聞き間違いだろう。
「じゃあ帰ろう。こっちだよ」
先輩はさくさく歩き始めた。慌てて追いかけながら、俺は先輩の背中を見つめる。
ふと、こんなに間近で背中を見るのも初めてだと気づいた。一緒に道を歩くのも、よく考えたら初めてじゃない?
思っていたより、先輩は背中が広い。並ぶと俺よりも頭一つくらい背が高くて、スタイルがいい。腰の位置、明らかに俺と違うよな……?
でもすらっとして見えるけど体つきは結構しっかりしてる。さっき掴まれた手も、大きかった。
綺麗ってだけじゃなくて、男らしいところもあるんだな、と思ったら胸の奥が変にざわついた。
先輩の隣を歩けるのが嬉しいのに、同時に緊張して、なんだか落ち着かないような。
「みずき、定期だからチャージとかしなくて大丈夫だよね」
「あ、は、はい」
話しかけられて我に返り、先輩に続いて改札を通過した。
いつもは先輩が降りる駅で、今日は二人で一緒に乗る。
◇
先輩の家は、駅から五分ほど歩いたところにあるマンションだった。先輩の駅で下車するのも新鮮で、駅周りを簡単に案内してくれる先輩に連れられて馴染みのない街を進む。
本の話をしながら住宅地に入ると、先輩がふと話題を変えた。
「ちょっとフライングするけど」
「はい?」
のんびり歩く先輩の声が少しだけ固くなったように感じて、首を傾げた。
「みずきが元気なかった原因って、失恋とか、そういうのだったりする?」
「はい!?」
びっくりして声が裏返った。
「いえ、違います!」
「ほんと? 彼女絡みじゃない?」
「いや、いやいやいや。いないですよ彼女なんて。俺のどこを見たら彼女がいるように見えるんですか」
「普通にいそうなんだけど……」
「そんなこと誰にも言われたことないです! じゃあ……先輩こそ、彼女いるんですか?」
「いない」
さらっと返ってきた答えを聞いて、知らず力んでいた肩から力が抜けた。
彼女いないのか。
そっか。よかった。先輩とは全然そういう話しなかったから今まで聞くタイミングがなかったんだ。
……でも、よかった。って?
自分の感想に内心首を傾げたら、先輩からも「よかった」という呟きが聞こえた。
「ん?」
今、俺の心読んだ? そんなわけないよな。
なら今のは先輩の感想?
俺に彼女がいなくてよかった。って意味かな。タイミング的に。
自分を差し置いて俺にいたら悔しいとかそういう……ことはないだろう。先輩はその気になったらいくらでも彼女作れるから俺なんて意識する必要ない。
じゃあ、俺の悩みが恋愛関係だったら相談乗るのが面倒だった、ってことか?
うーん? そんなに冷たい人じゃないな。
「先輩、今のってどういう……」
「ここだよ。五階」
言いかけたところで先輩の家についた。
話が途切れたけど、先輩が指差したマンションの方が気になって周りの景色に集中した。
地上十階くらいのマンションで、ベランダの間隔を見るとファミリー用の一般的なやつだ。入り口は自動ドアを入ってからもう一つオートロックを開けて中に入るタイプ。
俺は小さいときから一軒家だから、マンションにはなんとなく憧れがある。
中に入って、手慣れた動作でオートロックの鍵を開ける先輩。
うん、かっこいい。
いや鍵開けるだけでかっこいいってなんだ。でも後ろ姿がちょっとなで肩で、肩幅が広くて目を引かれる。
何が言いたいかっていうと、前だけじゃなくて後ろもってことなんだ。先輩は360度かっこいいってことを、再確認したんだ。それだけ。
言い訳めいたことを考えていたら、エレベーターで五階についていた。
玄関のドアを開けた先輩が「どうぞ」と言って中に入れてくれる。
他人の家に入るなんてあまりないので緊張したけど、先輩が言うとおり家族は不在だった。
あの春川先輩の家に……とドキドキしつつ、お邪魔する。
中はいたって普通で、通されたリビングはほどよく片付いていて、ほどよく雑然としていて生活感がある。俺の家の雰囲気と大差ないかもと感じてひとまずほっとした。
「一瞬いい? 体裁整えてくるから」
「あ、はい」
先輩が部屋を片付けると言うので立ったままリビングで待つと、五分も経たないうちに戻ってきた。
「お待たせ。こっち」
玄関から一番近い扉が先輩の部屋だったらしい。廊下を戻って、緊張しつつ部屋に入る。
ぱっと見た印象は、思ったより普通で逆に安心した。
ああ、先輩の部屋だな。と内心独りごちる。先輩の香水が、部屋に馴染んでいていつもの匂いがする。
モノトーンで揃えられた部屋で、正面にある本棚が目についた。そこだけカラフルな背表紙が並んでいるから目立っている。
「片付いてるようで片付いてないから、あんま細かいところ見ないでね」
「本棚は見ても大丈夫ですか?」
「いいよ。気になるやつあったら出していいし」
「単行本も結構ありますね」
「ほとんど昔読んだやつだよ。それが幅きかせててそろそろ入らなくなってきたから、整理しようと思っててできてない」
先輩の部屋に来てると思うと緊張してしまいそうで、本を見て気を紛らわせることにした。
壁まで進んで、漫画と小説の背表紙が並ぶ本棚の前にしゃがむ。腰くらいまでの収納棚で、インテリアとしてはどっちかというと天板の上のディスプレイスペースがメインだろう。
棚の上にはお洒落な置き時計とか、お土産らしきスノードームもあるけど、半分以上本とゲーム機に侵食されている。とりあえず置いた、という気持ちがすごくわかる。ちょっと大雑把なところもあるんだ、となんか安心した。
「飲み物とってくる」
と言って先輩がリビングに戻っていったので、俺は改めて本の背表紙に注目した。




