第二話 ただし、イケメンに限るのでときめきます
明日から、俺はどうすればいいのか。
一日中、春川先輩との会話を頭の中で再生した。
俺っておかしなこと言ってなかった?
いや言ってたね、と毎回秒で落ち込む。俺、絶対不審に見えてた。キョドってたし。
思い出してはしおしおと一人反省会してたら、あっという間に夜になる。
まだいける、という謎の自信により小寒くなっても薄いタオルケットで頑張ってるベッドにもそもそと潜り込み、横を向いて身体を丸める。二階にある俺の部屋は天井まで届くバカでかい本棚がある以外、いたって普通の洋室だ。兄弟はいないから誰かと共有することもない、一人部屋。
明日のアラームをONにしようとスマホに手を伸ばし、ふと思った。
……電車の時間、ずらしてみる?
そんな思いつきが頭をよぎる。
先輩はまた明日って言ってくれたけど、ほんとは社交辞令かも。なんなら今日話しちゃったから明日からどうしよ、だる……とか思ってるかもしれない。
俺が電車の時間をずらして、車両を変えたら、もう春川先輩には会わない。先輩は俺が乗る駅を知らないし、帰りの時間には一度も会ったことがないから。
あからさまに時間変えやがったなとムカつかせるかもだけど、ちょっと話した俺のことなんてすぐ忘れるだろうし。
また明日テンパって後悔するより、少しの間だけでも時間ずらした方がいいんじゃないか。ほら、テスト期間でいつもよりさらに朝早くて、とか、また会えたときに言い訳すればいい。
と、半分くらい真剣にシミュレーションしたけど、頭に浮かんだのは春川先輩の笑顔だった。
みずき、と名前を呼んだときの先輩のちょっと得意そうに口の端が上がった顔。どうしてか、初めて見た先輩の笑った顔を思い出すと胸がそわそわする。また見たいな、なんてことを考えてしまう。
また明日、と言ってくれた。
俺が頷いたら、迷惑そうじゃなかった。と、思うんだけど……
ごろっと寝返って、タオルケットを頭まで引っ張って潜った。水色のタオル生地は透けるから、蛍光灯の白々した光を妨げない。
俺はどうしたいんだ?
今まで、俺と先輩の間には見えない膜があったのに、それが突然なくなってしまった。
困るよ。急に通り抜けられますよ、とか言われても。
仲良くなれるにしても、もうちょっとこう、先輩の性格とか物事の好き嫌いとか確かめてから、不快にさせない完璧な自己紹介をしたかった。
つまんない奴って思われたくないし、何が地雷かわかんないもん。
初めて話す相手との会話って、どうやるんだっけ。半年前に入学したときやったはずなのに、話のネタとか、どんな順番で何を話したか全然覚えてないや。
どこの中学から来たん、とか部活何やってたとか、多分そんな話をした気がするけど……そしたら一ヶ月くらいで自然に同じ属性っぽい奴らでまとまった。あれなんなんだろうな。生き物の習性?
俺は見た目で大人しい系って思われたのか、派手グループからの絡みはなく、ごく普通の男のみ四人組というちょうどいい塩梅の輪にいる。半年経っても平和でラッキーだ。毎日のんびり草を喰もうやっていうか、もう俺達が牧草地帯って感じ。
でも、春川先輩とはどうやって話せばいいんだ?
先輩は俺が仲良くなったことのないタイプだ。教室にいたら、先輩は絶対賑やかでキラキラしたグループにいて、廊下歩いてるだけで男女関係なくわらわら集まってくる。先輩の話し方はお喋りって感じじゃなかったけど、もうオーラがカッコいいもん。黙っててもイケメンってずっと思ってたし。自然に目が追っちゃうって、ああいうことなんだろうなって思う。
対して、俺は背景の草。一軍系男子とどう話せっていうんじゃ。先輩を楽しませる話術なんて持ち合わせてない。
明日先輩が乗ってきたら、あいさつだけしていつものように本を読む、というのはダメか……?
でも、本当にそれでいい?
