第95話 初恋愛対象
目の前に並べられた絶品の料理に舌鼓を打ちながら、三人の会話は留まることを知らなかった。
桃花とケルベロスは、お互いの感想を交えつつ、ここへ至るまでの道中の出来事をフィオンへと語って聞かせる。
女性上司にフラれたバカたち鬼の話。
ケルベロスとの数奇な出会い。
Dvils's Doorのイケメン悪魔と、ド変態の悪魔に遭遇したこと。
そして、これから目指す場所や目的など。
まるで蛇口を捻って溢れ出す水のように、次から次へと話題が湧き出てくる。
笑い声と相槌が重なり合い、テーブルの周りには華やかで楽しげな空気が満ちていった。
まさに「女子会」と呼ぶにふさわしい時間。
しかし——
そんな心地よい話の脈絡を唐突にぶった斬り、とんでもない爆弾をぶち込んでくるのは、もちろんこの犬である。
「……そ〜んで〜♪ 桃花ちゃんの初恋の相手は、信繁ダンディなのよね〜♡」
「ぶべらッ!」
ケルベロスがニヤリと笑いながら放った一言に、桃花は激しく吹き出す。
驚きのあまり、ちょうど口に含んでいた飲み物を、そのまま目の前に座っていたフィオンの顔面へと、盛大に吹き散らかしてしまった。
「ぅぐっ! フィオンさnガハッ! ゲフッ! フィオンさんごめんなさいゴホッ! い、いきなりの不意打ちだったので……!」
「あらーもう桃花ちゃーん。汚ーいー♪」
この状況を作ったケルベロスは、まるで他人事のように隣で楽しそうに笑っている。
やらかした桃花は顔を真っ赤にして慌てふためき、袖の中から急いでハンカチを取り出し、フィオンの顔から滴る水滴を丁寧に拭い始める。
一方、大量のアルコールが頭に回っているフィオンはというと……。
「……あっ! これってあれですかぁ? プロレスとかでやる “聖水” ってやつですかぁ? これを受けるの私、初めてですぅ! 桃花さんってぇ〜、プロレスとか好きなんですかぁ〜?」
完全に認識がズレている。
アルコールの影響は、想像以上に深刻と見える。
「いいえ、全然違いますよ? でも、おばあちゃんから教えてもらった技の中に、一応プロレス技っぽいのはありますが……。特段、好きというわけでは……あ! でもですね!……」
桃花は必死に変な誤解を解きながら、話題の軌道修正を試みた。
狙いはもちろん——
桃花の初恋話からの回避。
だが……。
酔っぱらいの思考回路は、そんな思惑を軽々と飛び越えてくる。
「桃花さんってぇ、初恋が信繁さんだったんですかぁ〜!? きゃーん! 甘酸っぱーい!」
「なっ! えっ!? プロレスの話、終わり!? 私の初恋話から逸らそうと思った作戦があっさりと失敗したぁ!」
見事なまでの殺人的な急旋回。
もはや論理など存在しないかのような振る舞い。
酒が入っているとはいえ、フィオンの酔い方は明らかに常軌を逸してぶっ飛んでいる。
酒を飲むペースこそ落ちてきたものの、彼女が今も口にしているのは、相変わらず度数の高いバケツウィスキーのみ。
まだ意識はあるようだが、その頭はゆらゆらと揺れている。
そんなフィオンの様子を横目に、ケルベロスが再び悪戯っぽい笑みを浮かべて切り出す。
「アタシも、信繁ダンディはタイプだけど〜♪ でもね、桃花ちゃんとの歳の差カップルってのも悪くないと思うの〜♡」
その言葉を聞いた桃花は、ピタリと動きを止めた。
少しの間、俯く。
やがて何かを決意したように、小さく息を吸い込んで勇気を振り絞る。
「……い、今から六年前にね。信繁おじちゃんが村からいなくなるって話を聞いた時……。私、思い切って勇気を出して……。こ、告白したことあるんだ」
「「ええーーっ!!」」
その衝撃的な告白に、ケルベロスとフィオンの声が見事に重なる。
驚きが、そのまま形になったような叫びだった。
普段は控えめで大人しい桃花が、いくら昔のこととはいえ、そんな大胆な行動に出ていたなどとは思いもよらなかったのだ。
そのギャップが、二人の心を強く揺らした。
「う、うん……。でもね、その後に信繁おじちゃんが私にこう言ったの……」
“……桃花ちゃんには将来、必ず相応しい男が現れる。だから、その気持ちはそん時まで大事にとっときな。 それに俺は、間違いなく桃花ちゃんより先に死んじまうし、悲しい思いさせちまうからよ。あ、でもよ、桃花ちゃんの気持ちだけは、しっかりと頂くぜ! すんげえ嬉しいわ! ありがとよ!”
