第九話 会えなくなっちゃった
次の日の水曜日、予告通り、先輩は駅についても乗ってこなかった。
いつもの駅で、冷たい空気だけが扉から吹き込むのを感じて、わかっていたはずなのに俺はやっぱり寂しかった。
こんなふうに会えなくなるなんて、想像してなかったな。
寂しいけど、胡桃ちゃんのことを考えたらこれが最善だ。俺が先輩と会えなくなってショックを受けていたら、怖い目にあった胡桃ちゃんに悪い気がする。
先輩は、自分の登校の前に胡桃ちゃんの降りる駅まで行くから、いつもよりもさらに早いらしい。その日の夜、送られてきたメッセージはちょっと疲れた風だった。
『眠すぎて風呂諦めそう 老人くらい朝早い』
『大丈夫でした? 今日のテスト』
『逆にいけてる いまテストだから耐えれてる感じある 授業に戻った瞬間寝ると思う』
『夜早く寝てくださいね』
『うん これ続けたら健康になれる気がする 次会ったときに別人になってたらごめん』
『そこまで笑』
先輩は眠そうだし、まだ試験勉強もあるから、やり取り自体は数回で終わった。
俺はまだ気持ちの切り替えが上手くできない。
朝先輩に会えないことも、本の話ができないことも、現実味がなくて乾いた寂しさみたいなものを持て余している。
勉強をしながら机に突っ伏し、顔を横に向けると本棚が目に入った。
目線の高さには、ガチャガチャのキーホルダーの横に、最近買ったお気に入りの本が並んでいる。先輩におすすめされて読んだSFの短編集とか、文庫が出るのを待っていた館ミステリーの新作とか。
そういえば最近、本の並び順を整理してないな。
そう気づいて、俺はああそうか、と目を閉じた。
いつの間にか、本の並べ方が変わってる。先輩のやり方が、うつってたんだ。
◇
木曜日、期末試験で教室の中はピリついていたけど、皆やる気を出していたから雰囲気は悪くなかった。
テストが終わったら冬休みだから、自然と集中できているらしい。
俺も黒木と一緒に休み時間にも単語帳や参考書をめくって勉強しているけど、時々ついぼんやりしてポケットの中に手を入れてしまう。ブレザーのポケットには、家の鍵が入っている。そこについているひじきのキーホルダーが、今ではお守りみたいになっていた。
「庵野、どうかした?」
「え?」
「なんか、昨日から静かじゃね? テスト続きで寝不足?」
昼休みに弁当を食べているとき、黒木が聞いてきた。
「昨日あんま寝てなくて」
と、俺は笑って答えた。
実際、夜集中しきれなくて試験範囲の勉強を終わらせるのに時間がかかっているという自覚はある。
「詰め込みすんのもほどほどの方がいいらしいよ。寝不足だと集中力欠けるって」
「うん、今日は諦めて早く寝る」
相づちを打ちながら、スマホの通知が気になってチラチラ見てしまう。
先輩からの連絡はない。
好きだと自覚してすぐ先輩と会えなくなってしまったから、俺はこの先のことが不安で、どうしたらいいか迷っている。
好きだと知られたら先輩と電車に乗れなくなっちゃうと思っていたのに、現状告白もしてないのに会えなくなった。
このまま先輩と疎遠になっちゃったらどうしよう。
高校も違うから、普通に生活してたら、もう会えない。あんなに毎日が楽しみだったのに。
集中が切れるとついそんなことを考えてしまって、帰り道、駅で「みずき」と声をかけられてもすぐに反応できなかった。
「みーずーき」
ホームで電車を待っていたら、横からひらひらと手が出てきてびっくりした。
「えっ?」
「おーい。ぼんやりしてるけど大丈夫か?」
ハッと顔を向けて、すぐ傍にいる前田に気づく。
「どうした?」
と首を傾げる前田に、慌てて反応した。
「前田、まだ帰ってなかったんだ」
「西野が漢文の問題集、答えなくしたっていうから貸してたら出遅れた」
「貸しちゃっていいの?」
「俺はもう終わってるし、こういうときに貸し作っとくと後で効くから」
相変わらず前田は上手くやっているらしく、にこっと笑った。
「一緒に帰ってい?」
「うん」
「じゃ、ちょっと待ってて」
前田はぱっと走り出すと、ホームの自販機まで行って飲み物を買い、すぐに戻ってきた。
「はい、あげる」
「え」
「あったかいお茶みんな買われててこれしかなかった。どっちがいい?」
差し出されたのは小さいペットボトルのホットレモンと、お汁粉の缶だ。
「レモン一つ買ったら売り切れた。あの自販機、品薄すぎ」
一昨日の夜を思い出す。そういえばあのお汁粉は、胡桃ちゃんが持って帰ったけど家で飲んでくれたんだろうか。
俺がじっとお汁粉の缶を見ていると、前田が缶を差し出してきた。
「お汁粉にする?」
「うん」
「まじ? ネタだったのに。みずきお汁粉好きなの?」
「飲んだことない」
「なんだそれ」
前田が笑って、「まぁ、カイロの代わりにはなるな」と俺の手に渡してくれた。
「お金払うよ」
「いい、ポイントあったから」
そう言われたがさすがに悪い気がして財布を出そうとしたけど、頑なに断られた。
粘り続けるのも気を悪くさせそうなので、ここは素直にお礼を言って引き下がる。
缶は熱すぎて、カーディガンの袖を伸ばして包んだらちょうどよかった。手が温かくなってほっとしていると、前田が改めて聞いてくる。
