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軽微な差異

王都の大通りは、今日も多くの人で賑わっていた。


店先には色鮮やかな果物が並び、呼び込みの声が飛び交う。

道端では子供たちが走り回り、その脇を、荷を積んだ馬車がゆっくりと通り過ぎていった。


「おっと」


駆けてきた少年を避ける。


「すみません!」


「気をつけろよ」


頭を下げ、また友人たちの元へ走っていく背中を見送る。


平和だ。


——平和すぎる、と言ってもいい。


調査官の職に就いてそれなりになるが、少なくとも前回の任務で王都を離れた一、二年前までは、これほど穏やかな国ではなかったはずだ。


大通りを外れ、脇道に入る。先へ進むにつれ、建物は古く、荒れたものへと変わっていく。

剥がれ落ちた壁。割れた窓。傾いた軒先。

街並みそのものは、以前とさほど変わっていない。


ただ、そこに生きるものたちだけが、消えていた。


道端に積み上がっていたゴミもなく、それに群がっていた鼠や虫、至る所に転がっていた浮浪者や孤児の姿も、今ではほとんど見当たらない。


王家が進めた治安政策が、成果を上げているのだろう。


あれは何年前だったか。今回再調査の対象に選んだ事件の後だから、五、六年ほど前だったはずだ。


手元の資料に目を落とす。


------胸糞の悪い事件だったな。


貧民街薬物実験事件。

指名手配にもなっている犯罪組織が秘密裏に栽培した禁止植物を使って新種の薬物を精製、貧民街でその効果を試していた事件だ。


何もせずとも餓死や病死が蔓延していた貧民街において、一時でも現実を忘れさせてくれるその薬は大いに流行した。


住人達が使用を強要されたわけでも、無理矢理服用させられたわけでもない。そのため事件の発覚が遅れ、公になった時には多くの犠牲が出ていた。


犯罪組織は証拠隠滅のために、残っていた組織の人員ごと、拠点のあった貧民街の一角を魔法で焼き払った。


その大規模火災は貧民街を越え、一部の平民家屋まで達した。


この大事件をきっかけに、王太子が貧民街の住民に仕事を与え、その対価として衣食住を保証する仕組みを提案し、しばらくして実行に移されたと聞いた。


犯罪組織や盗賊などに流れる者も多かった貧民街から人が減り、それに伴って治安もみるみるうちに良くなった。


まだ具体的な計画には至っていないようだが、建造物の建替えを含めた貧民街の整備も視野に入れていると聞く。


国民は王太子を大いに讃え、聖女との婚約を発表した際には、これで国は安泰だと喜びに沸いた。


「………………………」


悪いことではない。むしろ、喜ばしいことだ。


しかし。


いささか、事が上手く運びすぎている気がするのは、職業病だろうか。


「……さて」


そんなことを考えながら歩いていると、目的地が見えてきた。


それまでの寂れた街並みとは一線を画す、黒く焼け落ちた一帯。


「……………」


この魔法を放った魔術師は、捕まっていない。

家を焼くほどの高威力。通り一帯を炎に包むほどの大規模な火炎魔法。それほどの魔法を扱える魔術師は、当然、限られてくる。


しかし、魔術師協会------魔法省が運営する、国内の魔術師を管理・指導するための協会------に登録されている魔術師のうち、該当の能力を持っていると思われる者たちについては、いずれも事件当時、別の場所にいたことが確認されている。


逃げ遅れた組織員や薬物を使用した貧民街の者たち、炎の中でも一命を取り留めた者たちは全員が逮捕・連行されたが、多くが火事の影響で命を落とし、また自死した者もおり、事件は容疑者不明で幕を閉じた。


