第91話 「女士」の会議
信繁の粋な計らいにより、この宿「六文銭」の食堂にて、女子会が開催される運びとなった。
その旨をフィオンに伝えると、彼女は恐縮しながらも快く応じてくれた。
今は桃花とケルベロスと共に、食堂の一角にある個室の座敷へと腰を下ろしている。
個室とはいえ、障子の向こうの厨房からは、威勢の良い音が絶え間なく響き渡っていた。
活気のあるトントントンと、包丁でリズム良く刻まれる野菜の音や、強火で一気に食材を鍋で炒める豪快な音が、否応なしに食欲を刺激してくる。
三人の間には、これから注文する料理への期待感が、言葉にせずとも自然に熱を帯び、空気へと滲んでいた。
「……まさか、六文銭の食堂で女子会をすることになるとは思いませんでしたよ。しかも、信繁さんからのサービスということは、実質タダってことですよね? 私までそのご厚意に甘えてしまって、本当にいいのでしょうか……」
フィオンは、テーブルの上に並べられた箸や取り皿を前にして、未だに信じられないといった様子。
「信繁おじちゃんが気を遣ってくれたんです。私との再会を祝してって。それに、フィオンさんも一緒に女子会へ参加するってことも知ってましたし」
「ウフ♡ 豪快で粋なオモテナシよね〜♪ ダンディったら太っ腹で気前がいいわ〜素敵♡」
桃花が、この至れり尽くせりな経緯をフィオンに説明すると、ケルベロスは弾んだ声で手書きのメニューを捲り始めた。
その手つきは、まるで宝の地図を広げるようである。
「ねぇ〜、二人は飲み物何にするぅ〜? もちろんアタシは、喉越し最高の大ジョッキでの生ビールよん♡ 」
ケルベロスは楽しげに尻尾を揺らしながら、自分の飲み物を即決した。
桃花とフィオンも、誘われるように広げられたメニューへ視線を落とす。
「それじゃあ、私はノンアルコールのピーチレモネードにしようかな。フィオンさんは何にします?」
「あ、はい。では……この、バケツサーフィンイケイケ!ウイスキーロック『夏の陣』にします」
「わかりました、バケツサーフィンイケイk…………ん、え? 何?」
桃花はフィオンが口にした言葉に対し、一瞬自分の耳を疑った。
今、この清廉な空気を纏った美少女の口から、およそ似つかわしくない不穏な単語が飛び出したような気がしたからだ。
「……あれ? フィオンさんって、お酒飲めるんですか?」
「はい! 実は私、お酒大好きなんです! できることなら毎晩浴びるほど飲みたいくらいですよ! なのに、ここ数ヶ月の間、一滴も飲めていません……とっても辛かったです。グスン」
「ま、毎晩って……意外すぎます。てっきりハーブティーとかを嗜んでいるイメージでした……。というか、バケツでお酒を飲むんですか? それヤバくないですか? 大丈夫なんですか?」
桃花は、つい矢継ぎ早に問いかけてしまう。
フィオンの儚げで、どこか守ってあげたくなるような外見や控えめな性格からは、大酒飲みの気配など微塵も感じられなかった。
普通に居酒屋へ入ったら、ほぼ間違いなく「年齢確認」をされるであろう見た目であることは想像に難くない。
今日一日、驚かされてばかりだが、これには流石に座ったままでも腰が抜けそうになる。
「あらあら〜♪ フィオンちゃんってば、実はイケる口なのね! 女子会がますます楽しくなりそうだわ♡ 普段は聞けないようなディープなお話も期待しちゃおうかしら♪」
ケルベロスは、意外なことに驚きつつも、新しい戦友を見つけたような、どこか挑戦的な笑みを浮かべる。
「実はエルフって本来、どんちゃん騒ぎをするのが大好きな種族なんですよ! なので故郷のエルフたちは、ほぼ全員が陽気で大酒飲みです! 私はちょっと控えめなところはありますが……でも、すっごく楽しみです! お酒もそれなりに強いですよ!」
意外すぎるエルフの習性を語るフィオンの表情は、これまでにないほど晴れやかで、瞳はキラキラと激しく輝いている。
その語り口は、先ほどまでの慎ましさとは正反対の、弾むような熱を帯びていた。
「……あ、あれれ? もしかして私、このノリについていけなくなるんじゃ……?」
一方、まだお酒が飲めない桃花は、急速に盛り上がりを見せるケルベロスとフィオンの「酒豪同盟」の気配に、早くも置いてけぼりにされる予感が胸によぎる。
そして、各々の飲み物を注文し終え、これまでの道中の出来事などを振り返りながら談笑していると、広間の入り口から「お〜い!」と、大きな手を振りながら近づいてくる大柄な男の姿が。
「おいっすっ! みんな揃ってるみたいだな!」
信繁が豪快な笑みを浮かべて、三人が座っている席へと声をかけてきた。
すると、信繁を見たフィオンは、即座に居住まいを正して立ち上がり、深々と頭を下げて礼の言葉を口にする。
「信繁さん! 本日は私まで、このようなおもてなしを頂き、本当にありがとうございます! とても嬉しく思っています!」
その姿を見た信繁は「おう!」と言いながら、満足げに頷いた。
