第51話 森のクマさん
休憩所と呼ぶには少々簡素すぎる木造の東屋。
そこに桃花とケルベロスは腰を下ろし、束の間の休息を取っていた。
長い移動の途中、ほんのりと一息つく。
その間、風に揺れる木々の葉擦れ音を、ただ静かにゆっくりと聞いていた。
その時——
森の方から、ズシン、ズシンと地響きのような重たい足音が響いてきた。
やがて現れたのは、茶色い毛皮に覆われた、異様な存在感を放つ巨大なクマ。
しかも四本足ではなく、堂々と二本足で立ち、まるで人間のようにこちらへ向かって歩いてくる。
明らかに普通の野生動物ではない。
更に異様なのは、その外見だけではなかった。
「おい、おめえらの身包み。全部置いてけっちゃ」
低く響き渡る「イイ声」が、クマの口から放たれた。
しかも、まるで当たり前かのように、追い剥ぎの脅し文句も吐いてくる。
桃花は驚くよりも先に、ぽかんとした顔でその光景を眺めた。
「へぇ〜。今のクマさんって、イイ声で喋るんだね」
「いや、普通クマは喋らないわよ。ま、犬の姿してるアタシが言っても、全く説得力はないけど」
ケルベロスは、肩をすくめながらも冷静に返す。
そんな二人の余裕ぶった反応が気に食わなかったのか、クマは苛立ったように再び声を荒げた。
「おい! さっさと身包み置いていけっちゃ! 死にたくはねぇべ?」
「あ、また喋った」
桃花は妙に感心したように言葉が漏れる。
「どうする桃花ちゃん?」
「どうするって……身包み剥がされるわけにはいかないよ。着替えや食料もなくなっちゃうもん」
桃花がそう答えると、ケルベロスは一歩前に出て、不敵な顔でにっこりと笑った。
「……そういうわけよ。森のクマちゃん♪ 残念ながら、そんなショボい脅し、アタシたちには効かないの♡ だから、そのまま大人しく森へお帰り♪」
「なんで?」
「いや、なんでって」
即座に返ってきたあまりにも素朴すぎる疑問に、流石のケルベロスも一瞬言葉を詰まらせてしまった。
そして次の瞬間、クマの表情が一変する。
「身包み置いていかねぇんなら……おめぇらの命を先に奪ってやるわい!」
クマはそう叫ぶと、両腕を高く掲げ、体を目一杯大きく見せて威嚇した。
鋭い牙と爪を剥き出しにし、喉の奥から空気を震わせる。
「ふ〜ん。こうして見ると、それなりにでっかく見えるわね〜♪」
ケルベロスは顎に手を当て、「ふむふむ」と呟く。
その横で桃花は、クマを見上げながら、淡々と「解析結果」を口にした。
「エゾヒグマ、雄、全長303cm、体重555kg、年齢は8歳。ヒグマにしては結構大きい個体だね」
「えっ!? 桃花ちゃん、すご! 相手を見ただけでそこまで分かるの!?」
「うん。昔、おじいちゃんとおばあちゃんに、野生動物の個体識別と弱点把握の訓練を散々させられてたら、嫌でも覚えちゃったんだよ」
「そんなことまで? あのじじばば……やっぱり底が知れないわね。悔しいけど流石と言うしかないわ」
感心するケルベロスをよそに、クマは無視されていることに苛立ちを募らせていた。
「おい! なんで身包み置いて逃げねぇ!? 今までの人間は、みんな腰抜かして全部置いて逃げてったのに! なんでおめぇらは逃げねぇんだっぺよ!?」
「怖くないから♪」
「なんだって!?」
「全然怖くないのよ。はっきり言ってあげるわ。アンタがアタシたちを倒して身包みを剥がすなんて、一万年経っても無理よ! それでも、やれると思うのならかかってきなさいな。 相手くらいはしてあげるわ」
「ケルちゃん、随分と強気に出たねー」
余裕の二人。
そもそも最初からこのクマを「脅威」などとは微塵も感じてはいなかったのだ。
「いい度胸だなぁ! だったら痛い目に合わせてやるべさ! 覚悟しろやぁぁ!」
「あら? それはこっちのセリフよ♪ この喧嘩、アタシが買って、ア・ゲ・ル♡」
ケルベロスはパチッとウィンクした。
「どうするつもりケルちゃん?」
「ウフフ♪ まぁ見てて桃花ちゃん♡ でもちょっと危ないから、アタシから離れててね♡」
そう言ってクマの前に出た瞬間——
桃花の視界を覆うように、ケルベロスの足元から、渦巻く黒炎の柱が勢いよく噴き上がった。
「うおおっ!? な、なんだべ!? なにが起きたんだっぺよ!」
クマは激しく動揺し、腰が引いている。
そしてその黒炎の中から、丸太のような太さの巨大な獣の足が現れ、地面を勢いよくドシン!と踏みつけた。
その黒炎と地響きが周囲を揺らし、空気を歪ませる。




