第三話 好きなものってどういう意味ですか…
次の日、電車が駅に着くと、春川先輩は乗り込んでくるなり俺の席を覗き込んだ。
「昨日、ごめん」
俺の顔色をうかがうような先輩の態度にちょっと面食らう。
「おはようございます」
俺が挨拶したら先輩はほっとした顔で笑い、「おはよ」と言っていつものように俺の隣に座った。
「すごいうるさかったでしょ。こいつらバカだなーて思わなかった?」
「全然。先輩の雰囲気が新鮮だったし、話も面白かったです」
「ほんとかな……」
「あ、聞いちゃってて、それはすみません。聞き耳立ててたわけじゃないんですけど」
「いいよ。あいつの声でかいし。でも教室のノリ聞かれてたの普通に恥ずかしい」
「こっちの車両に乗らなくてよかったんじゃ? 多分隣も空いてましたよ」
「みずきが、俺が来ないって思うんじゃないかと思って」
「え?」
ぽそっと言った先輩を見る。
先輩はスマホに目を落としていて、縁を指で撫でながらちょっと早口になった。
「あいつが朝急に一緒の時間に来るとか言うから、みずきに言っておきたかったけどできなくて。来ないなって心配させるかなと思ったから、なら同じ車両に乗ればいいかって。みずきの顔見たかったし」
「あ、そっか……。ありがとうございます。気を遣ってくれたんですね」
別に毎朝一緒に行こうと約束をしているわけでもないのに、俺に気遣ってくれたのか。
お礼を言ったら、先輩はにこりと笑った。
「俺がそうしたかっただけ。でもみずきのことあいつに知られんの嫌だから、話しかけなかった。ごめんね」
ごめんね、という声がやけに優しく響いてドキッとした。ドキッとした自分に慌てて、急いで首を振った。
「そんなの全然大丈夫です。先輩こそ、俺がいつも話しかけちゃって大丈夫ですか?」
「もちろんいいよ。なんで?」
「昨日、一人で本読めるのがいい、みたいなこと言ってたから」
「ああ、あれはあいつに来んなよっていう、牽制だから。本読むのはいつでもできるし、朝はみずきと話す方が楽しい」
「あ……俺も、です」
綺麗な顔でさらっとそんなことを言われたので、俺はどもりながら懸命に同意した。照れずにこんなこと言えるってすごいな。
でも楽しいと言われて、俺はちょっと弾んだ気持ちになっている。つまり、これからも一緒に乗ってていいってことだよな。
頬が熱くなっている気がして、下を向いてリュックのベルトを意味もなくいじっていると、横から先輩の視線を感じた。
「俺、自分の好きなもの人に見せたくないタイプなんだよね」
「……ん?」
なんか、聞き間違い? 先輩から好きっていう言葉聞こえたけど。
動揺するより先に、俺の目の前にずいっとスマホが差し出された。
「だから、今更なんだけど連絡先交換しよ。また急に昨日みたいになったら、事前に教えたいから」
「あ、はい。そうですね」
慌てて俺もスマホを取り出す。
言われるままにメッセージアプリのアカウントを交換した。俺の頭の中はさっきの先輩のセリフがまだくるくるしていたので、先輩のアイコンが増えたリストを見つめながらぼーっとしてしまう。
「朝の連絡じゃなくても話しかけてい?」
「はい。もちろん」
「じゃあ暇なとき緩くやり取りしよ」
嬉しそうにスマホを見ている先輩を眺め、俺は時間差で心臓がドコドコいうのを感じた。煮込んだスープみたいに、またじわじわ顔が熱くなってくる。
手の中でスマホが震えた。
画面を見ると、隣にいる先輩からのメッセージ。
トーク画面に、絶妙な感じで太ったブサ猫が『よろしく』と言っているイラストのスタンプが表示された。名前しか知らないブランドのおしゃれな香水瓶が先輩のアイコンで、その先輩が俺のトーク画面にいる。
連絡先、ゲットしちゃった。あの春川先輩の。
まだ現実感のない俺は、とりあえず何か反応しなければという気持ちで気に入ってるスタンプを押し、『よろしく』を返した。
「何これ? 何のキャラ?」
「ひじきです」