「みずきはどうした? なんか元気なくない?」
黒木にも言われたけど、俺はそんなに悲壮な顔をしてるんだろうか。自分ではいつも通りのつもりでいるのに。
夕方の早い時間だからか、電車の間隔は長くてまだ少し時間がある。
ふと、前田に話してみようと思った。
前田なら、恋愛経験豊富だ。そして茶化したりせずに、ちゃんと聞いてくれそう。誰にでも公平だし、俺も話しやすいし。
「あのさ……好きになった人が、仲いい人だったら、前田なら告る?」
そう聞くと、前田は一瞬ぽかんとした。
俺をまじまじと見て、ちょっと照れたような顔になった。
「みずきからそういう話聞くと思わんかった。なにげに恥ずい」
「なんで前田が照れてんの」
「いやごめん。誰かと面と向かって恋バナすんの久々で。なに? みずきの話?」
前田はホットレモンのペットボトルを、何故か頬に当てている。赤くなった顔を冷まそうとしているんだろうか。
でもそれホットだから顔の熱は別に冷めないけど、と内心ツッコミつつも声には出さず、俺は小さく頷いた。
「俺はそういうのよくわからないから、前田なら彼女いっぱいいたし、いいアドバイスくれるかなって思って」
「え? 俺そんなこなれた風に見える?」
「うん。前田ならどうするのか気になる」
「そう? まあ、みずきの頼みならちゃんと答えるよ。責任重大っぽいし。うーん……俺は結構、すぐ告っちゃうかも」
ペットボトルを手で弄びながら、前田が考えるように首を傾ける。
「そうなの?」
「うん。俺の場合、友達になってからの延長で好きになるってパターン多いから。好きだなって思ったら、話してるときの流れで付き合う? とか普通に言っちゃう」
「仲良いいのにフラれたら気まずいとかないの?」
「んー。ごめんならごめんで笑いに変えちゃうし、相手がそういうんじゃないって言うなら、合わせられるかな」
「そうなんだ……」
感心して、俺は瞬きする。
聞いたはいいものの、レベルの高い話で俺にはとても真似できそうにない。
だって合わせられるってなんだ。友達関係を望まれるなら、感情の軌道修正ができるってこと? すごいな。
俺には……できるだろうか。もし先輩にフラれたら、なかったことでお願いしますって言えばいいの……?
難しい顔をしている俺を見て、前田はちょっと慌てた。
「いや、これ俺の場合だから。みずきと俺の付き合うっていう定義がそもそもちょっと違うかも。俺のはほんと、一緒にいて楽しいから付き合えばいいじゃんっていうか、付き合ってみて色々知ればいいじゃんってスタンスだからさ」
考えるような顔をしつつ説明してくれた前田は、初めて見る大人っぽい顔で俺に笑いかけた。
「みずきの好きって、そういうんじゃないんじゃない?」
「……うん」
前田の言う通りだ。
俺の先輩への気持ちは、もう友達と恋人の間をいったり来たりできるようなものでは、多分ない。
俺はずっと先輩を好きだと思う。これから先輩の何を知っても、ずっと好きでい続ける自信がある。
打ち明けることでこの気持ちが壊れてしまうなら、告白せずに先輩を見ているだけでいいのかも。
なんだ、俺の中で答えはもう出てるじゃないか。
「前田、ありがとう。ちょっと開き直れたかも」
「そ? ならいいけど。結果として、俺の適当さが露呈しただけな気もするな」
「そんなことない。前田は付き合った相手に対してはちゃんとしてたし、自分があるって感じがする」
西野達が元カノの悪口を言ってたことに対する態度を見ても、根っこの部分は誠実なんだと思う。
「みずきに言われると真面目に照れんな。どうしよ」
前田はまたペットボトルを頬に当てて笑い、「でもさ」と口に出した。
「全然思ってもみない子から告白されんのも、嬉しいよ。俺のこといつから好きでいてくれたのかなって思うし。告っちゃってから、相手がその気になるってこともあるんじゃない?」
「……前田、やっぱすごいね」
「え?」
俺だったら、突然人から好きだと言われたらまず困惑するだろう。何の意図が? とか、絶対考えてしまう。
前田はそもそも持ち前の性質が前向きなんだ。俺とは違う。
それで多分、先輩とも違う。
きっと先輩は先輩で、感じ方が俺とも前田とも違うんだ。
そう実感しただけで、なんとなく胸がすっきりしたのがわかった。
俺は前田を見上げ、お礼を言った。
「色々ありがと。前田を好きになる子の気持ち、ちょっとわかった気がする」
「え!? 突然の告白!? まさか好きなのって、俺!?」
「なわけはないけど」
「ですよね~」
わざとらしく腕を組む前田に苦笑して、ちょうど電車が来たから一緒に乗り込んだ。
会えなくなって、これからだんだん疎遠になったとしても、先輩を好きでいることはできる。
同じ沿線に住んでいて、同じ路線の電車で毎日移動しているのに、朝の時間が交わらないだけでものすごく遠くにいるように感じるのが、なんだか不思議だ。
電車の窓から流れる街を眺めながら、昨日本棚に並んでいた小説のタイトルが頭に浮かぶ。
俺が先輩に会おうと思ったら、光の速さで進む必要なんてない。
でも、何光年も離れているわけじゃないのに、会えないだけで、こんなに遠く感じる。




