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天織り満天 - 交錯する世界を繋ぐ花 -  作者: 天堂 かける
第3.5章 カオスデビル

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第38話 業魔

桃花が瞼の裏にぼんやりとした光を感じた時、まだ意識は夢の底にあった。


正確には、安らかな夢なのか、あるいは悪夢なのか判別できない “よくわからない何か” の途中だった。


おどろおどろしい色彩の壁。

黒い赤に染まった天井。

微妙に位置を変えている気がする不気味な石像たち。


——あ、これ夢じゃなくて、部屋か……。


そう自覚した瞬間、桃花は夢の中で猛烈に寝たふりをし、拒絶した。

そんな彼女の頭に、ポフポフと柔らかく温かい衝撃が伝わる。


「……ねぇ、桃花ちゃん、もう朝よ。起きなさい」


その静かな空間に、ふわりと柔らかい声が落ちてくる。

ケルベロスが桃花のベッドの上に乗り、小さな前足で彼女の頭を、トントンとリズミカルに叩いていた。


「んむっ……。ケルちゃん……? え、え? もう朝?」


桃花は半分夢の中に足を突っ込んだような、掠れた声で応じる。

言葉の端々には、まだ重たい眠気がべったりと張り付いたままだ。


昨日は旅立ち初日。


それなのに開幕早々——


鬼。

悪魔。

酒乱のバーサーカー女まで登場するといった、イベント満載の連続だった。


流石に一晩休んだ程度では、蓄積された精神的疲労は拭いきれない。


「もうとっくに朝よ。そろそろチェックアウトの時間だから、起きて支度して」

「え〜まだ眠いよぉ……。ヤダ〜もう一泊す〜る〜う〜」


寝ぼけているせいか、口から自動的に甘えた声が漏れる。

桃花は布団の中へ潜り込み、両手で頭を隠しながら、駄々をこねてゴロゴロと寝返りを打って抵抗した。


それを見たケルベロスは、呆れたように小さくため息をつき、尻尾をパタパタと寝具に打ち付ける。


「アタシはこの宿、最高に居心地がいいから構わないけど。桃花ちゃんはこういう雰囲気、苦手なんじゃなかったの?」

「……ん?」


その言葉に、桃花は布団から半分だけ顔を出し、重い瞼をこじ開け、改めて室内を見回した。


血管のように生々しく脈動する壁の筋。

床や天井に、呪詛のように描き込まれた謎の魔法陣。

棚の上で、今にもこちらへ這い寄ってきそうな置物。

そして、部屋の隅に鎮座する“絶対に目が合ってはいけない系”の悪魔の石像。

しかも、その石像の視線は明らかに、たった今こちらを正面から捉えている。


いや、気がするのではない。


確実に、獲物を狩り取るような目で見つめている。


「ひぃぃぃっ……!」


桃花の顔から、一気に血の気が引いていく。


朝日が差し込んで明るくなったことで、この部屋の異常性が鮮明に強調されている。

ここは、どこからどう見ても真っ当な人間が寛ぐ場所ではない。


完全なる悪趣味。

お化けと悪魔が仲良くシェアハウスしている屋敷だ。


「……起きる」

「よろしい。なら、早く顔を洗って歯を磨いてきなさいな」


「は〜い……ってか、なんかケルちゃん、お母さんみたい」

「そう? 桃花ちゃんがまだまだ、“お・子・さ・ま” だから♡ アタシがお世話しなくちゃね♪」


「お世話って……というか! お子様って言わないでよぉ!」

「ん〜? そうやってムキになるところが、まだまだ可愛いお年頃のお子様ね〜♡」


「う、ぐぐっ……!」


言い返そうとしても、ケルベロスの余裕に満ちた笑みを前にすると言葉が詰まってしまう。

桃花は喉まで出かかった反論を飲み込み、肩を落とした。


「……いや、でも万単位の時間を生きてる年上に言われてるって思うと、なんか冷静になるかも」

「まぁ! そう気づけたってことは、ちょっと大人になったってことよ! やったじゃない! レベルアップよん!」


「レベルアップって……私、大人の階段、少し登れた感じ?」

「ふふっ、そうね♪ 一段くらい?」


「たった一段か……」

「何を言ってるの。一段でも上がれたんだから十分よ♪ このアタシが保証してあげるんだから、間違いないわ♡」


その自信満々な物言いに、桃花は思わず小さく吹き出した。

ケルベロスの言葉は、不思議と周囲を前向きにさせる力がある。


「ふふっ、そっか、成長ってこんな感じでしていくんだね。おじいちゃんとおばあちゃんに、毎日異常な鍛えられ方してたのを思い出したよ」

「いや、あの二人に鍛えられたら、一段なんてレベルじゃないでしょ。ロケットで一気に星をも越える勢いよ」


「……あ、そういえば昔、おじいちゃんとおばあちゃんに『対地爆撃用大陸弾道超長距離ミサイル』に思いっきり縛り付けられて、そのまま飛ばされたこともあったな……。壮絶すぎて忘れてたけど、思い出した……」