「フィオンちゃんも存分に騒いで楽しんでくれや! 他にも客は来てるが、そいつらも大騒ぎしてくるから気にすんな!」
「ウフ♡ それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわね♪ ダンディ♡」
信繁とそんなやり取りをしている間に、注文した飲み物をタイミングよく店員が運んできた。
右手のお盆の上には、ピーチレモネードとレモンスライスが入ったグラスと、大ジョッキに注がれた黄金に輝く生ビール。
そして、もう片方の左手には……。
鉄製バケツの中に入った大量の氷と琥珀色の液体に満たされた、意味不明な物体が。
「……」
「……」
桃花とケルベロスは、このあまりにも場違いで暴力的な光景に目が釘付けとなる。
「ほ、本当にバケツで持ってきたよ……」
驚愕のあまり、桃花の口から魂の抜けたような呟きが漏れ出していた。
「お待たせしました。ご注文のお飲み物、こちらのテーブルに置かせてもらいますね」
店員がテキパキと、そして丁寧にグラスとジョッキ、そしてバケツを配置していく。
「お、六郎! ありがとよ!」
信繁はそう言って、飲み物を運んできた店員の頭の上へ、労うようにポンと手を置いた。
その「六郎」と呼ばれた店員は、まだあどけなさが残る年齢十歳ほどの少年だった。
しかし、その身のこなしは実に洗練されており、可愛らしい笑顔の中にもプロとしての所作や誇りを感じさせる。
「こいつ俺んとこで接客と調理で働いてくれてる『望月 六郎』ってんだわ。よろしく頼むよ! まだ子供だけど頼りになるんだよ! あ、俺の息子じゃないぜ? 」
信繁から紹介を受けた六郎は、その場で姿勢を正して深々とお辞儀をした。
「望月 六郎です! 初めまして、よろしくお願いします!」
はきはきとした元気のいい挨拶。
「あらあら〜♪ アンタ、六郎ボーイっていうのね♡ まだ小さいのに、しっかりしてて偉いわね〜♪」
その礼儀正しい姿に、ケルベロスが感心したように声をかけると、六郎は恐縮したように微笑んだ。
「ありがとうございます。まだまだ勉強中の身ではありますが、お客様のために、粉骨砕身、働いて働いて、働いて参ります!」
「ろ、六郎君、すごいね……私よりずっと年下なのに、志が大人よりも大人だよ……」
桃花は、その淀みない口上と芯の通った瞳に、心からの感銘を受けた。
それと同時に、犬の姿で喋っているケルベロスに対しても一切驚くことなく、自然に接している彼の肝の据わり方にも驚かされていた。
「いえ、滅相もございません。僕はまだまだ、ノブさんの足元にも及びませんから」
どこまでも謙虚な姿勢を崩さない六郎の振る舞いには、子供とは思えないほどの品位が備わっている。
ここで、フィオンは慈しむような優しい微笑みを六郎へと向けた。
「六郎さんにはね。私がこの村に来て途方に暮れて困っていた時、色んなところで助けてくれて。すっごくお世話になったんですよ。今も感謝してもしきれません!」
「ええっ!!」
フィオンのひだまりのような笑顔を正面から受けた瞬間、六郎の動きがピタリと止まり、視線を泳がせながらサッと足元に落とした。
もじもじと体を揺らし、みるみるうちに顔から耳まで真っ赤に染まっていく。
「で、では! 皆様、ごゆっくりお楽しみくださいませっ!」
六郎は慌てた様子で一度だけお辞儀をすると、逃げるように小走りで厨房へと戻っていった。
その背中を横目で見送っていた信繁とケルベロスは、全てを察したように、揃って「ハハ〜ン」と意味深な笑みを浮かべる。
「あいつも……いつの間にか、しっかりと“男”になってきてるってわけか〜うんうん。仕方ねぇ、ここは俺も応援してやるかな!」
信繁は腕を組み、感慨深げな様子で、六郎の後ろ姿を「うんうん」と頷いて見送りながら、その成長を喜んでいる。
「六郎ボーイ。あのウブな感じが可愛いわよね〜ん♡ 色んな意味で将来が楽しみだわ♪ あれは絶対、女にモテるタイプだわよ♪ そんで一途そうだし? やるときはやりそうよねん♡」
ケルベロスもまた、親戚の子供を見守るような温かい眼差しで六郎を眺めている。
そんな二人を余所に、桃花とフィオンは、至って純粋な感動を分かち合っていた。
「六郎君。まだ幼いのに、あんなに一生懸命働いて頑張ってるんだね」
「はい。私も早く薬屋を開店して頑張らないと!って、やる気が出てきました!」
この全く違う感想で真っ二つに割れた反応は、どこまでも噛み合わないまま溶けていく。
気づくと、周囲にも客が増え始めてきており、陽気な笑い声と食器の触れ合う軽快な音が聞こえてきた。
宿全体が祭りのような活気に包まれ、徐々にその賑わいを見せてきている。
「そんじゃ、俺はここらで失礼するぜ。女子の時間は邪魔しねぇから、存分にやりな!」
信繁はそう言い残すと、まるで旋風のように去っていく。
厨房から漂ってくる美味しそうな香りを合図に、いよいよ待ちに待った「女子会」が幕を開ける——




