第80話 ケルベロスの呪い
「……それはそうと、アンタのスマホ出しなさい。アタシとID交換するわよ」
「は?」
きょとんとするクマに対し、ケルベロスは氷の刃のような言葉を投げつける。
「アタシ、アンタのこと信用してないから。もう悪さはしないと約束はしても、所詮は口約束だからね。だから、アンタが本当に悪さをしないか、アタシがGPSで監視してやるわ」
「なん、だと……!?」
「言っとくけど……アカウント削除しても、番号変えても、スマホを手放しても無駄よ。アンタの『匂い』は、もう覚えたから」
「匂い!?」
「そうよ。アタシ地獄の番犬よ? 鼻はとんでもなく効くの。だから、アンタがどこにいようが、その腐った魂の匂いを辿れるの。文字通り『地獄の果て』までも追っていけるわ」
「……っ!?」
この話が事実なら、この世界のどこにも逃げ場など存在しない。
クマは必死に声を振り絞って抗弁する。
「……だ、だったらっ! IDやら連絡先の交換なんて、やる意味ねぇべさよ!」
「言ったでしょ。これは『監視』よ。辿れる匂いと目で位置確認できるGPS。アンタは狭い研究所や動物園ではなく、この広い世界でアタシにずっと監視され、そしてビクつきながら、死ぬまで生きていくのよ! 罪の代償にしては破格じゃな〜い?」
「嘘だろぉぉお!?」
「嘘じゃないわよ。冗談に聞こえるワケ?」
ケルベロスの瞳が、深紅の魔力を帯びて怪しく発光する。
「それに、アンタもスマホに依存してる口よね? 生意気に最新式の最高級スマホなんて持ってるくらいなんだから。今更スマホを手放すなんてできないでしょ? ま、手放しても意味はないし、結果は同じだけどね♪」
「……」
「あ、スマホに小細工なんかしても無駄無駄よん♪ この意味も、わかるわよね〜?」
その底知れぬ威圧感に、クマは全身の毛が逆立つほどの戦慄を覚えた。
「……コイツ! なんて恐ろしい奴だべさっ!」
「もし小細工なんてしてごらんなさいな。そんな小賢しいことした瞬間、即アンタを引っ捕らえて、美味しく喰って、ア・ゲ・ル・か・ら♡」
「ひぃぃぃぃ!!」
甘く溶けるような声で告げられた捕食宣言に、クマはガタガタと震え上がった。
その様子を見ていた桃花とフィオンも、別の意味で顔を引きつらせている。
「ケルちゃん……相変わらず、一切の容赦がないね……」
「は、はい……同感です……」
ここでクマは、最後の悪足掻きと言わんばかりに必死の抵抗を試みた。
「と、というか! オラの居場所はわかっても、何をしてるかまではわかんねぇべや!」
「わかるわよ」
「なんでだよぉぉ!?」
あっさりと言い返されてしまったクマは、その疑問を叫びながら即返した。
「アタシの魔力を使って、アンタの視覚と聴覚情報を、アタシだけが見聞きできるという魔法を使ったからよ」
「ま、魔力!?」
「そうよ。魔力を使った魔法のことよ。アンタにその魔法をかけたわ」
「どどっ、どういうことだっちゃ!?」
クマの混乱を置き去りに、ケルベロスは事もなげに説明する。
「つまり、アンタが見たこと聞いたこと全てが、このアタシに一方通行で全部筒抜けってこと♡……アタシだけが見られる、特別な特等席みたいなものね♡」
「……」
あまりの用意周到さにクマは絶句した。
プライバシーという概念は、今この瞬間、彼の人生から完全に剥奪されたということになる。
これから四六時中、監視下の生活を強いられることになる。
それは死よりも残酷な宣告とも言えるだろう。
「す、すごすぎる……ケルちゃんだけは絶対、敵に回したくないよぉ」
「はい。私も、そう思います……おそろしや……」
桃花もフィオンも、クマと同じように戦慄していた。
ケルベロスの圧倒的な力、そして徹底した冷酷さを改めて思い知らされる。
クマは涙を浮かべ、震える声で訴えた。
「い、いつの間にやりやがった! というかそれ! もはや魔法じゃなくて、オラにとってはただの『呪い』だべやぁぁ!」
「そうとも言う♡」
ケルベロスは、小首を傾げて「てへっ」とお茶目に微笑んだ。
その可愛らしい仕草が、かえって彼女の持つ魔性の残酷さを際立たせている。
次の瞬間、やけになったようにクマがまた叫び出す。
「……くっそぉぉぉぉぉおおっ!! ちっっくしょぉぉぉおおぁぁあーーーーー!! 絶望したぁぁおぉぉ!!」
「でしょうね。アタシが生きてる限り、アンタに死ぬ以外の逃げ道なんてないんだから♪」
まさに「地獄の番犬」という名にふさわしい非情の瞬間だった。
クマは床に突っ伏し、ものすごい勢いで両手の拳と頭をガンガンと叩きつけている。
「な、なんか……クマさんが可哀想になってきたよ……」
桃花は、床でのたうち回るクマを見て、思わず小さく呟く。
ケルベロスの圧倒的な宣告と、桃花の素朴な同情。
その奇妙な対比が、店内に重苦しくもどこか滑稽な余韻を残している。
だが、その傍らで。
フィオンだけが、ふと眉をひそめ、不思議そうに小首をかしげた。
彼女のエルフとしての鋭い感覚が、微細な違和感を見逃さずに捉えていた。
「ん? あれ? 何……。この魔力って……?」
その呟きは、次の波乱を予感させるように、静かに店内に響いていく……。




