第十話 すれ違いの金曜日
◇
金曜日、この日のテストも無事終わった。
「おーい二人待って、俺も帰る」
チャリを押す黒木と校門から出たところで、前田が追いかけてきた。
「西野達は?」
「今日は早め解散。テスト勉してなすぎてヤバいって。みずき、電車でさっきの古文答え合わせしよ」
「いいよ」
「電車いいな~。俺はこの寒い中チャリだよ」
「電車もホームは寒いよ」
「でも雨の日も風の日も、チャリだぜ……」
「雨のカッパ厳しいよな」
「そうなんだよ、あれフード意味ねーんだよ。顔に張りついてくるし、顔も眼鏡も全部濡れる」
チャリ通の厳しさを訴えてくる黒木を、前田がうんうんと慰めている。俺も世間話に相づちを打ちながら、黒木と別れた後、昨日と同じように前田と一緒に駅のホームに並んだ。
スマホを見たら、通知が来ている。
春川先輩からのメッセージだったからすぐ開いた。
受信したのは校門を出たくらいの時間だ。先輩達も試験で早く終わったんだろう。
『おつかれ 俺は今日で期末終わった』
『お疲れ様です 俺はテスト月曜までです』
電車を待ちながらそう返すと、すぐに返事があった。
『みずきもおつかれ あとちょっと頑張れ』
シュポンとメッセージと共にブサ猫が手を振ってるスタンプが送られてきて、顔がほころぶ。
『みずきはまだ学校?』
続いて送られてきたメッセージに『いま前田と帰るところです』と打ち込んで返した。
そのタイミングで電車が来たので、前田と一緒に乗り込む。帰宅の学生がいっぱいいるから、奥まで進んで俺が連結部の扉の近くに立った。前田は俺の横で鞄を床に置く。
開いたままだったスマホのトーク画面が見えたのか、前田が俺に聞いてきた。
「もしかして春川先輩?」
「うん。先輩の方はテスト終わったみたい」
「あ、そうなん? 報告し合ってんの? ほんと仲いいね」
感心した顔の前田に、何と返すのが正解なのか咄嗟にわからず、「うん」とだけ頷いた。
スマホが震えて、先輩から返事が来る。
『また前田君と帰ってる』
というメッセージが、ブサ猫のスタンプと共に送られてきた。今度は猫がこっちに背中を向けて、ふて寝してる。
このスタンプの意味は……と考えていたら、前田が突然「げ」と呻いた。
「なに? どうしたの」
「さっきの古文、致命傷を負ったことが判明」
差し出されたスマホの画面を覗くと、受験生用の古文の解説サイトらしく、見ると確かに今日のテストで出た古文の一節と同じだった。訳が載っているので、俺もさっと読んでみる。
「ここ、絶対現在の話だと思ったのに、過去の経緯かよ~」
「ほんとだ。俺も間違えたかも」
終わったことだから今更だけど、気になってしまうのは仕方ない。しばらく二人で前田のスマホを覗き、問題と解答を言い合って答え合わせした。
「――やめよう、もう過去は変えられないんだし。不毛だよ」
「テンション下がるだけでな。月曜の勉強しよ。化学の元素記号、俺いまだに覚えられないんだけど」
「俺は覚えたよ。前に先輩に覚え方教わったから」
「なにい? ずるいやつ……俺にも教えて」
「いいけど。ちょっと待って。前聞いたやつ送るから」
「春川先輩は頭もいいのか……完璧すぎん? あの顔で背も高くて頭もいいってずるくない?」
「前田だって背高いじゃん」
「背、だけな! ……つか、トーク画面遡るの長すぎなんだけど。どんだけやり取りしてんの。カップルか」
話しながら指を動かしていたら、前田が突っ込んできたので、ドキッとした。スクロールする指を止めて、言い訳を考える。
「本の感想とか、送ってたら長文になっちゃうから」
画面を見ながら呟いたら、前田はふうん、と頷いた。
「まあ、俺も意味もなくスタンプ送り合ったりするけどね。夜暇なら俺にも話しかけてよ」
「え?」
「俺も話したい。俺とも仲良くして。みずきってマイペースなイメージあったから、豆に連絡すんの嫌なタイプかと思ってた。それとも先輩がイケメンだからなのか……?」
そこで前田がふと気づいたような表情になり、真顔で俺に顔を寄せてきた。
「昨日の話って、もしかしてだけど先輩のことだったりする?」
「……っえ」
小声で聞かれて、思わず息を止めた。動揺して、スマホを握る手に力が入る。
昨日の話って、俺が告るかどうか聞いたやつだよな。仲良い人って言っただけだったけど……まさか、バレた?
「そんなことない」
と、咄嗟に声が出ていた。
前田が誰かにバラすとは思えないし、茶化されるとも思わないけど、まだ自分でも自覚したばかりなのに誰かに自分の気持ちを打ち明けるなんて、とてもそんな風に思い切れない。
誤魔化すしかない、と頭の中の俺が焦って言葉を並べる。
「春川先輩は、普通に……普通の、ただ仲いい先輩ってだけだから……」
そう答えると、前田はあっさり納得した。
「あ、そなの? ごめん、なんか。みずきならそういうのありかなって一瞬思って」
「え?」
「なんか可愛いから」
何がありかなしなのかはわからないけど、前田に可愛いと言われても全然嬉しくなかった。
普通にムッとして眉を寄せると、慌てた顔になった前田が口を開く。
「あのさ、俺」
「春川!」
そのとき、突然声がした。
ぎょっとして、前田と二人で振り返る。
前田の身体が壁になっていて見えなかったけど、同じ車内に春川先輩がいた。
しかも、前田のすぐ後ろに。
固まっていると、ドア付近に先輩の友達の山﨑さんがいて、こっちに向かって手を振っている。
「春川ー。なんでスマホ鳴らしても返事しないん? こっちだって。必死でアピールしてんのに」
「ああ、行く」
春川先輩が山﨑さんに顔を向け、淡々とした声で答えた。その後俺と前田に視線を戻す。
先輩は真顔で、俺を見ても笑わなかった。
「ごめん、声かけようと思ったけど、話し込んでたから」
「すんません! 俺が壁になってたんで」
前田が我に返ったように声を出して、頭を下げる。
俺はまだ驚きが抜けなくて、表情の薄い先輩の顔を見て動揺していた。
さっきの話、聞かれてた……よな?