俺の頭に別の俺が現れて、ジト目をしてくる。
「なんだよ、そんな目で見んなよ……」
俺だって、先輩とわいわい話せるなら仲良くなりたいよ。
バサっとタオルケットをめくって、明るい空間に顔を出す。手足を伸ばして仰向けに。
新鮮な空気が胸に入ってきて、ぐるぐるしていた頭が少しすっきりする。
わかってる。うだうだしてても、俺は心のどこかで明日を楽しみにしてる。先輩のこと、ずっと気になってたから。
いつも読んでる本のこと、話してみたいって、話せたらいいのにって、思ってた。
今日先輩に話しかけてもらえて、びっくりしたけど嬉しかった。
春川夜鷹先輩。
今日知った名前を心の中で唱えると、誰にも見えない虚空に浮かんだ字は夜空の星みたいにキラキラしてる気がする。
名前がわかったら、先輩は俺の中でもっとクリアになった。
もっと話してみたい。
先輩のことを知ってみたい。
上手く話せなくてまた後悔するかもしれないけど、でも失敗が一日増えたところで失うものは何もないし。
「よし」
小さく呟いて、仰向けのまま伸びをした。
明日も、いつもの電車に乗ろう。
枕の上に手を伸ばし、帰ってきてから途中まで読んでいた文庫本を手探りで掴む。腕を伸ばして目の前に掲げた。
本棚の奥から引っ張り出した本はもう何年も開いていなかったから、ページの間から外に解き放たれたインクの独特な匂いがする。
とある出版社の子供向け文庫の11番。
この文庫の背表紙の色は対象年齢に合わせているらしい。図書館の児童書エリアでよく目にした、なんとなく懐かしさを覚える色味。確か持ってたよな、と思って漁ってみたら、やっぱり作品集の一つに収録されていた。
今日はこれを読んで寝よう。
明日のことを考えたら、もうドキドキし始めてしまうから、胸を落ち着けてごろんと寝返って集中した。
文字を拾って、広い空に羽ばたくようなイメージが浮かぶ。
先輩と同じ名前の童話。
夜空に心を残した、優しい鳥の話。
◇
さて、翌朝。
俺は昨夜の決意の通り、同じ時間の電車の、いつもの場所に座っている。今日は昨日の混雑から戻って車内の人はまばらだ。
あと一駅。
先輩の駅が近づいてくる。なんかもうすでに心臓がヤバい。
どうしよう。どういう顔で乗ってたらいいんだ。待ってましたよ、みたいな? それとも昨日の遭遇なんてちっとも気にしてないです、みたいな顔で本読んでればいいのか?
向かいに誰もいないのをいいことに両手で顔を覆って百面相する。深呼吸してもドキドキが収まらない。
次の駅名を告げるアナウンスが流れ、電車が減速し始めた。
窓の外の景色が横に流れていって、反対側のホームの駅名標が読めるくらいゆっくりになる。
俺には乗ってくる人が見えない。ホームを背にして座っているからだ。
いるのかな、乗ってくるのかな。
跳ねる勢いでドコドコいう鼓動に自分でビビっていると、プシューと扉の音がする。
人が乗り込む足音が聞こえたとき、俺は自分が本を開くのを忘れたことにハッと気づいた。しまった。緊張しすぎて用意するの忘れた。膝の上に抱えたリュックから取り出すのはもう間に合わない。
俯いた視線の先に、トン、と茶色の革靴が現れて止まる。いつもと違って、つま先がこっちに向いてる。
そろっと顔を上げると、春川先輩が立っていた。
俺を見て、表情をふわっと和らげて、でも大きなリアクションをするでもなく、普通に笑った。
「おはよ」
「お、おはようございます」
「座ってい?」
「はい!」
先輩が自然に俺の右隣に座った。
肩から下ろした鞄を床に置くのを見て、俺の心臓はまたドコドコし始める。
と、隣に……座ったよ。昨日に引き続き、先輩が俺の横に。
文庫本を出し忘れた俺は両手でリュックをぎゅっと抱え、先輩が長い足を投げ出さずに常識的なスペースに収納するのを見守る。
「昨日、ごめんね」
「えっ? はい。え?」
出し抜けに言われて思わず頷いたが、すぐに首を捻った。
「突然話しかけちゃって、平気だった?」
「あ、はい。全然」
「よかった。うざがられたかもと思って心配だった」
唇の端だけ少し上げて、小さく笑った先輩が今日もキラキラしている。
見惚れてしまいそうになり、ハッとして慌てて首を横に振った。
「そんなことないです、あの、嬉しかったんで」
「え?」
「いや、あの、先輩がいつも本読んでるから、気になってたっていうか。話しかけてもらえて、わーいっていうかんじで……」
俺は何を言ってるんだ……?
