第58話 カウンターハンター
「熊鍋ファイヤーーーーー!!」
桃花は力強く前方へと両掌を突き出し、気合を入れた咆哮とともに放たれたのは、おばあさん直伝の技「豪烈波動大砲」。
自分の体内に巡る気を制御し、一箇所に集中・増幅・凝縮させ、幾重にも練り上げて目にも見えるほどに高圧縮された強力な気の衝撃波。
それを一直線に、回避不能な速度でクマの土手っ腹へと容赦無く叩き込んだ。
その瞬間——
「エェェイドォォリィアァァァァァァァァーーーーーーーアァァンッ!!」
超ヘビー級重量の巨躯を誇るクマの体が、まるで木の葉のように軽々と宙に舞う。
そして、またしても意味のわからない叫び声を上げながら、凄まじい勢いで遥か後方へと吹っ飛んでいく。
地面を抉り、空気を裂きながら、その姿はあっという間に地平線の彼方へと消え去っていった。
「しまった! やり過ぎちゃった!? 待ってクマさ……いや違う、私の熊鍋ーー!」
「いや、アイツはまだ『熊鍋』ではないわよ? まだ『クマ』よ?」
両手を伸ばし、慌てて叫ぶ桃花に、ケルベロスは至極冷静に、けれど呆れたようにツッコミを入れた。
ここは視界を遮るものがなく、小高い丘で見通しの良い場所だったため、遥か遠くの地面に転がっているクマの影が確認できた。
あれほどデカい図体をしていたクマだったのだが、今や距離がありすぎて、風に吹かれる小さなアリンコ程度にしか見えない。
「ケルちゃん早く! 急いで追いかけなきゃ! 私の熊鍋が……!」
「え、ええ……でもその前に、桃花ちゃんの荷物を回収しなさい。ここに放置するのは不用心すぎるわ」
「おわっと! そうだったね! 熊鍋に気を取られてたよ! ありがと!」
桃花は簡素な東屋へと全速力で駆け戻り、リュックサックと武器装備の全てを手早く回収する。
慌てつつも、忘れ物がないかしっかり指差し確認し、再びケルベロスの元へ戻った。
「忘れ物はない? さぁ、アタシの背中に乗りなさい。その方が早いわよ」
「いいの? ケルちゃんの背中に乗るの初めて!」
桃花は弾むような足取りで、ケルベロスの大きな背中へ、ヒョイと飛び乗った。
「わぁ、高い! 景色が全然違うね!」
「でも乗り心地は期待しないでね〜♪ さ! 行くわよん♪」
ケルベロスは地面を蹴り、クマが吹っ飛んでいった方向へと一気に駆け出す。
「ひえぇぇーー! は、速いよぉぉーー! そんでもって、ガッタンガッタンするぅぅーー!」
「振り落とされないように、しっかり掴まっててね〜♪ あと舌も噛まないように♡」
風を切り裂き、大地を震わせ、二人は一直線に突き進む。
数百メートルはある距離を、ケルベロスはわずか数十秒程度で駆け抜け、二人はあっという間にクマの元へと辿り着く。
まるでプロレーサーの如く、ブレーキングドリフトのように勢いよく止まり、土埃が舞い上がる。
「到着ぅ〜♪」
「うぐっ、はぁ……じ、実際早く着いたんだろうけど……なんか、妙に長く感じたな……」
桃花の髪は真正面からの凄まじい強風に煽られ、見事なオールバックになっていた。
多少の息を切らしながらも、彼女はボサボサの髪型のまま、よろよろとケルベロスの背中から降り、仰向けで地面に転がるクマへと歩み寄る。
しかし、そのクマはピクリとも動かない。
「……このバカクマ全然動かないわね。本当に死んじゃったのかしら?」
「うーん。加減はしたつもりだったんだけど、どのみち仕留めるつもりではあったからね。念の為に、ここで一応トドメを刺しておこうか」
桃花が極めて淡々と、事務的のように口にする。
それを見たケルベロスは、その純粋無垢ゆえの冷徹さに、少しだけ背筋が寒くなるのを感じた。
「アタシが言うのもなんだけど、桃花ちゃん……アンタ意外と恐ろしい子ね。時々見せるその迷いのなさに戦慄するわ。なんか複雑というか、ちょっと引いちゃうレベルよ……」
その直後だった。
「……んっがはあぁっ!!?」
突然クマが大きく息を吐き、バネのように勢いよく跳ね起きた。
「あ、生き返った」
「あら? 死んでなかったわね。あの技をまともに食らって、まだ生きてるなんて……案外しぶといのね。バカだから?」
「……はっ!? アイヤァァーー!! やめてくださぁぁーーい!! 殺さないでぇぇーー!! 食べないでぇぇーー!!」
