第50話 殺劇開幕戦
望郷街を出発してから、すでに六日が経過していた。
桃花がこの旅を開始した日から数えると、今日で七日になる。
今もなお、二人は西へと進み続けている。
道中、いくつかの村や小さな町に立ち寄り、のんびりと羽を伸ばしながらの旅となっていた。
そして珍しい店を覗き、地元の美味な料理に舌鼓を打つ。
そんな「旅の醍醐味」を満喫しているせいで、その歩みは決して速くはなかった。
そのため、目的地である「武神街」までは、まだまだ程遠い場所にいる。
道は続き、風は冷たくなり、遠くには山の気配が見え始めてはいたが、それでもまだ山の麓にすら辿り着いてはいない状況であった。
「……武神街、思ってたよりも遠いね……。まぁ、道草食いまくってたせいでもあるんだけど」
ぽつりと溢れた桃花の言葉に、ケルベロスはスマホの地図アプリから視線を外さずに答える。
「ええ、そうね。アタシたちのペースだと……まだ先は長いわよ」
画面を器用に操作し、現在地と進路を確認するケルベロスの姿は、すっかり現代人そのものだ。
「でも、ここ数日だけは、のんびりと楽しく旅ができて良かったけどね」
その言葉通り、この数日間は驚くほど平穏だった。
うるさい鬼に命を狙われることも、変態の悪魔に絡まれることもない。
そんな穏やかな会話をしていた……その時だった。
前方に視線を向けた桃花が、声を弾ませる。
「あ、ケルちゃん。あそこに休憩所があるよ! 一休みしていかない?」
指し示した先には、小高い丘の上に設けられた簡素な東屋が見えた。
屋根付きのテーブルと椅子が並ぶその造りは、まるでキャンプ場の一角を彷彿とさせる。
少々雑で簡素な作りではあるが、周囲を一望できて見晴らしも良さそうなところだ。
「……?……そうね。一旦休憩しましょうか♪」
二人は吸い寄せられるようにそこへ向かい、桃花は背負っていたリュックをテーブルの上に下ろした。
屋根が作る日陰に腰を下ろすと、心地よい風が吹き抜ける。
桃花はそこでぐぐっと体を伸ばし、景色を見渡した。
「うう〜ん。この場所、周りがよく見えて眺めがいいね〜」
「ええ♡ 天気も良くて晴れてるし、気持ちがいいわ〜♪」
ここで桃花は、次の目的地である武神街のことが気になり、ケルベロスに何気なく話を振って尋ねてみた。
「そういえば、今向かってるところ……武神街って、どういう街なんだろうね? ケルちゃん知ってる?」
「ええ、知ってるわよ。前にも行ったことあるから」
「どんなところ?」
ケルベロスは少しの間を置いてから、さらりと、かつ身も蓋もない一言で答えた。
「 “脳みそが筋肉で出来てる奴ら” が集まる街よ」
「……はい? どゆこと?」
あまりにも雑な返答に、桃花は流石に再度問い返す。
「その武神街にはね、闘技場があるのよ」
「闘技場? 色んな人たちが戦う場所ってこと?」
桃花は目を瞬かせる。
続けてケルベロスは話を続けていく。
「そう。そこではね、定期的に武闘大会が開かれるのよ。そんで、腕に自信のある奴らが参加して、優勝を目指すの。優勝すれば多額の賞金が貰えるのはもちろん、優勝者限定の高級な装備品がもらえるみたい。そして最後に、その街を収めているお偉いさんから、名誉ある称号も与えられるって話よ」
「なんだかすごく賑やかな街みたいだね」
「ええ。だから武器や装備、アイテムを売る店が多く立ち並んでるし、その客のほとんどは、アタシ達みたいな冒険者よ。ある意味では物騒な街とも言えるわ。そんで酒場も多いからいざこざも多い」
「闘技場に武闘大会、そして冒険者かぁ……。今更だけど、私たちって冒険者の枠に入ってたんだね」
「その冒険者の中には、人間以外の種族もいるわよ。魔族や妖怪はもちろん、鬼もね」
「え? 人間以外もいる街なの!?」
「そうよ。だから、すっごく物騒な街なの。毎日何かしらの事件が起きてるし、頻繁に死傷者も出るって話だから」
「お、恐ろしい街だなぁ……。楽しみにしてたのに、なんだか不安になってきたよ。あんまり治安が良くないんだね。警察や街を収めている偉い人たちも大変だ」
桃花が肩をすくめると、ケルベロスはニコッと微笑む。
「ウフフ♪ 大丈夫よ。桃花ちゃんは強いから♡ それに何より〜」
自分に指を刺し、胸を張って誇らしげに言い切った。
「この、ア・タ・シ、がいるんだもの♡ 心配ナッシングよ〜♪」
「そうだね。確かにケルちゃんがいると安心するよ」
「今の武神街ってどんな感じかしら♪ 新しいのや懐かしいのとかあるかしら〜♪」
「ケルちゃんって、ホント色んなところに行ってるね」
