第76話 魔法のガラス板
「……えっと『すまほ』って、なんですか? あと『ぱそこん』や『ねっと』とかも、さっき仰ってましたけど……それって、一体どんな魔道具ですか?」
「……嘘でしょ? アンタ、マジで? マジなの!? マジで言ってる!?」
ケルベロスの今日一番の絶叫ツッコミが炸裂した。
その表情は、もはや困惑を通り越して深い絶望に歪んでいる。
「ア、アンタ! スス、スマホやパソコン、ネットも......この文明の三種の神器を、知らない……の?」
「え? あ、はい……あれ? 私、なんか変なこと言っちゃいました?」
「……アタシ、ちょっと目眩がするわ……アンタって、凄い女ね……」
あまりの衝撃に、ケルベロスの視界が揺れる。
眉間に皺を寄せ、こめかみを強く押さえた。
伝説級の武人の話よりも、目の前の美少女が「スマホ」を知らないという事実に、驚きを通り越して逆に尊敬の念まであるほど。
「だ、大丈夫ですかケルベロスさん!? 今、お薬持ってきますね! ここ薬屋ですから!」
ケルベロスの発言を真に受けたフィオンが慌てて駆け出そうとする。
だが、それを見た桃花は、咄嗟にフィオンの腰へ両腕を回し込んで掴み、なんとか食い止めた。
「ちょっ! フィオンさん待ってー! ケルちゃんの言ってたスマホって、これのことですよ! ほらっ!」
そして、桃花はリュックサックから自分のスマホを取り出し、フィオンの目の前に出した。
「え?……あ、これ見たことあります! この村の人たちも、みんな持ってますね!」
ようやく「物」と「名前」が一致し、フィオンの顔に安堵が広がる。
「あ、良かったわ……スマホを見たことはあったのね。そこは安心したわ……」
その反応を見たケルベロスは、とりあえず一安心といった様子。
「はい! 皆さん、なんだか薄くて綺麗な手鏡っぽいガラス板を片手に持って、ずっと指でナデナデしてるな〜って不思議に思っていたんです! もしかしたら『魔法の鏡』で世界中の人たちと美しさ勝負でもしているのかなって!」
「感想が個性的すぎるわよ……。というか魔法の鏡って、それ『白雪姫』のことでしょ」
フィオンのあまりにもピュアすぎる天然ぶりに、ケルベロスはツッコむ気力さえ吸い取られ、項垂れるしかなかった。
だがそこへ、「もう我慢できなーい!」と言わんばかりに、意気揚々とクマが割って入る。
「おんめぇ、遅れてんなぁオイ! スマホくらいオラでさえ持ってるど。ホレ! これが目に入らぬかー!」
クマは自慢げに、体毛の隙間から、ごそっと自分のスマホを取り出した。
しかも、よく見ると皮肉にも最新式のフラッグシップモデルだ。
その無骨な指先で、繊細な電子機器を器用に持ちながら、「フフン!」と鼻を鳴らし、まるで紋所の入った印籠のように、自慢げにフィオンへと見せつける。
マウントを取るかのように。
全長三メートル超えの巨体であるクマがスマホを持つと、最新の大型デバイスも、まるで子供のおもちゃか、板ガムくらい小さく見えてしまう。
そんなクマのスマホを見てしまったケルベロスは……。
「はぁ!? アンタ、スマホ持ってるの!? クマのくせに生意気ね! しかも、よく見たら最新式の最高級モデルじゃないのよっ! アタシのより良いのを使いやがってぇ! 破壊してやる!」
「いや、ケルちゃんも普通にスマホ持ってる……」
子犬の姿であるケルベロスも、普通にスマホを使いこなしている事実に、桃花はすかさずツッコミを入れてしまった。
★ 本来「持っている」はずの人物が、スマホを持っていない。
☆ 本来「持っていない」はずの動物が、スマホを持っている。
このあべこべな現実に、桃花は自分の平衡感覚が正常なのか、あるいはこの世界自体がバグっているのか、深刻な疑問を感じずにはいられなかった。
「チッ……。まぁ、いいわ。このバカクマのスマホは、後で叩き割るとして……」
「おい! 叩き割っていいわけあるかっ! おめぇコレぶっ壊したら弁償だかんな! 何考えてんだべっちゃ! ホントおっかねぇ奴だなおい!」
そう言ってクマは、自分のスマホをケルベロスに破壊されぬよう、体毛のポケットへ隠すように仕舞う。
ケルベロスは指先で額を押さえ、「はぁ〜」と溜め息を漏らし、無理やり思考をシャットダウンして気持ちを切り替える。
「……まーた話が脱線しちゃったわね。フィオンちゃん、話を続けてもらえるかしら? その『金太郎』と『牛若丸』に助けてもらった後から」
「あ、はい……」
フィオンはこくりと頷き、凛とした表情で気持ちを切り替える。
「では……そのお二人に助けて頂いた、その後のお話から……」
明らかになる事実と、一向に噛み合わない常識のズレに、振り回され通しの一行。
だが、彼らがこの「薬屋」という一点に引き寄せられた理由は、少しずつ運命の輪郭を描き始めていた。
物語はフィオンの窮地を救った武人たちの、さらなる驚愕の行動へと移っていく——