前田のすぐ後ろにいたんだから、絶対耳に入っていた。
俺、さっきなんて言った?
固まっている俺を見て、先輩は少し困ったような顔をした。それを見て俺は弾かれたように口を開く。
「先輩、胡桃ちゃんの迎えは……」
「今日あいつ帰り遅いから、一旦家帰ることにした」
そう言った先輩は、俺に向かって微笑する。
「みずき、俺に気遣わないでいいから。付き合わせちゃっててごめんね」
「え」
「じゃ、来週もテスト頑張ってね」
先輩は俺から目を逸らし、背を向けて山﨑さんの方に歩いていく。
「あ……」
どうしよう。引き止めたいけど、さっきの会話を聞かれたという混乱が頭の中をぐるぐる回っていて、足が動かない。
「びびった。まさか春川先輩本人が現れるとは思わなかった」
前田が先輩の後ろ姿を見て呟く。
「俺無視ってるみたいに見えたかな? なんか、若干睨まれた気するんだけど」
俺に耳打ちしてくる前田の声が右から左に抜けていく。
「ううん、どっちかっていうと、やらかしてるの俺かも……」
小さく呟いて、俺はやっと足を前に踏み出した。
「俺、ちょっと行ってくる」
急いで説明しなくちゃ。
先輩、何か勘違いしてた。付き合わせてごめんって言ってた? それって、俺が先輩のこと普通って言っちゃったから?
全然違う。俺は先輩と電車で話せるの何よりも楽しみにしてるのに。
先輩は山﨑さんに合流して、こっちに背中を向けている。俺は人の間を縫って先輩に近づいた。
どうしよう、なんて声かけるのがいいんだろう。
話したいですって? そう言ったら先輩は俺の話聞いてくれるかな。
「なに? 知り合いいた?」
山崎さんが先輩と話しているのが聞こえる。
もう少しで先輩の肩に手が届くという距離まで近づいたら、俺に背を向けた先輩が首を横に振った。
「いや、知らん人。勘違いだった」
その声を聞いて、足がぴたりと止まった。
「そなの? でもなんか話してなかった?」
「全然。人違いだわ。いいから奥進んで。ここ人多いから邪魔」
先輩は迷いない足取りで車両の奥に歩いていく。山崎さんも先輩を追っていって、二人の姿は乗客の間に消えていった。
俺は立ち止まったままもう声もかけられず、息をすることも忘れていた。
知らない人って言われた。
人違いだって。
俺のこと、もう知り合いとも思わないって、そういう意味なんだろうか。
どうしよう。怒らせた……?
立ちすくんでいたら周りから変な目で見られたので、俺は深呼吸してから気持ちをなんとか立て直し、とぼとぼ前田のところに戻った。
「先輩どうだった……って、え?! どした?!」
前田はスマホから顔を上げて、俺を見るなり目を丸くする。俺は俯いて、沈んだ声で答える。
「声、かけれなかった。先輩怒ってる」
「え、まじ? やっぱ俺がやらかした感じ?」
焦った顔になる前田に首を横に振る。
「俺が悪いんだと思う。もう今まで通り仲良くしてもらえないかも……」
「ええ……? とりあえず、家帰ってもう一回連絡してみたら? 多分春川先輩、みずきには怒ってないと思うけど。俺が邪魔で話しかけられなかったんじゃん?」
「……でも」
「振り向いたとき、視線超怖かったもん。先輩が俺のこと怒ってたら教えて。めっちゃ謝るから」
前田はそう言って俺を励まそうとしてくれたけど、俺は結局、家に帰ってからも先輩に連絡できなかった。
もう話しかけんなって、返事が来るんじゃないかって怖くなってしまったんだ。
先輩が俺と前田の会話を聞いていたなら、調子に乗ってると思われてもおかしくない。たくさん気にかけてもらったのに、普通にただの先輩だから、なんて言われたら気分が悪いだろう。
俺への信頼に致命的な亀裂が入ってしまったんじゃないだろうか。
下手に言い訳したら、完全に壊れて修復できなくなるかもしれない。
誤解を解きたくても、文字で上手く説明できる気がしなくて、ぐるぐる悩んでいるうちに寝る前になってしまった。
ベッドの上で膝を抱えて迷っていたら、そのとき一通だけ先輩からメッセージが来た。ぱっと明るくなったスマホの画面を見て、小さく息を呑む。
怒ってたらどうしよう。
そう思いながら、おそるおそる画面を開いてみる。
『今日、邪魔してごめんね テスト勉強がんばって』
それだけの、シンプルな文だった。
それがいつも通りの先輩なのか、遠回しの拒絶なのか、わからない。わからないから、もっと不安になる。
しばらく悩んでから、結果として俺は今日のことを蒸し返さないことにした。
『ありがとうございます おやすみなさい』
そう短い文だけ返すとすぐに既読になったけど、その後先輩からの返事は来なかった。




