第77話 武人の行方
店の中には、しばし静かな余韻が落ちていた。
フィオンは小さく息を整え、胸の奥に残る記憶をなぞるように、ゆっくりと口を開く。
「……私を助けてくれた『金太郎』さんと『牛若丸』さんは、熊坂長範と、その一味を縄で縛り上げた後、駆けつけた警察官へ引き渡しました」
「……」
場の空気がぴたりと止まる。
ついさっきまで、ヘラヘラと調子に乗っていたクマは、また血相を変えて黙り込む。
スマホを握ったまま、大きな身体を丸め、魂を抜かれた石像のように固まっているその姿は、あまりに無様で哀れであり、どこか滑稽でもあった。
その光景を視界の端に捉えながらも、フィオンは話を続けた。
「そのお二人……金太郎さんと牛若丸さんと一緒に、襲われた時の状況を警察官に詳しくお話しました。その時です。熊坂長範の拠点が、この十文字村にあると知ったのは」
淡々とした口調。
だが、その奥には確かな緊張の記憶が滲んでいる。
桃花とケルベロスは、この情報の重みを正確に受け取ろうと、静かに話を聞いていた。
「そして、私の現状……お金が無くて路頭に迷いそうになり、困っていたことを知った金太郎さんと牛若丸さんは、すぐ近くにあったこの十文字村へと案内してくれたんです」
「その二人が案内したんですか? 警察官じゃなくて?」
桃花の口から漏れたのは非難ではない。
純粋な疑問、そして法を守るはずの存在への微かな違和感だった。
公的な救済ではなく、通りすがりの英雄が少女を村まで送り届けたという事実に、違和感を覚え、胸がざわついたようだ。
「はい。警察の方は、そのまま熊坂長範たちを連行していきました」
「……なんか、冷たいですね。一人で困ってたフィオンさんを置いて行っちゃうなんて……」
桃花の顔が少し悲しげに曇る。
自分自身のことではないのに、当時のフィオンの心細さを想像してしまい、胸がちくりと痛む。
それを見たケルベロスが、諭すようにそっと声を添える。
「桃花ちゃん。警察は慈善事業じゃないもの。治安維持が仕事であって、個人のアフターケアまでしてくれる世話焼きな連中じゃないわよ。世の中……そんなもんよ。過度な期待はしない方がいいわ。後が辛くなるだけだから」
理屈では理解できても、感情が追いつかない。
桃花は小さく頷いたが、やりきれない余韻が表情に残っていた。
ケルベロスはそんな彼女を横目に見つつ、意外そうに言葉を溢す。
「……でも意外だったわ。その二人、フィオンちゃんを助けるだけでなく、ここまで送り届けてくれたなんてね……案外、気の良い連中じゃないの」
その声音には、わずかな敬意が混じっていた。
「そうなんです。“女性一人だと危ないから”と……そのように言ってくれました。それに……警察官の方たちもお二人のことをよく知っていた様子でしたし、信頼してそのままお任せしたんだと思います」
フィオンが当時の安堵を思い出すように微笑むと、店内の空気がわずかに和らぐ。
それでも、桃花の表情は完全には晴れない。
顔は俯き、どこか物悲しい空気を纏っている。
彼女の持つ純粋な優しさが、フィオンの置かれた過酷な境遇に寄り添いすぎていた。
——助けるということ。
——守るということ。
その線引きの曖昧さに、桃花は心のどこかで引っかかりを覚えていた。
フィオンはその沈黙を優しく包み込むように、再び語り出す。
「この村へ送ってもらった後、お二人は熊坂長範の逮捕と、その経緯を役所の村長さんたちにお話ししてくれたんですが、やはり皆さん驚いて……いえ、怒り狂ってました。ずっと同じ村に住んでいた薬屋さんが、実は悪人の親玉だったのですから無理もありません」
「……そうですよね。信じていた人が悪党だったなんて、私だったら立ち直れないかも」
「はい。表向きは、とても人当たりの良い人物だったようでしたので……」
「狡猾な奴ほど、化けの皮を被って騙すのが上手いものよね」
遠い目をするケルベロスの声には、自身の過去を思わせるような、苦い響きが混じっていた。
店内に、過去の澱のような重たい余韻が漂う。
「そこで、私自身の事情もお話ししてくれて……その時、村長さんが、“よかったらそのまま、この店を使ってくれよ〜デヘヘ”と、言ってくれたんです。この村には、他に薬を扱える人がいませんから」
その言葉に、冷えていた空気が一転して柔らかなものに変わった。
桃花の表情に、ようやく一筋の光が戻る。
「村長さん、優しい人ですね。フィオンさんの事情を知って、すぐに迎え入れてくれたんだ」
