第83話 セーラー服戦士と機関銃
「どういうやつだったのよ。その『とある人間』てのは」
クマの命が消えかけていた寸前、突如クマの目の前に現れたという「とある人間」について、ケルベロスが冷静な声で問いかける。
「あー、えーっと確か……人間の、男だったと思うべ。長い髪の眼鏡……それと、でっけぇオシャンティな杖を持ってた気がするっちゃ」
「オシャンティな杖を持ってたってことは、おそらく魔法使いでしょうね」
「んでよ。死にかけてたオラに、そいつは多分『魔法』ってやつを使ったんだな。そしたらよ。その瞬間、オラの身体が一気に回復していったんだべっちゃ。それだけじゃなく、なぜか同時に言葉も理解してて、急に話が出来るようにもなってたんだっちゃ。オラと魔法を使った男と、少し話をしたのも思い出したべ」
桃花とフィオンの目に、悲痛さとは別の驚きが宿る。
同情と罪悪感に支配されていた空気が、未知の魔法に対する知的な緊張へと、少しずつ塗り替えられていく。
「……ふーん、なるほどね。その魔法使いは、起死回生の回復だけでなく、言語が理解できるほどの知能も授けたということね。しかも、その使った魔法の魔力を周りに気付かれないよう、同時に隠してもいたと……。だけどこれ、正直に言って異次元すぎる魔法だわ。アタシも知らない魔法よ。もしかしたら、他の動物にもその魔法を使ってるかもしれないわね」
ケルベロスの理知的な分析が響き、場の空気がわずかに理性的なものへと引き戻された。
だが、その不可解な現象がもたらす薄気味悪い余韻は消えない。
その話を聞いたクマは、とある疑問を口にする。
「だけんどよ。どういうわけか、なぜかそのことを今までずっと忘れてたんだっちゃ……。お袋がいなくなったことや、餓死寸前のことなんて、普通忘れたくても忘れらんねぇべ? なのに急に思い出してよ。なんでだ? その魔法による影響か?」
「……その可能性はあるわね。魔法による副作用か、あるいは意図的にやったことか、理由は定かではないけど。結果的にアンタは助かって、でも同時に記憶も封印されてたってことよね。そして何かがきっかけになり、その封印が解かれたと……そういうことかしら」
クマにかけられた魔法の見解を示したケルベロス。
それを聞いたクマは、「う〜ん」と唸りながら首を捻った。
「その魔法使いの人間……あの『魔導師』である可能性もあるわ。もしくは、その関係者か。たまたま死にかけのアンタを見つけて憐れんで助けたのか、それとも実験的な何かなのか……。もしかしたら、その魔法による何らかの効果が他にもあるかもしれないわね……」
その場にいる全員が黙り込む。
だが、その謎の答えを導き出せる者は誰もいない。
「……ま、それはそうと、アンタが言葉を話せる理由はわかったわ。とりあえず、アタシたちが知りたかったことはあらかた知れたわね。なんか最後は重い空気になっちゃったから、そろそろこの辺でお終いにしましょう」
ケルベロスはトントンと手でテーブルを叩き、意図的に話を区切る。
この澱んだ重さをこれ以上引きずらせないための、的確な判断だった。
「……あの、クマさん……ごめんね。子供の頃、とっても辛い思いをしてたのに、無神経に熊鍋にするとか言ってしまって……」
「私も、知らなかった事とは言え、嫌な思いをさせてしまいましたね。ごめんなさい……」
桃花とフィオンはその場で立ち上がり、クマに対して深く頭を下げた。
クマの過酷な過去を知ったことで、自分たちが言葉の刃でどれほど彼を追い詰めていたのかを自覚し、心からの謝罪を口にする。
「あ? な、なんだっちゃよ……急に大人しくなっちまってからに。ついさっきまでオラを熊鍋にして食う気満々だったくせしてよ」
「……」
「……」
すっかり黙り込んでしまった桃花とフィオン。
その表情は、見ていられないほど悲痛に歪んでいる。
「あら? アタシはアンタのこと食ってもイイのよ? まるまると肉付きのイイ体してるし、調理したら絶対美味しそうだもの♡」
「だからやめれっての! オラを食おうとすんな!」
沈み込む二人に代わり、ケルベロスがわざと残酷な軽口を叩いてみせた。
ピンと張った緊張の糸を断ち切り、場の空気を強引に日常のテンポへと引き戻す。
「ま、アンタのことはもういいわ。用も済んだし、どこへでも好きなところに行きなさい。約束通り見逃してあげるわ」
「!!……ほ、本当か!?……本当にオラを解放してくれるんだな? 本当だな? オラ、今はっきりと聞いたかんな!」
「ええ。と言っても、アタシの監視付きだけどね〜♪」
「あ?……クソ! そうだった……完全に忘れてたべ」