「……みたいなことを、ね……」
語られる言葉は不器用で、けれど真っ直ぐだった。
その一つ一つが、場の空気を静かに変えていく。
さっきまでの賑やかさが、すっと引いていく。
ケルベロスとフィオンの顔には、真剣で少し物悲しげな色が浮かんでいる。
桃花は、手元のグラスを見つめながら話を続けた。
「……当時は、その言葉の意味がよくわからなかったけど……。私、フラれちゃったんだなってことは分かったよ。流石に、歳の差があり過ぎたしね。その時、信繁おじちゃんに恋人とかもいたかもしれなかったしさ……。あの時は、私ショックで、ちょっと、泣いちゃったな……」
過ぎ去った淡い痛みを思い出すような桃花の言葉に、ケルベロスとフィオンは口を挟むことなく、ただ黙って耳を傾けていた。
「でも、あの時の信繁おじちゃんは、私がなるべく傷つかないように言ってくれたんだと思う。これは今だから、分かることだけどね……。信繁おじちゃん、凄く優しい人だから」
ふと見せた桃花の柔らかい微笑み。
そこには後悔ではなく、確かな感謝が滲んでいた。
ほんの少しの静寂が降りた後、ケルベロスが優しい声色で口を開く。
「……そうだったのね。桃花ちゃん、辛かったわね……でも偉いわ。自分の気持ちをちゃんと言葉で伝えられるなんて。これって本当に勇気がいることだし、なかなかできることじゃないもの。しかも、告白なんて言ったら尚更よ」
心からの賞賛と労い。
その言葉に、フィオンがふらりと立ち上がる。
そして、そのまま桃花の元へ歩み寄り——
優しく、そっと抱きしめた。
「……桃花さん、頑張ったんですね。悲しかったですよね……でも女の子は、失恋をする度に強くなるんですっ! いつか辛い気持ちは、強さに変わりますから、だから大丈夫です。グスッ……うわぁぁん」
なぜか、そのまま泣き出してしまったフィオン。
桃花に抱きついたまま、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちていく。
「えっ? ちょっ! フィオンさん!? な、なんで泣く?……っていうか、そういうこと言われると……。わ、私も泣いちゃう……」
温かい体温と優しい言葉に触れ、桃花の瞳からも堪えきれずに涙が溢れ出す。
もらい泣きしてしまった彼女は、そのまま二人の肩を寄せ合って小さく泣き続けた。
「あらあら〜ん♪」
ケルベロスはテーブルに頬杖をつきながら、その様子を微笑ましく眺めている。
姉が妹たちを見守るように。
そこで、ふと視線をテーブルへ落とすと、あんなにたくさんあった料理が、全て綺麗に平らげられている。
飲み物も、中身は空だ。
賑やかで。
騒がしくて。
そして最後には、涙で心を通わせた時間。
それは特別な夜であり、そろそろお開きにするにはちょうどいい時間であった。
「ウフ♡ もっとお話ししていたいけど……。夜も更けてきたし、この辺でお開きといきましょ♪ ご馳走してくれたダンディたちには、後でお礼言わないとね♡」
ケルベロスの一言が、やさしく区切りをつける。
深い余韻を残したまま、女子会はここで幕を閉じることになった。
——だが、ただ一人。
大量の酒に酔っていたフィオンは、桃花と抱き合ったまま、いつの間にか気持ちよさそうに寝落ちしてしまっていた。
声をかけても、揺すっても、頬をツンツンしても起きる気配が全くない。
この状況に対応してもらうべく、残された桃花とケルベロスは、信繁と佐助に声をかけた。
事情を説明すると、信繁と佐助がフィオンを見て優しく微笑む。
そして、スヤスヤと眠る可愛い寝顔のフィオンを、佐助がそっと背負い上げ、そのまま一緒に彼女の自宅兼薬屋へと送り届けるという、なんとも賑やかで、少し温かい女子会の締めくくりを迎えたのであった。