「そうなの♪ アタシ、すっごく長生きだから♡」
「私とは、生きてる歳の桁が三つ以上も違うもんね」
「まぁ、魔族はやられて死ぬことはあっても、寿命なんてほぼ無いようなものだからね♪」
「そうだったの!? 不老不死ってやつ!?」
「流石に不老不死ではないわよ。神じゃないもの」
「私たち人間から見たら、それはもう神みたいなものですよ?」
「ふふっ。そう? でもそんな魔族も、人間に負けることだってあるのよ?」
「それって……おじいちゃんとおばあちゃんのこと?」
「そうね。あの最恐最悪な怪物二人もそうだけど……アタシ、桃花ちゃんにも負けたじゃない?」
「あの時は、ただのまぐれ勝ちだよ。運が良かっただけ」
「戦場にまぐれなんてないわ。結果はどうあれ、勝ちも負けも全ては必然よ」
ケルベロスは、ここではっきりと言い放った。
「鬼の営業所で話した時、桃花ちゃんにアタシ言ったでしょ? 動きや技、構え、武器装備も、じじばばと同じだって」
「あ、うん。言ってたね」
「桃花ちゃんと戦ってた時ね、“あ、これ、もしかしたらやばいかも〜” って、内心思ってたのよ?」
「でも……その後、あの鬼達を一瞬で丸焦げにしたじゃん。凄い黒炎でさ。あれを私には使わなかったじゃん?」
「使えなかったのよ」
ケルベロスは肩をすくめる。
「あの時のアタシ、元の体でデカかったでしょ? 桃花ちゃんの動きに上手く対応できなくてね。ちゃんと狙えなかったの。それにあの技、大きく息吸わないと出せないのよ。時間も掛かって隙も出来ちゃうし」
「そういうことだったんだね。でも、あの時はギリギリだったよ。全然、私の攻撃が通らなかったからさ。焦ったよ」
「そんで、最後はアタシの炎で自爆。あんな負け方したの初めてよ……。普通に恥ずかしかったわ」
「そ、そうだったんだ……」
どう反応すればいいかわからず、桃花は言葉を失う。
「でも、負けは負けよ。人間でも魔族でも、結局はやってみないとわからないわ。それにアタシ、過去に何度も人間に負けたこともあるのよ?」
「ケルちゃんに勝った人が他にもいたの!?」
「いたのよ。じじばば以外でも、出鱈目に強い純粋な人間もいたわ。それと……人間の姿はしてるけど人間ではない。そんな不思議で、神秘的な雰囲気持った奴もいたわね」
「?」
「……あ、そういえば桃花ちゃんも、何だかそんな雰囲気があるわね。人間だけど人間じゃないみたいな神秘的な感じ?」
「な、なんかすごい話になってない? でも私にはよくわからないんだけど……」
「アタシもよくわからないわ。だって感覚の話だもの♪」
「……私、大丈夫かな……変な病気とかじゃない?」
「ウフフ、大丈夫よ♡ 嫌な感じはないし、むしろ良い感じだから。不安にならないで♪」
「そう? でも、ケルちゃんがそう言うなら大丈夫かな」
「そうそう! この、ア・タ・シ、が言うんだから安心でしょ♡ それじゃ、もう少し休んだら出発し〜ましょ♪」
二人がのんびりと休憩をしながら、他愛無い会話で盛り上がっていたその時。
近くの森の境界線から、のそのそと動く巨大な影が見えてきた。
「……ねぇ、ケルちゃん……あっちの森の方から、大きい人みたいなのが近づいてきてるのが見えるんだけど」
「ええ、アタシにも見えるわ。でもあれ、人間じゃないわね」
「人にしては大きすぎるよね。もしかして鬼!?」
「鬼にしては、なんか毛深いわね」
「毛深いか……そろそろ山も近いし、そこには雪も降ってるって話だよね。もしかして、あの有名なビックフットとか!?」
「似たようなものかもしれないけど、流石にこんな場所にはいないわ。それにあの風貌は……熊ね」
「熊? くまって、あのクマ?」
「ええ、そのクマよ」
次第に距離を詰めてくるクマは、明らかに二人の元へと向かってきていた。
やがて東屋の目の前まで来ると、圧倒的な威圧感で二人を見下ろす。
「……」
「で、でっかいよ〜」
「ウフ♡ 元のアタシの方が、でっかいわよん♪」
「そこ張り合うとこ?」
クマは鋭い眼光で二人を射抜いた。
そして、次の瞬間——
その分厚い顎が動く。
「……おめえらの身包み。ここさ全部置いてけや。命は惜しいべ?」
「はい?」
「クマが喋ったわね。しかも訛ってるし」
クマが喋っている。
あろうことか、その熊は言葉を使って堂々と「追い剥ぎ」を宣言してきたのだ。
しかも、その声は驚くほど低く響く、無駄にクオリティの高い超絶イケメンボイス(イケボ)。
六日間続いていた平穏な旅路に、再び不穏な風が吹き始める。
訛ったイケボを響かせる熊を前に、桃花とケルベロスのまた新たな「厄介事」が幕を開ける。




