第98話 呪怨
フィオンは、まるでマネキンのように固まっていた。
なぜならば、この十文字村に、あの憧れの存在である「ナイチンゲール」が来ていた話を、ふいに信繁から聞いてしまったためである。
「……………私が、この村にくる前。ナイチンゲールさん、来てたんですか……?」
信繁が発した言葉を、フィオンは恐る恐るもう一度確認する。
「ああ、仕事でこの国のお偉いさんに会ってきたって言ってたぜ! あの『サナエ』や『家康』。あとは、『近藤や土方』とか……。他にも色んなやつらに会ってきたとか言ってたぞ」
「………………」
確認して聞いたはいいが、全く言葉にならないフィオン。
というか、そもそも話を聞いているのかすら怪しいまである……。
だが、信繁はそのまま話を続ける。
「ナイチンゲールは、世界中をビュンビュン飛び回って活躍してるからな! 次は『アーサー王』に会う予定だとも聞いたぞ。あの最強騎士団『円卓の騎士』の連中が最近全く言うことを聞かず、クソ生意気で困ってるらしいから、その相談に乗るって言ってたな」
この発言を聞いた瞬間、あの冷静な佐助が、一瞬焦りの表情を見せる。
「なっ! おいノブ! 他国の内政情報をこんなところで軽々しく話すな!……全く、ナイチンゲール様も、なぜそんな大事なことをサラッとノブに話してしまうんだ……。気を許し過ぎなんだよ全く。桃花さんとケルベロスさんも、今の話は一切聞かなかったことに。フィオンさんも……って、聞こえてなさそうですね」
その場にいた桃花とケルベロスに対し、佐助は強く口止めをした。
「わ、わかったわ。アンタも、色々と大変なのねぇ……」
佐助の焦りように、ケルベロスは同情してしまう。
「………………」
だがフィオンだけは、やはり話を聞いていない。
というか、もはや聞こえてすらいない。
言葉が消えた。
感情が追いつかない。
フィオンは呆然としたまま、祈りの姿勢で固まっていた。
まさか——
こんなにも近くに。
こんなにも最近に。
自分の憧れの存在が、この十文字村へ来ていたなんて。
二ヶ月程のズレはあったにしても、このタイミングが合わなかったという間の悪さ。
フィオンはポカンと天を仰ぎ、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
運がなかったとしか言いようのないその姿は、哀愁さえ漂わせている。
あまりにも切ないすれ違いだった。
蝋人形のように、カチカチに固まっているフィオンを見て、事情を知らない信繁と佐助の二人は、頭の上に「?」を浮かべ、首を傾げている。
桃花とケルベロスは苦笑いをしながら、哀れみを含んだ目で、ただフィオンを見つめることしかできなかった。
慰めの言葉も見つからない。
ここで、事の経緯を信繁と佐助へと説明するため、ケルベロスが静かに口を開く。
「……フィオンちゃんね。そのナイチンゲールに会うために、わざわざ自分の故郷から出てきて、ずっと旅をしてたのよ。だから今の話を聞いて、入れ違いになっていたことが、すっごくショックなんだと思うわ」
それを聞いた信繁と佐助は、「そういうことか」と納得した言葉を漏らす。
「なるほどな、事情はわかったぜ。……なら、フィオンちゃんよ。俺、アイツの連絡先知ってるから、その旨を伝えてやろうか?」
「…………え? あ、はい……。お願いします………って信繁さん!? ナイチンゲールさんの連絡先、知ってるんですか!?」
絶望の淵から引き戻されたフィオンは、弾かれたように信繁を見た。
「ああ、知ってるぜ。昔からよく世話になってるし、何度も命を助けてもらったことがあるからな。SNSでの交流もあるから、もし会いたいなら連絡してやるよ」
「いいんですかっ!? 是非お願いします! ああっ! なんてこと……! 昨日と今日とで、こんなにも素敵な日になるなんて! 慈悲愛しき聖母神様は、私を見離さなかったぁっ!」
「SNS」の恩恵により、フィオンの顔には再び満開の喜びが咲き誇った。
絶望の底に沈みかけていた心が、一瞬で浮かび上がり、光を取り戻す。
「ウフ♡ よかったわね、フィオンちゃん♪ アタシよりもダンディの方が、確実にナイチンゲールと連絡が取れるわよん♡」
「お? なんだ、ケルちゃんもナイチンゲールと知り合いなのか? これまた奇遇だな! そんならよ! この後、みんなで写真撮影しようぜ! その画像と一緒に伝えてやるぜ! 良い考えじゃね? アイツもきっと喜ぶぜ!」
「あら♡ それはイイ考えね♪ アタシ写真に撮られるの超ダイスキだから♡ テンションアゲアゲでいくわよ〜ん♪」
「そういえばケルちゃん、『望郷街』の夜の屋台でも、女性店員と一緒にノリノリで写真撮ってたね。その時は私がスマホで撮ってたっけ……」
少し前のことを、ふと思い出した桃花。
その表情は、どことなく嬉しそうであった。
信繁の提案に、その場の空気は一気に和やかなものへと変わっていく。
そして、昨日紹介した「望月六郎」も無理やり厨房から外へ連れ出してきた信繁。
朝の爽やかな陽光の下、信繁のスマホを使って和気あいあいとしながら、みんなで写真撮影を行う。
「よっしゃ! 撮るぜ! ポーズ決めな!」
笑顔。
賑やかな声。
新しい関係の始まりを祝うような、とても明るい時間。
みんな楽しげな声と共に、可愛いポーズや、ド派手な「JoJo立ち」のようなポーズを決めまくったりなど、何枚もの様々な写真を撮影していった。
そして、その思い思いに撮った写真の出来栄えを、みんなで揃ってスマホの画面を確認していたのだが——
何と、そこには……。
「……ぇ……?」
「ひぃぃぃぃぃっ!!」
写っていたものは、あまりにも異様で衝撃的なものであった。
写ってはいけないもの。
在ってはならないもの。
それは、「ありえない」位置から不自然に伸びる腕。
本来存在「しない」はずの、数えきれない程の無数の手。
そして、至る所に「この世のものとは思えない」程に悍ましく、恐ろしい顔面たち。
言葉にできないくらい、怒りと悲しみが入り混じった表情。
まるで、この世に未練があるかのように……。
生きている人間が羨ましくて羨ましくて、仕方がないかのように……。
この小さな画像の中に、とても強く凄まじい怨念を感じる。
それらが、撮影した写真「全て」に映り込んでいた。
ぼんやりなどではなく、はっきりと……。
この瞬間、誰もが言葉を失う。
朝の爽やかで楽しい空気が音もなく崩れ落ちる。
それを直視しまった桃花とフィオンは、背筋が凍るくらい、とんでもなく激しい戦慄に襲われていた。
そして同時に——
この「心霊的現象」に、またしても絶句する……。