ど緊張してるせいで頭の中の言葉がそのまま口から出てる。待って、わーいって何? また変な奴って思われる。やめろ、軽率に話すな、俺の中の俺……!
先輩が黙ってしまったので早くもヤバいと思い、リュックを握って鎮痛な顔でうつむく。今日こそは普通に会話したいと思っていたのに、忸怩たる思いです。
「……よかった」
右からぽろっと声がして、俺は顔を上げた。
そっと横を見ると、春川先輩はスマホを手でもて遊びながら正面の窓を見ていた。
綺麗に口角が上がる、先輩の横顔。
「俺もずっと話しかけたいなって、思ってたから」
「…………へぁ」
え、えーーーー??
そうだったのーーーー??
驚きすぎて、俺達両思いだったんですね! っていう謎のコメントが口から出そうになったので全力で口をチャックした。
先輩も俺に話しかけたかった? 待ってどうしよう心臓跳ねすぎて喉から出そう。
春川先輩が固まってる俺に気づいて数回瞬きした。
「……ごめん。言い方キモかった。やり直す。ちょっと前から、いつか話してみたいなって思ってて。本の好み同じかなとか」
「あ、それは俺も思ってました」
先輩がほっとしたように口元を緩める。
「気軽に話していいから。別に先輩とか思わなくていいし。呼ぶの春川でいいし、タメ口でいいから」
「いえいえ、ちょっと、それはさすがにハードル高いのでこのままでお願いします…あの、むしろ俺もちょっと昨日から挙動が怪しくて、すみません」
「俺が急に話しかけたからだよね、ごめんね。普段本の話なんてしないから楽しかった。みずきって呼んでい?」
「あ、はい! 俺、庵野瑞季といいます」
「うん。よろしく。みずき、苗字あ行なんだ」
「そうなんです、クラス変わるときは絶対相川とか浅井とかいろ!って願かけするほうで」
どういうほうだよ。
と、自分で思ったが、先輩は「『あ』だとそうなんだ」と普通に相槌してくれた。
「一番いやだから?」
「そ、そう、そんな感じです。たとえ仲のいい井上がいても俺が求めてるのはお前じゃないってかんじで」
「安藤は?」
「あんどう……お前じゃな……いや、安藤はいいです。安藤は俺の前にいてくれます。ナイスです先輩」
「ありがとう」
先輩が下を向いてウケている。
ナイスですってなんだよ。とセルフツッコミした。
話の方向性は謎だけど、でも空気が緩んで俺も緊張が解けてきたからよしとしよう。
「あの、俺昨日言ってた本持ってきてて」
「ほんと? ありがとう」
ようやくリュックを開けて、本を取り出せる。
「借りてもいいの?」
「はい、俺はしばらく読み返さないと思うので、ゆっくりで大丈夫です」
「今読んでるの終わったら読むね」
家から持ってきたライトノベルを先輩に渡すと、自然に本の話になった。
先輩も俺が読んでいた本はなんとなく覚えているらしく、最近どれが面白かったか、新刊がいつ出るか、という話をしていたら、思ったよりも話のネタに困らなかった。
「じゃ、また明日」
「はい、また」
先輩が昨日と同じようにそう言ってくれて、電車を降りる。
今日は俺もちょっとは余裕ができて、笑顔で挨拶できた。
「……また明日って、言ってくれた」
ほっとして、一人残った座席で顔が緩みそうになるのを必死で取り繕った。
昨日よりも上手く話せた気がする。
それに、先輩と本の話をするのはやっぱり楽しかった。自分が好きなものを人と共有できるのって、こんなに楽しかったっけ。春川先輩だからかな。明日も話ができると思うと、自分だけの秘密の楽しみができた気がしてわくわくする。
先輩の『また明日』という言葉に背中を押してもらい、俺は次の日も同じ時間の電車に乗った。