「はい。ですが……ずっと激怒しまくってましたけどね……」
苦笑いで、その当時を話すフィオン。
その表情には、確かな「居場所」を見つけた喜びが滲んでいた。
見ず知らずの土地で、金太郎と牛若丸に助けられ、そして村のみんなからも受け入れてもらえた。
その記憶が、彼女の中で確かな支えになっているのだろう。
「後日、警察官が十文字村へ調査のために来て、このお店の物を全て押収していったので、店内は棚や作業台など以外は、全てすっからかんになりましたけどね」
「そうだったんですか。でも、よくこの短期間に、これだけの準備ができましたね。フィオンさん、お金なかったんじゃ?」
桃花が驚き混じりに問う。
「はい。ですが、村の皆さんが協力してくれたんです。新しい備品や材料を、みんなで揃えてくれました。今のこのお店は、村の皆さんの善意でできているんです」
フィオンは、愛おしそうに店内を見渡した。
並んだ瓶も、乾燥した薬草も、どれも新しく清潔だ。
かつて悪意の拠点であった場所は、彼女の志と村人の手によって、真の意味で「癒しの場」へと生まれ変わってきていた。
「私も薬や薬草に関する知識はありましたし、いつかは自分のお店を出そうとも思っていましたので、村の皆さんも、薬屋を続けてもらえると助かると喜んでくれました」
誇りと希望が、静かに店内へと滲み渡る。
「確かに、病気や怪我の時に頼れる場所がないのは、不安ですもんね」
「はい。なので恩返しとして、村の皆さんのためにこれから全力で頑張っていきます!」
その言葉の後、静かな決意が店内に落ちた。
けれど、その裏にある寂しさも感じ取れる。
一方で——
「……」
話の最中もクマはずっと黙ったままだった。
心ここにあらずといった様子で、その存在だけが場の温度から浮き上がっている。
そんなクマを背景に、フィオンは改めて姿勢を正した。
「ですので金太郎さんと牛若丸さん、そして村の皆さんには、とっても感謝しています!早く皆さんのお役に立てるよう、開店に向けて進めているところです!」
両手を胸の前で小さくぎゅっと握りしめる。
その仕草には、帰る場所への想いと、しっかり生き抜くという覚悟が込められていた。
フィオンの明るいエネルギーに、店内の空気がパッと華やいだ。
話が一区切りついたところで、ケルベロスがふと思いついたように尋ねる。
「ねぇ、その金太郎と牛若丸は、その後どうしたのかしら?」
「私を送り届けた後、すぐに村を発ちましたよ……あ、そういえば、先ほどお話に出た『武神街』へ行くと仰ってましたね。その前に、山越えの準備をするとかも……」
「え? ケルちゃん。それって……」
桃花が目を見開く。
「ええ、アタシたちが向かっている場所と同じみたいね」
その一言で、運命の歯車が噛み合う音がした。
偶然とは思えない一致に、二人の胸が僅かに高鳴る。
まだ見ぬ英雄たちとの邂逅が、現実味を帯びて迫ってきた。
未来に一本の線が繋がったような、確かな予感。
それはもはや、ただの空想ではなく、手を伸ばせば届く「可能性」へと変わっていた。
「出会う可能性はあるわね。武神街か、もしくはその道中か……」
「私、ちょっと会ってみたいな! どんな人なんだろう?」
「ま、少なくとも、悪人ではないわよね♪ でも一ヶ月前のことだから、会えるかは運次第にはなるけどね♡」
未来のどこかで偶然が交差し、繋がる期待が胸の奥に灯った。
その想像だけで、空気はより一層明るくなる。
だが、その横で——
明るい雰囲気から完全に取り残され、ボソボソと独り言を漏らす影が一つ。
「オ、オラは一体……これからどうすればいいんだっちゃよ。熊坂長範はいねぇし、仲間もアジトも無くなっちまったべさ……」
がっつりと項垂れるクマ。
先程までの威勢など跡形もない。
その落差が、場の輪郭を非情なまでに際立たせる。
それを見たケルベロスが、ふと思い出したように「あっ」と声を上げた。
「アタシ、少し気になってたことがあったのよ。……おい、クマ。アンタに聞きたいことがあるわ。答えなさい」
「あ?……なんだべ。これ以上、オラに何を聞きてぇんだっちゃ……」
沈み切った声で、意気消沈するクマに向けられる鋭い視線。
彼に向けられたケルベロスの視線は、同情など微塵も感じさせない、鋭く刺すような冷徹なものだった。
場の空気が、再び静かに引き締まる。
そして……。
「……アンタさ。この元アジトへ来る時——」