一瞬パッと輝いたクマの表情が、再びどんよりと曇る。
「でも……まぁ、いいべさ。おめぇらみてぇなデンジャラスなやつらから解放されるなら、なんだっていいっちゃ」
割り切って納得したクマは、文句を言いながらも憑き物が落ちたようにスッキリとした顔に見えた。
言葉の端々に、自由への期待がほんの少しだけ混ざっている。
「……クマさん。ありがとね。ここまで案内してくれて」
「これから、お身体には気をつけてくださいね」
「フン。アタシは熊鍋にできなくて残念だけどね!」
桃花とフィオンは、心からの労いを込めてクマへと声をかけた。
ただ、ケルベロスだけは、相変わらず最後まで軽蔑したような態度ではあったが。
「……なんだかなぁ。いきなり態度が変わると、なんかこう……調子が狂うっちゃなぁ……。というか、オラを熊鍋にしようとすんな! まぁ、いいべ。じゃあな……」
照れ隠しのようにそう言って、クマは立ち上がると、店内の扉を器用に開けて「うへぇ、狭いっぺよ」と言いながら、巨体を縮めて外へと出ていった……。
だが次の瞬間——
「……キタァ! おい野郎ども! フィオンちゃんの薬屋から熊が出てきたぞ!」
「くっそ! 出てくるのが思ったよりも早かったな……。おい! 美少女セーラー服戦士の『ヒロコちゃん』と『マサミちゃん』はまだ来てないのか! もう『機関銃』はここに用意してあるんだぞ! 誰でもいいから早く呼んできてくれ! いつまでセーラー服を探してんだよ!? 熊が逃げっちまうぜ!」
「熊肉なんて滅多に手に入らねぇんだ! ここで確実に仕留めて、今日は絶対に特製熊鍋パーティーするぞ!!」
「ねぇ、ママ〜。あの熊さんおっきいね〜。美味しそう〜じゅるり」
平和な村の空気を切り裂くように、待ち伏せていた村人たちの殺気と欲望が連鎖していく。
その中に可愛い子供の声も小さく混ざる。
「ホォワァァァーーーア!? 何でぇぇ!? オラ何もしてねぇってばよぉぉう!!」
二足歩行でドタバタと必死に逃げていくクマの足音と大絶叫が、店内にまで聞こえてくる。
するとすぐに、とある女性二人の声も聞こえてきて、「快感♡」や「月に変わって蜂の巣よ♡」などという、可愛くも凄まじく物騒なセリフを言いながら、容赦無く機関銃をクマへと撃ち鳴らしている音が村中へ響き渡っていく。
先程、淡々と語られた「クマの母熊が駆除された」という過去の悲劇が、ギャグのようなテンポで即座に繰り返されようとしていた。
「……クマさん、行っちゃったね」
「はい……」
桃花とフィオンが、ぽつりと言葉を溢した後の店内には、ほんの少しの呆れた沈黙が落ちた。
扉の向こうの側にある喧騒が、猛スピードで遠くへと離れていく。
「ま、アイツのことはもういいでしょ……。無駄に悪運だけは強そうだし、どうせ上手く逃げ切るわよ。もし警察が探していたとしても、あの調子なら大丈夫じゃないかしら。ただ……あの超魔法と、その魔法使いのことだけは、少々気がかりではあるけどね……」
外のドタバタ劇の余韻を振り払うように、ケルベロスが視線を二人へと戻す。
クマの命の危機という重苦しさは薄れたが、『異次元の魔法使い』という得体の知れない疑問が、まだ小さな棘のように残っていた。
「……あ、そういえば、お二人は今晩この村へご一泊する予定ですか? それとも、もうご出発されます?」
ここでフィオンが、二人の予定について尋ねてきた。
的確な話題の転換により、場の空気がようやく日常へと戻る。
「今日はこの村に泊まりますよ」
「アタシたち、さっき十文字村に来たばかりだからね。フィオンちゃん、この村の宿がどこにあるか教えてもらえるかしら?」
「はい。この薬屋の真向かいに宿があります。ここを出たらすぐにわかると思いますよ」
「ありがとうございます。行ってみますね」
「まずはチェックインね♪」
「そうだね。ではフィオンさん、失礼します。お茶ごちそうさまでした」
「お邪魔しました〜♪ またねフィオンちゃん♡」
「はい。ごゆっくりお過ごしくださいね」
そして、優しい薬屋「Treatment Light」を後にした桃花とケルベロス。
店内に残ったのは、ほんのわずかな静寂と、先ほど語られた悲しい過去の余韻だけであった。
外の空気を吸い込んでも、桃花たちの胸の奥には、クマの過酷な過去と、その彼を救った『異次元の魔法使い』の存在がまだ静かに引っかかったままであった。
今日という長い一日の疲れを癒すため、十文字村の宿屋へと向かう二人。
だがそこで——
桃花の予想を遥かに超える、思わぬ人物との再会が待ち受けているとは、まだ知る由もなかった。




