第78話 御用改め
熊坂長範の逮捕という大きな波が去ったはずなのに、その余波は静かな湖面の下で、黒い渦を巻いているかのようだった。
ケルベロスが、ゆっくりとクマを射抜くように見据える。
その視線は遊び半分のようでいて、どこまでも鋭い。
「アンタさ、この元アジトに集まる時、どうやってここまで来てたのよ。村の人間、アンタの姿を見た瞬間、あんなに大騒ぎしてたじゃない。人目につかずここまで来るなんて、まず無理よ」
鋭い指摘。
その言葉に、桃花もフィオンも「確かに」と小さく頷き、疑問の視線をクマへと向ける。
だがクマは、拍子抜けするほどあっけらかんとした声を上げた。
「あ? ああ、そのことかいな。そんなの簡単なことだべさ」
そう言ってクマは得意げに鼻を鳴らし、組織の「裏口」とも言えるような出入りの方法を語り始めた。
「集合の仕方はこうだ……まず、オラが村から離れた森の中へ行き、指定された場所で待機する」
語り始めたその声は、意外なほどに落ち着いていた。
「そんで、ロボットに乗った熊坂長範の仲間がそこへ来て、オラと合流するんだっちゃ。そんで……」
「ロボット?……それって、人間が乗り込んで操縦する『人型機動兵器』みたいなやつ?」
クマの話の途中で、桃花は「ロボット」という単語に過敏に反応した。
キラキラと目を輝かせる彼女の様子に、またしても話が脱線する不穏な気配が漂う。
「あ、それって『MS』のことですか? 『W』や『X』といった名前の機体もありますよね。他にも、ナノマシンで文明を滅ぼしかけた黒い歴史を持つ機体もあるとか」
フィオンもまた、意気揚々とその話題に乗ってきた。
儚げな外見に似合わず、いかにも「知っている」というオタク特有の空気を全く隠さず、前面に押し出している。
「そうです! その『MS』のことです! フィオンさんって意外と詳しいんですね! 実は私……以前、その『MS』と単身戦わされたことがあるんですよ。おじいちゃんとおばあちゃんに“破壊してみろ”って言われて……」
「は、はいっ!? 桃花さん……それ、どういう状況ですか!? 一体何やってるんですか!? 『MS』と生身でまともに戦って勝てるわけないじゃないですか!……もしかして……まさか、勝ったんですか!?」
あまりにも場違いで物騒な話題に、張り詰めていた空気が一瞬だけ奇妙な軽さを帯びる。
ケルベロスは、そんな二人を呆れたような、けれどどこか複雑な表情で見守っていた。
「……桃花ちゃんとフィオンちゃんって、やっぱり似てるわ。意外な知識を持ってるところが特にね。その『MS』と生身でやり合った話も死ぬほど気にはなるけど……」
桃花とフィオンの口から飛び出した偏った知識に、ケルベロスは複雑な表情を浮かべてしまう。
話を中断されたクマは、半分呆れたような顔でケルベロスへと問いかける。
「……続けていいか?」
「いいわよ。続けてちょうだい」
盛り上がっている桃花とフィオンを無視して、ケルベロスは先を促した。
「そして、その仲間がロボットで運んできた『薬品運搬用の大箱』にオラが丸まって入り、材料を調達したフリをして、堂々とアジトまで運び込んでいたってわけだべ」
その言葉が落ちた瞬間、店内の空気がわずかに重さを変えた。
単純だが、大胆で周到な手口。
思った以上に組織的だ。
その説明を聞いたケルベロスは、妙に感心したように頷いた。
「ふーん。なるほどね。薬品に偽装したわけね」
「ああ。村から出る時もその逆だっちゃ。オラがまた大箱に入って、仲間がロボットで外に運び出していたって流れだべよ」
「て、手が込んでるね……」
「しかも、ロボットまで用意してたなんて……凄いです」
思わず感心してしまった桃花とフィオン。
悪事であることは間違いない。
だが、その組織力の高さと周到さに加え、最先端を取り入れた運用に、一瞬だけ感嘆が漏れてしまった。
「小規模組織とはいえ、どうやってそんなロボットを手に入れたんだか。熊坂長範がよほどのやり手なのか、それとも警察がサボってるのか、あるいは裏で繋がっている奴がいるのか……」
ケルベロスは少々毒づくように独り言を漏らす。
するとクマは、我が世の春を思い出すように、ケケケと笑った。
「ケケケ! 楽勝だったぜよ! 村人はもちろん、警察すら欺いたんだからよ! 金もガッポガッポのボロ儲けだったっちゃ! だから、アジトの薬屋の名前は『金』が『倍』になるっつー意味で、『倍金』っつーんだべさ!」
その言葉を耳にした瞬間、ケルベロスがハッとしたように、弾かれたように声を荒らげた。
「……はぁ!? アジトの薬屋の名前、『バイ菌』じゃなくて、そっちの『倍金』ってこと!? 何よそれ!! 全然意味が違うじゃない!! 全く、本っ当にっ!! 紛らわしいわねホント!! バカにまんまと騙されたみたいで超ムカつくーー!!」
先程の推理が大当たりしただけに、別の方向で勘違いをしていたことに気付き、ケルベロスは毛を逆立てんばかりに憤慨する。
「え? 前の薬屋の名前って『バイキング』じゃないの? お金が倍になるから『倍金』ってことなの? バイキングじゃなくて……?」
「ん? 何の話ですか? 桃花さん、バイキングって何ですか? 食べ物の話ですか?」
いきなり話題が変わり、フィオンはこの話が理解できていなかった。
これは、フィオンと出会う少し前の話であるため、無理もない。
だが、ここでやっと、一行の間で続いていた奇妙な言語のすれ違いが完全に修正された。
クマは、つい先程まで絶望の淵にいたことなど忘れたかのように、自慢げに胸を張って高笑いを上げる。
「ケケケッ! おめぇら、ずっと微妙な勘違いしてたよな?……クククッ! オラ、途中で気づいてたぜぃ! どこで言ってやろうかって、ずっと考えてたっちゃ! なんか上手く騙せた気分で最高に超気持ちイイっちゃよ! ぎゃっははっ!」
しかし、その得意絶頂の余韻を断ち切る声が響く。
「……チッ! このバカクマがっ!……というか、その頭領である熊坂長範が逮捕された今……当然、アンタも警察に捜索されてるんじゃないの?」
「何だって!?」
全く予想すらもしていなかったという、無防備すぎる反応。
余裕綽々だったクマの表情が、一瞬にして凍りついていった。