──そして俺と春川先輩は、その後なんと毎朝隣に座って喋るようになったのだ。
◇
「先輩」
「ん?」
「先輩は、なんで本読むようになったんですか?」
隣に座るようになって二週間ほど経ったとき、気になって聞いてしまった。
先輩の人柄がだんだんわかってきてからも、やっぱり腑に落ちないんだよな、と思う。
本の話ができるようになって、先輩が本当に本好きだということはわかったけど、それ以外の印象はやっぱり華やかグループに属する一軍男子のままだ。
俺と話しているときは、先輩はいつも落ち着いてるし、話し方も優しい。笑いのツボは浅めだけど、大声で爆笑したりはしない。
教室の中で友達とバカ騒ぎしてるイメージは今のところないな。
まぁ、俺だって先輩の前では猫被って優等生みたいなキャラ演じてるから、先輩もまだ素を出してないだけかもしれないけど。
時々本のタイトルをスマホで検索したりもするから、ちらっと見える先輩のスマホの画面はいつもSNSの通知がいっぱいきてる。
持ってるものも、つけてる香水も、なんというか目立つ男子が持つことを許されるアイテムばっかりで、ライトノベルも読むよっていう言葉とのギャップにいまだに戸惑うことがある。
でも、最近は俺から話しかけることにも慣れてきたので、聞いてみたら先輩はすんなり教えてくれた。
「小学校のとき、本好きの奴が友達にいたから、そいつの影響。そいつは中学受験してすごいとこ行っちゃったけど、色々すすめてくれた」
「なるほど」
「『脳筋になるな、知性あるゴリラたれ』っていうのがそいつの口癖だった」
「すごい小学生ですね」
「面白い奴だったことは間違いないね」
俺が感心して頷いていると、先輩が俺に顔を向ける。
「それで読み始めたら結構ハマった。みずきは?」
「俺は従兄弟の影響です。小学校の高学年くらいで従兄の家族が地方に引っ越したんですけど、そのとき従兄が読んだ児童書とか全部俺にくれたんです」
せっかくもらったし、と思って試しに一冊読んでみたらそれが面白かった。カードゲームのレアカードみたいにギラギラした表紙で、構えるほど分厚くもなくて文字も大きかった。初心者にはちょうどよかったんだと思う。謎解きみたいな要素もあったから読み進めやすかったし。
全巻ちゃんとあったから少しずつ読んで、それから楽しくなって児童書のファンタジーを色々読み漁ったんだった。
あの偉大なイギリス人作家の魔法学校シリーズの全盛期とは重ならなかったけど、ガッツリハマっていた従兄弟は自分用に文庫版を買うからと単行本は俺に譲ってくれた。
「最近は電子が増えてますけど、俺は紙の本を揃えるのが好きです。本棚に好きな文庫本を並べて背表紙眺めたくて……」
「それはわかる。俺はシリーズ並べたい派」
先輩がすぐに同意してくれたので、嬉しくなって身を乗り出した。
「出版社ごとに並べますか? それとも作者のあいうえお順?」
「仮名の順番はそこまで気にしないかな。好きな作者のシリーズが目につくところに並んでればいいから、それ以外は結構適当。読み返ししない本は下の方の段にごちゃごちゃに入ってるし」
「なるほど。俺はあいうえお順にこだわっちゃうんですよね」
本棚に本をどう並べるかという、本好き以外には全く響かないであろう話が楽しい。
毎日話をして、それでも話題が途切れたり気まずくなったりしないのが不思議で、自分でも自分の積極さに驚いてもいた。
俺って、こんなに人と仲良くなろうと頑張れるタイプの人間だったんだ、みたいな。
毎日高校で授業を聞いたり友人と話していても、ふとした拍子に「あ、この話先輩としよう」と思いついて嬉しくなったりする。
