第41話 変態二刀流
不気味で落ち着かない宿に一晩泊まった翌朝。
チェックアウトのため、ロビーへ向かった桃花とケルベロスを待ち受けていたのは、静かな朝とは程遠い、混沌と混乱そのものだった。
鉄の鎖でグルグル巻きにされたインキュバスが、床に転がってクネクネと身をよじらせながら、意味不明な呟きを漏らしている。
「んっ〜ん〜♡ たまりませんなぁ〜。ボクにもそれ、欲しいなぁ……。はぁはぁ〜ああん♡ おふっ♡」
「……」
本能というのは、時にどんな言葉よりも雄弁で、正直だ。
理屈じゃない。
理由もない。
ただ、背筋をぞわっと這い上がる、この名状しがたい悪寒。
「生理的拒否反応」というのは、間違いなくこういうことなのだろう。
そう思っていた桃花がドン引きしていると、今度はそのインキュバスが口を開いたことで、話題の中心がサキュバスから彼へと移る。
「ハン! このバカサキュバスのことはもういいわ。それで、こいつは何なの? さっき “ストーカー” とか言ってなかった?」
「はい。インキュバスは、サキュバスの “ストーカー” をしていたんですよ」
ケルベロスの問いに、ゼフォンが端的に答える。
「このインキュバスは、サキュバスに好意を抱いていた。そして、人間の女性に取り憑いたサキュバスへ、更にインキュバスが取り憑いてストーカー行為をしていた……ということです」
続けてゼフォンが、極めて事務的な温度のない声で説明した。
「なんか……ややこしいことになってません?」
桃花は、思わず素直な感想を口にした。
実際、本当にややこしい事態になっている。
「ええ。当初は、人間の女性に二体の悪魔が協力して取り憑いていると考えていたのですが……。実際に引き剥がして話を聞いてみたところ、我々が想定していたよりも、少々気持ち悪い状況になっていまして」
ゼフォンの言葉を受け、ケルベロスは床で蠢くインキュバスに対し、即座に冷酷な評価を下した。
「フン! このインキュバスも、バカサキュバスと同類じゃない! 結局やっていたことは同じ! 陰湿で根性なし! ただの腰抜けよ!」
ケルベロスが、まるでゴミでも見るような目で辛辣な言葉を吐き捨てた。
その瞬間——
「ウッヒョオォォホォイィィィエェェッス!!」
「「「!!?」」」
突如として弾けた奇声に、その場にいた全員の思考が停止した。
「は、激しいぃぃ! そして刺激に満ちた暴言の数々! それらがボクの体の奥まで響き渡ってくるのを、今! ボクは感じている!! こ、これは……超・気・持・ち・イイィィィーーーアッ!!」
「……」
他の客からも「何事!?」といった様子で注目されてしまい、完全に悪目立ち状態だ。
「そして! ボクをずぅぅっっと! キッツくっ! 縛りつけているこの冷たい鉄の鎖も、すっごくイイ感じだよね! このジワジワっと肉に食い込んで、締め付けてくる感じ……。これも、最高に、超気持ち、イイよ〜!!」
「ケルちゃん! この悪魔、一体何を言ってるの!?」
パニックに陥る桃花の横で、ケルベロスは顔を引きつらせながら一つの結論を導き出した。
「……どうやらこいつは、ただのストーカーだけでなく、それに加え、更に重度のM属性を併せ持つ悪魔。言うなれば、“変態二刀流” の変態悪魔ってやつかしら」
「変態……二刀流!?……の悪魔って何!?」
説明されても結局わかっていない桃花。
ケルベロスから、この不名誉すぎる二つ名を付けられたインキュバス。
だが彼は、ここでとんでもない異を唱えた。
「二刀流? いや、ボクは女性だけじゃなく “男性” もイケるからね。う〜ん、そうだなぁ……正確に表現するならボクは、“ストーカー”、“ドM”、“男性好き” の三属性を操る “変態三刀流” ってやつだね!」
「「「!!!」」」
本人からの、一切の迷いもない堂々たるカミングアウト。
その場にいる全員が、一斉に揃って数歩後ずさりしてしまう。
「三刀流を操るって、あの『海賊狩り』みたいに言ってる!?」
「しかもコイツ、自分で“変態”って言ったわよ!」
激しく動揺する桃花とケルベロスをよそに、ゼフォンだけが何とか冷静さを保ち、状況を分析している。
「……なるほど、本人にその自覚がある。ということか……」
すると、感情が高まってきたインキュバスは、更にとんでもない要求を口にした。
「えっと、すみません。誰でもいいんで、この縛ってる鎖をもっとキッツく!してもらえますか? できればここにあるボクの股間だけを、重点的にこう、ギュン!ってさ! お願〜い♡」
そう言われてしまうと悲しい性か、反射的にその股間へと視線が向かってしまう。
「な、なな、何を言ってるのコイツ!? 信じられない! このド変態悪魔! 気色悪いわ!! アタシの目の前から消えて! この世から存在ごと消滅して! そしてアタシの記憶からも出ていって!」
インキュバスの度を越した異常発言に、さすがのケルベロスも激しく動揺し、毛を逆立てて怒鳴り散らす。
……だが、それは逆効果であった。
「イイですね〜! 変態であるボクを見るその目!! とっても気持ち悪いものを見るその目!! もっと変態のボクを見ておくれ!! そして、ボクの目を見てください!!……あ、そうですそんな感じ!! う〜ん! 興奮してキタキタァァァーーーアハン!!」
インキュバスは、一人で勝手に快感に打ち震えながら絶叫し、一気に絶頂まで達した。
「なんで!? どうして罵られて喜んでるの!? ねぇ、どういうことケルちゃん!?」
「アタシもわかんないわよ!! どういうことなのオリアス!?」
「……彼の様子を見る限り、明らかに普通の “マゾヒスト” ではありません。おそらく、それを遥かに超えた“真性”のドM、もしくは “スーパーマゾヒスト” と呼ばれる領域なんだと推察します」
「スーパー……マゾヒスト……って何ですか!?」
説明されても全然わかっていない桃花。
オリアスが冷静に状況を分析するという、ある意味一番恐ろしい事態になっていた。
一方、原因の発端であったサキュバスはというと——