しかし、それも。


「今回の分析術式で、何か手掛かりが出るといいけどな」


呟き、焼け焦げた建物に手をかざす。

掌に魔力を集中し、術式を組み立てる。指先で建物に触れ、そこから魔力を流して残っている魔力を分析する。


「…………」


何も、ない。


もう一度、今度は少し深く探る。


しかし結果は変わらなかった。


「……残ってない、か」


五年以上も前の事件だ。当然と言えば当然だ。


新たに開発された分析術式は、これまで検出できなかったほど微弱な魔力の残滓まで拾い、その特徴から術者を識別することができる。


魔力には術者固有の波長のようなものがあり、それは生涯変わることはないそうだ。研究者たちは、魔力紋、と呼んでいた。


とはいえ。

元となる魔力そのものが完全に消えてしまっていては、どうしようもない。


建物を出て、隣へ移る。


焼け落ちた壁。辛うじて原形を留めている柱。地面に転がる瓦礫。


一つずつ触れ、同じように魔力を流していく。


「…………ないな」


隣も。


その隣も。


やはり、何も検出されない。


そこで、ふと手を止めた。


「…………」


資料を開く。


事件当時、貧民街の一角を焼き払ったのは、大規模な火炎魔法だったとされている。


だが。


「……違うな」


魔法によって生じた炎が、その後も魔法であり続けるわけではない。


魔力によって木材へ火をつけたとしても、そこから燃え広がる炎は、ただの火だ。


ならば。


「全部を焼いたんじゃない」


どこか一点。


あるいは、幾つかの建物に強力な火炎魔法を放ち。


そこから、全体に延焼させた。風魔法も併用したのかも知れないが、異なる系統の魔法を扱える者は少ない。

いずれにせよ。


「……火元がある」


立ち上がる。


当時の火災記録を確認しながら、さらに奥へ進んだ。


風向き。


建物の焼損状況。


最初に炎が確認された場所。


一つずつ照らし合わせ、残された建物や瓦礫を調べていく。幾つかの建物で火元らしき痕跡を見つけたが、魔力は出ない。


そして。


「…………ここか」


他よりも一段強く焼け焦げた建物。崩れ落ちた壁の一部に触れた瞬間。


それまでとは明らかに違う反応が返ってきた。


薄い。


約七年という時間に削られ、今にも消えてしまいそうなほどに。


それでも確かに、魔力が残っている。


「……いた」


一人。


この場所に、直接魔法を作用させた人間がいる。


魔力の特徴を記録し、あらかじめ持ち出していた登録情報と照合する。


「…………該当なし、か」


魔術師協会に登録されている、いずれの魔力紋とも一致しない。


「まあ、そんなに上手くはいかねえよな」


分析術式が開発された後、協会に登録されている魔術師には、魔力紋を登録することが義務付けられた。


だが、協会に所属しない魔術師------王家直轄の組織や、犯罪組織に加担する者などについては、その情報を集められていないのが現状である。


現場の魔力を分析するだけで術者を特定できるなら、再調査に苦労はない。


「は〜…、次行くか」


検出した魔力の特徴を記録し、さらに周囲を調べていく。


魔力が出た地点から少し離れた場所に、辛うじて内部の形を残している建物があった。


資料によれば、薬物を精製していた場所だ。


黒く煤けた器具や割れた瓶が散乱し、中央には半ば炭化した大きな作業台が残されている。


「…………」


念のため、壁に触れる。


魔力はない。


床にも。


棚にも。


少なくとも、先ほど検出した火炎魔法の術者の魔力は残っていなかった。


当然だ。


木製の作業台が焼け残っていることからも、火元でないことは明らか。ここまで炎が燃え広がったとしても、それは魔法そのものではない。


------研究員は、一人も捕まえられなかったんだよな。


普段は研究室に引きこもっているくせに、逃げ足の早い奴らだ。

そんなことを思いながら、念のため、作業台に触れる。


「……ん?」


何か、ある。


「………………」


薄い。


先ほど火元から検出したものよりも、遥かに。


危うく見落としかけるほどの、ごく微弱な残滓。

しかし。


「……一人」


慎重に術式を走らせる。


「二人……」


まだある。


「……三人。いや……四人?」


眉を寄せる。


先ほど検出した火炎魔法の術者とは、どれも違う。


そもそも、この残り方は妙だった。


直接、この作業台に魔法を使ったにしては薄すぎる。


かといって。


「火事で付いたわけじゃない」


魔法によって生じた炎が燃え移ったところで、術者の魔力まで一緒に移ることはない。そもそも、壁には魔力反応がなかった。


それなら、これは。


「…………」


指先を滑らせる。


一箇所ではない。


台の上。


いくつもの場所に、同じ魔力がごく薄く残っている。


何度も。


繰り返し。


何かが、ここに置かれていたような。


視線を動かす。


床に転がった、黒く煤けた器具。


割れた瓶。


変色した金属製の容器。


「…………まさか」


魔力を帯びた何かが、この台の上に置かれていた。


それも、一度や二度ではない。


——調合器具?


当時の捜査資料をめくる。


禁止植物。


精製器具。


複数の薬品。


製造方法について判明しているのはそこまでで、魔術を使用していたという記録はない。


「……薬物の生成に、魔術が使われてた?」


もしそうなら。


薬物を精製する際、器具そのものに魔力を流していた。


器具に残った魔力が、長期間、何度も作業台に触れることで僅かに移った。


そう考えれば、この不自然なほど薄い残滓にも説明がつく。


しかも。


「……一人じゃない」


少なくとも、四人。


複数の魔術師が、この場所に出入りし、薬物の精製に関わっていた可能性がある。


「新情報、ではあるな」


一人ずつ、魔力の特徴を記録していく。


火元で検出したものも含め、登録情報と照合する。


しかし。


「…………全部、該当なしか。手詰まりだな」


新たに複数の魔術師が事件に関与していた可能性は出てきた。薬物の生成に魔術が使われていた可能性もある。


何より、広範囲への攻撃魔法だったという当時の見立ても、怪しくなった。少なくとも、魔力反応を検出できたのは特定の一軒だけだ。


だが、それだけだ。


誰が、何のために、どのように関わっていたのか。

それらを示す証拠は、何一つ残っていない。


「…………まあ、五年以上前の事件だからな」


立ち上がり、服についた煤を払う。


期待していなかったと言えば嘘になる。


新しい分析術式ならば、当時拾えなかった何かが見つかるかもしれない。いや、実際に、見つかった。


それでも。


------結論を覆すほどじゃない。


手元の資料、その最後の頁に目を落とす。


容疑者不明。捜査終了。


「……変更なし、だな」


新たに得られた情報だけを書き留め、資料に済み印を押す。


建物から外に出ると、昼過ぎに出発したというのに、もう日が暮れかかっていた。


------戻って、次か。


そう思い、積まれた資料の山を思い出して、エリオはげんなりと肩を落とした。



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