「なんで」
噴き出す先輩に「好物なので」と答えると先輩は「渋すぎる」と言ってもっと笑った。
「ご飯のとき副菜で横にあったら嬉しいやつです」
「ああ、そうだね。ご飯進むし。唐揚げについてると俺も嬉しい」
同意してくれる先輩に「ですよね」と頷きながらも、先輩の好きって、そういう方向ですか? という質問は喉まで出かかっていたけど、さすがに口にはできなかった。
◇
「おーい。みずき」
呼ばれて我に返った。顔を上げるとクラスメイトの前田がいる。
昼休みが終わる間際、教室の自分の席でぼんやりしていた。先輩と朝送り合ったスタンプを見ていたからハッとして画面を伏せる。
「あ、ごめん。なに?」
「来週の数Ⅰの小テスト、範囲どこだっけ? メモし忘れたから教えてくんない?」
「いいよ、ちょっと待って」
机からノートを出してめくっていると、隣の席の友人が会話に混ざってきた。
「庵野って前田と同中出身だっけ?」
「そうだよ」
「ああ、だから名前で呼んでんだ」
「そうそう。同中の奴ら大体みんなみずきって呼んでるよな。ある特殊な事情により」
「特殊?」
ノートのページを開いて見せる。前田が覗き込んできて自分のスマホにメモし始めたので、俺が会話を引き継いだ。
「ちょっと珍しいんだけど、中学に同じ読み方で安野って名前の先生がいたから。しかも二年の時担任で。だからみんな名字じゃなくてみずきって呼ぶようになったんだよね」
「へえ、担任は確かに気まずい」
「メモれた。さんきゅー」
「俺の字読めた?」
「うん。まじ助かった。今度お礼する。ありがとな、みずき」
「これくらい気にしないでいいよ」
前田が自分の席に戻っていく。途中、同じグループの男子達に「ほら聞いてきたぞ」と声をかけていた。
陽気で人当たりがいい前田は、見た目も爽やか系のイケメンなので同じクラスでも陽キャグループに属する。普段俺とはつるんでいないが、同じ中学から来たから普通に話すし、同じ沿線に住んでいるから時々行き帰りが一緒になったりもする。
俺は自分のクラスの派手な男子達とは、あまり話が合わなそうで交流することはほぼないけど、前田は顔見知りだし、誰に対しても気さくに話しかけてくれるから頼りになる。いい奴だと思う。
「前田がいるから俺達助かるよな~。変にギスギスしなくていいわ~」
そうコメントした隣の友人こそが、俺の牧草仲間である友人Aこと黒木だ。眼鏡をかけた秀才顔で、いつも悠々と草食んでるみたいに何事に対してもゆったり構えている。
クラスではいつもあと二人混えて四人で移動することが多いけど、俺が一番話すのは隣の席の黒木だ。
「前田話しかけやすくていいよね」
「な。西野達って、中学で結構派手だったから同じクラスってどうかと思ってたけど、前田のおかげで平和でいいわ」
「ふーん。西野ってそんなかんじだったんだ?」
名前が上がったのは、陽キャグループの一人だ。そういえば黒木と同じ中学の出身だと聞いたことがある。確かに声は大きいし、騒いでいるときは大体西野が真ん中にいる。
時々やむを得ずちょっとした交流が必要なときもあって、そのときは前田に話しに行けばいいから助かっている。前田はいつも陽気だけどうるさいって感じでもなく、明るいテンションが安定してるから絡みやすい。当然女子ウケもいい。
春川先輩も、クラスの中だったらそんな感じなのかな。
なんて、不意に思ったりした。
いつも落ち着いてるし、周りの空気を読むのが上手そうだからみんなに慕われてそう。そんで女子にモテるんだろうな。あの顔と性格でモテない方がおかしい。現にこの前、友達にモテるって言われてたし。
そうしたら、急に胸が詰まった感じがして、あれ?と思った。
おかしいな。先輩が人気者だろうってことくらい、とっくに想像ついてたはずなんだけど。
◇
その日の夜、ベッドに寝そべって本を読んでいた俺はスマホの画面にふっと通知が浮かんだのを視界の端に捉えてハッとした。メッセージの受信だ。開いてみると先輩からだった。