春川先輩と話すようになってから、毎日明日がくるのが楽しみになった。毎晩、明日何を話そうって考えながら寝てる。
金曜の朝先輩が電車から降りていった後、次は月曜か、と気分が下がるくらいだ。
でもちょっとだけ困っていることがある。
先輩と電車で話すのは俺の中で日常になってきてるのに、先輩が乗ってくるまでの数駅の間、俺はいつもドキドキしてしまって読書に集中できないから。
◇
その日も、先輩の駅に着くまで、俺はいつもの席に座ってあれこれと考えていた。
そういえば、昨日話していた本の続巻が出るらしいから、先輩が知ってるか聞いてみよう。初版には限定のしおりがつくってネットで見かけたから、ほしいならすぐ買わなきゃって、教えなきゃ。
あと一駅。
先輩、今日もブレザーの下にカーディガン着てるかな。
電車が駅についた。
ドアが開く音がして、人が乗り込んでくる。
見慣れた制服が視界に入ってすぐに挨拶しようとしたら、先輩の隣に知らない男子高生がいて声が引っ込んだ。
先輩と同じ制服だ。親しそうに話しているから友達なんだろう。先輩が誰かと電車に乗ってくるのを初めて見る。
会話を遮って挨拶しづらくて、そっと様子をうかがった。
友人さんは先輩と同じくらいの身長だ。先輩は今日グレーのカーディガンで、こっちの人は黒いパーカーをブレザーの下に着ている。並んでいると、完成された今どき男子のお手本みたいだった。
圧倒的陽のオーラに完全に気後れする。
「この時間ガラガラだなー」
先輩の友人は当然俺を知らないので、目の前を横切って空いてる車内を突っ切っていく。
対面ではなく俺と同じ側に、いくつか席を離して腰を下ろした。
春川先輩は一瞬俺を見てアイコンタクトした気がしたけど、声をかけられることはなくて、そのまま友達の隣に行った。
まぁ、俺に話しかけたら、こいつ誰? って話になるから面倒だよな。
当然の反応。会話の邪魔しないように知らないふりしよう。
俺はリュックから文庫本を取り出して開いた。
目で文字を追うが、横から聞こえる会話がどうしても気になってしまい、つい聞き耳を立ててしまう。先輩が友達とどんなふうに話すのか、気になるじゃん……!
「春川んち駅から近くていーよね。いつもこの時間に乗ってんの? 早すぎじゃね?」
「人少ないから座れるし、周り気にしないで本読んだりできるから快適なんだよ」
「ふーん。一年の頃はちょくちょく会ってたのに、二年になって全然会わなくなったから時間変えたんかと思ってたわ。これから俺もこの時間にこよっかな」
「起きれんの?」
「無理っす」
「まあ、来ても一緒の車両座んないけどね」
「応援くらいして。優しくないよ、春川君」
「俺はこの時間に一人で乗るの気に入ってるんだから、邪魔すんな」
「ケチー。クラスの皆に春川が乗ってる電車の時間バラしてやる」
「そうしたらもうお前にはテストの山張りを教えない」
「すみませんでした」
テンポのいい会話だな。
友達と話すときの先輩の素を見てるって感じでちょっと新鮮だ。いつも俺と話すときよりも口調が雑だし。
「あー腹減った。今日早く出たから時間なくて朝メシ抜いたんだわ。春川、教室着いたら早弁どう?」
「しねーよ」
「春川の弁当を食べさせてくれんのはどう?」
「なんで俺の弁当食うんだよ。自分の食べろ」
「はあ……あれもダメこれもダメ。つめたい男だよほんと」
「知らん。もたれかかるな」
「でも顔がいいから許しちゃうんですよね。みんな騙されてますよ。あー俺もモテたい。駅着いたらパン買います?」
「誰に話してんだよ」
そっけない口調でも、空気感から気心知れた仲の良さみたいなものが滲んでいるから安心して聞ける。