意識を取り戻したクマは、なりふり構わず必死に命乞いを始めてきた。
「す、すみませんでしたぁぁーー!! これまでのことは全部謝りますので!! どうかお助けを!! 命だけは……刈り取らないでくだせぇぇぇぇーーーー!!」
心の底から絞り出した謝罪の叫び声と共に地面へ頭を擦り付け、芸術的な土下座を敢行した。
「コイツ……あんだけ桃花ちゃんに吹っ飛ばされたくせに、大した怪我もしてなさそうだし、なんか妙に元気よね? なんで? バカだから?」
「う〜ん。ちょっと加減し過ぎて踏み込みが甘かったのかな〜? でも次は、確実に仕留めてあげるよ!」
二人の耳には、クマの謝罪の言葉など届いていない様子。
そして桃花は、トドメの一撃をお見舞いすべく、腰に差してある刀を静かに左手で握り、抜き打ちの構えをとる。
左手の親指で、刀の鍔をグッと小さく前に押し出し、「カチッ」という冷たく鋭い金属音を響かせて鯉口を切る。
その音をクマが聞き逃すはずもなく、土下座で顔を地面に擦り付けたまま、その動作をチラリと見た瞬間——
「助けてくださぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーいぃぃ!!!」
鼓膜を破らんばかりの凄まじい大音声で、またやかましく泣き叫び散らす。
もはや公害とも言えるほどの絶叫は、このだだっ広い平原に、どこまでも響き渡っていく。
「だからうるさい!! 黙れ!!」
とてつもなくデカい声を至近距離で不意打ちされてしまったケルベロスは、そのあまりの不快感に再び吼えてブチキレる。
「……」
そんな中、桃花だけは抜き打ちの構えを解かぬまま、無言でクマを見つめていた。
その凍てつくような沈黙の末、彼女はぽつりと問いかける。
「……もう、悪いことしない?」
「!!」
その言葉に、クマはまるで救いの女神を見たかのように、パッとした表情で勢いよく顔を上げた。
「は、はいぃぃ!! もうそんなことはいたしません!! 一切しません!! 断じてしません!! 絶対しません!! 二度としません!! 心に誓います!! 女神に誓います!! 大自然に誓います!! お二人に誓います!! 今誓いましたぁぁぁーーー!!」
自分の命を必死に繋ぎ止めるかのように、誓いの言葉を次々と即興で並べていくクマ。
「全く……よく喋るわねコイツ。どんだけ誓うのよ。そしてうるさい」
「……本当? 約束できる?」
「はい!! もちろんですとも!! 約束します!! もし約束を破ったその時は喜んでこの身を食材として貴方様へと差し出し、熊鍋となる所存でございまする!!」
「へえ〜。コイツ、自分から熊鍋になるって言ったわよ。アタシ、しっかり聞いたからね」
「うん。私もしっかり聞いた!……熊鍋、じゅるり……エヘヘ」
「え? そ、それじゃ……?」
不安げに恐る恐る伺うクマに、桃花は太陽のような笑みを浮かべた。
「……わかった。今回は見逃してあげる。もう人に悪いことして、迷惑かけちゃダメだからね?」
「……チッ! 桃花ちゃんが許すって言うんなら仕方ないわ。アタシも今回“だけ”は見逃してあげる。だけど、次やったらアンタのお望み通り、問答無用で熊鍋にして食ってあげるわ!」
桃花はそう言って刀から手を離し、抜き打ちの構えを解く。
ケルベロスは不服そうな態度ではあったものの、桃花の言葉に従う姿勢を見せた。
そして、体全体から吹き出していた黒炎を、少しずつ弱めていく。
「ははぁ!! かたじけないでござる!! ありがたき幸せ!! この御恩は、一生忘れませぬ!!」
クマは土下座体勢のまま、再び顔を地面へと擦り付け、その嬉しさ全力で表現した。
「いきなり武士みたいな口調になったわね。アンタ一体なんなの? 前世はポンコツ武将か何か?」
二人から許しを得られたクマは全身から一気に力が抜け、心底安心したような表情を浮かべた。
そんなクマをじっと観察していた桃花は、ここでふと思い立ったように首を傾げる。
「……もしかしてクマさん、お腹空いてるの?」
「は、はい……?」
桃花から唐突に投げかけられた優しい一言。
クマは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まり、ただ呆然と桃花を見つめ、瞬きを繰り返すことしかできなかった。