送られてくるかもしれない、とチラチラ気にしていたから、本当にメッセージが来て驚くのと嬉しいのが両方混ざる。
『みずきって、部活やってる?』
という普通の内容だった。突然な話題な気もするし、今まで本の話以外をほとんどしたことがなかったから、こういう基本的な情報は不足しているといえばそうだった。
また何かの事情で朝電車の時間がずれるかもしれないし、教え合っておくにはちょうどいい。
『やってないです。うちの高校は委員会か部活どっちか入ってればよくて、俺は図書委員なので』
そう返すと、すぐにまたシュポンと返事が来た。
『ぽいね じゃあ帰りが遅いんだ』
『はい といっても当番あるのは週に一回ないくらいですけど 先輩は部活やってるんですか?』
『やってない 一年のとき帰宅部ありって聞いて、迷わなかった』
『笑 先輩のとこ進学校ですしね』
『そう 運動部に強さがない 男はみんなモヤシ』
『どういうことですか笑 先輩もこの前の友達も普通に俺より体格よかったですけど』
先輩の方が俺よりよっぽど背も高くて身体も厚い。
俺は食べても筋肉つかないタイプなのか、中学のとき一応は運動部だったのに身体は全然大きくならなかった。
『ほんと? 中学でバスケやっててよかった』
シュポンと送られてくる返事を見て納得した。
先輩とバスケ。イメージがよすぎるし、多分上手かったんだろう。
『バスケ部ありそうですけど高校で続けなかったんですか?』
『のめり込むほど情熱なかったんだよね 誘われてノリで入ったかんじだったから』
『なるほど 俺もソフトテニスやってたんですけど同じようなかんじだったんでわかります』
俺の場合、中学に部活自体が少なくて、男は運動部に入れっていう暗黙の圧力があったから仲のいい友達となんとなくで入った。そこまで上手くなるわけでもなかったし、ほぼ外周と壁打ちしてたな。
『テニス上手いの?』
『球拾いの速さなら誰にも負けませんね』
『笑 運動部はコートの取り合いなるよね』
『そうなんです 二年までは週の半分外周してました』
『今度球拾いしてるとこ見せて』
『え? どうやってですか?』
『動画で』
『動画笑 無茶です』
部屋に一人でいるのに笑い出しそうになって枕に顔を埋める。
『ところで先輩の好物ってなんですか? 俺はこれですけど』
と、出し抜けにスタンプを送る。
朝電車の中でも送った、ひじきのキャラだ。箸休め一族というシリーズのゆるキャラで、最近俺の中だけで流行っている。
今朝は先輩の好物を聞けなかったから、ちょっと気になっていた。
先輩からは『やっぱひじき笑』と返事があった後、少し遅れて質問の答えが来た。
『食べ物なら肉かな』
『具体的な料理だとなんですか?』
『生姜焼き……?』
『疑問形笑 パンじゃないんですね』
『パン忘れて 恥ずかしいから』
『笑 結局、昨日買ったんですか?』
『買った 俺も』
『笑』
また枕に顔を埋めて笑ってしまう。
ぽちぽちと短いやり取りを続けて、気づいたら三十分経っていた。あっという間に時間が経っていて驚く。
そろそろ寝よう、と思った頃に先輩がほどよく話を切り上げてくれた。
『また明日』
『おやすみなさい』
『おやすみ』
挨拶を送り合って、なんとなく頬がじわっと熱くなった。
なんか、お休みの挨拶するのって、照れるな。黒木とは夜にやり取りしててもおやすみ、なんてわざわざ送ったりしないし。
ちょっと火照った顔を手で仰いで、スマホを枕元に戻す。
今日は全然本の話をしなかった。いつの間にか、本の話題がなくても先輩と話せるようになってる。
そう思って、ちょっと自分にびっくりした。それから、仲良くなれた気がして浮き足だったみたいに気分がいい。
明日は何を話そう。
部屋の電気を消して、もう数時間後に会う先輩のことを考えながら目を閉じたら、自然に眠りについていた。