友人さんは今日はたまたまこの時間に乗ったみたいだ。これから同じ時間に乗ろうというような内容も聞こえたから、俺はちょっとドキっとしてしまった。
でも、実際問題もしそうなったら、俺はもう先輩とは話せないのかな。
さすがに仲のいい友達がいるのに俺のところに来るなんてことはないだろうし。
そう思ったら、不思議なほどがっかりしている自分に気づいた。
先輩と話すの楽しかったから、毎朝のこの時間がなくなってしまうのは寂しい。先輩と他人同士に戻ってしまうなんて、そんなの嫌だな。
やきもきして思い悩んでいたら、二人の話はそのまま食べ物の話題に移行していた。
「まじ腹ヤバい。どうしよ春川、このまま追試とか受けられん」
「女子にお菓子もらえば?」
「いや俺パン食いたいから」
「どんだけパン食いたいんだよ。買えよじゃあ」
「春川何買う? 女子が食べてるちっさいグミとか?」
「あんなん買うなら俺もパン食べるわ」
「パン万能説……そういや春川、ドバイチョコって知ってる?」
「ドバイ? なに急に。アラブの?」
「そう、最近流行ってんだって、なんか高級?チョコ。綾ちゃんが昨日言ってて、なんやそれってなった」
「ただのチョコとどう違うん」
「ちょい待ち、昨日調べた」
友人さんがスマホを取り出す。
「ドバイチョコレートとは、ドバイ発祥の高級チョコレートです。チョコレートの中に、濃厚なピスタチオペーストと、カダイフを香ばしく炒めたものをたっぷりと詰め込んでいるのが特徴です。とのこと」
「何? カダ……?」
「カダイフ。麵状になってる生地だって。意味わからん。俺も昨日知ったけど何もわからんってなった」
スマホを二人で覗き込んでいるらしい。はあ、とか。ふーん、とかいう先輩の声が聞こえる。
「よくわかんないわ。忘れよ」
「いさぎよ。そういうとこ好きだわ春川」
「男はパン食えばいいよ」
「お前もパン好きなんじゃん」
「一応、綾ちゃんにはドバイのやつ美味しかったら教えてって言っといて」
「もう、すぐ手のひら返すんだから……」
ちょっと落ち込んでいたのに、会話を聞いていたらつい笑ってしまいそうになる。
先輩は、やっぱり大声で冗談を言って笑うようなタイプじゃない。普段はこんな感じなんだな、とわかって嬉しくもあった。ちゃんと男子のノリで、なんか安心。
先輩楽しそうだし、友達がいたらやっぱり俺なんかと話すよりもそっちの方がいいよな。寂しいけど、先輩が楽しそうな方が俺も嬉しいし。
二人の会話を心地よく聞き流しつつ文庫本にちょくちょく目を落としていると、やがて先輩達が降りる駅に着いた。
友人さんは相変わらず話し続けていて、俺の前を横切ってホームに降りていく。
それに続いて、相づちを打つ先輩が俺の前を通る。
また一瞬目があった気がして、俺は軽く会釈した。
「ごめんね」
と、ほんの小さな囁きが聞こえた気がした。
それから、ぽん、と俺の頭の上に軽い感触が乗る。温かいものが優しく触れて、すぐに離れた。
「っ?」
それが先輩の手だと気づいたときには、もう先輩は電車を降りている。
プシューと音を立てて扉が閉まった。
え。今、頭ぽんって……
残された俺は横を向いたまま固まって、一瞬後にぶわっと赤面した。
「えぇ……?」
なんだ今の。ただしイケメンに限るってやつ? すごいよ、ドキドキする。
ドキドキというか、これはもうキュンじゃない?
先輩の手の感触が頭に残っている気がして、意識したら心臓の音がうるさい。文庫本に目を戻しても、ちっとも頭に入らなかった。
ちょっと、このままだと俺はヤバいんじゃないか?
何がヤバいのかは、自分にもよくわかんないんだけど。