それを聞いた瞬間、ケルベロスの動きがピタリと止まる。

そして、憐れみと戦慄が入り混じったような眼差しを桃花へと向けた。


「……桃花ちゃんごめんね。朝からそんな生き地獄みたいな辛い過去を思い出させちゃって。そんなつもりはなかったの……」

「ううん、いいの。その時もなんとか乗り切れたし、成長したって実感はあるからね」


ケルベロスは、“一体どうやって乗り切ったの?” と聞きたい気持ちをグッと抑え、代わりに昨日の件について、話題を切り替えた。


「さ、準備してロビーに行きましょ♪ 昨日の、“女性客に憑いてた悪魔の件”、どうなったのか気になるでしょ?」

「あ、そうだったね。すぐ準備するよ」


凄惨な過去の記憶を振り払うように、桃花はぱっと布団から飛び起きた。

そして寝ぼけ眼のまま、慌ただしく身支度を整え始めた。



ロビーに足を踏み入れた瞬間、桃花の視界に異質な静寂が飛び込んできた。

カウンターの前で、禍々しい存在感を放つ鎖に縛り上げられた二人組の影。


その前には、昨日と変わらぬ凛とした佇まいのオリアスとゼフォンが、番人のように立っている。


「あれって……」

「ええ、多分、あのバーサーカー女に憑いてた悪魔でしょうね」


床に膝をつき、重厚な鉄鎖で幾重にも巻かれた二人の悪魔。


桃花とケルベロスは、その場に満ちる緊迫した空気に気圧されながらも、カウンターへと近づいて挨拶をする。


「おはよう〜♪ そいつらが例の憑いてた悪魔かしら?」

「お、おはようございます……」


二人の気配に気づいたオリアスとゼフォンは、朝露のように爽やかな笑顔を向け、優雅に挨拶を返す。


「おはようございます。ケルベロスさん、桃花さん」

「昨晩はごゆっくりとお休み頂けましたか?」


「ええ! もう、最っ高によく眠れたわ! 桃花ちゃんなんか、“もう一泊したい!” なんて言ってたくらいよ!」

「ちょっ……!!」


(……うん、確かに言った。でもそれは、ただ眠かっただけ! しかも熟睡できなかったし。何なら悪魔の石像に追いかけられる悪夢まで見てしまったほどだよ! そんなこと、絶対言えないけど……)


「ふふっ、それは光栄です。もしよろしければ、延泊なさいますか?」

「あ、いえっ! ええと……そこで縛られてるのが、昨日の悪魔さんですか?」


桃花は、オリアスの柔らかな提案を必死に逸らし、縛られている悪魔二人に視線を向けた。


その悪魔たちを拘束している鎖は太く、禍々しい紫の魔力が滲み出している。

それは単なる鎖ではなく、魂そのものを縛り上げる強力な呪具に見えた。


オリアスが事務的ながらも、丁寧な口調で説明を始める。


「はい。この二人が女性に取り憑いていた悪魔の『サキュバス』と『インキュバス』です」

「その取り憑かれていた女性は、どうなったんですか……?」


昨晩、悪魔に取り憑かれて大暴れしていた女性客の容態を確認する桃花。


「彼女は現在、別室で休まれています。幸い命に別状はありませんが、精神も体力も極限まで吸い尽くされた状態でした。今はラウムが付き添い、回復の術を施しています」

「無事でしたか。よかった……」


女性客の無事を聞いてひとまず安心し、胸を撫で下ろす。

続いてゼフォンがその低い声を響かせ、補足するように言葉を継いだ。


「そして今、この二人に事情を聞き終えたところですよ。なぜ、あのような真似をしたのかをね」


目の前に立つオリアスとゼフォンには、徹夜で悪魔祓いを行ったような疲労は微塵も感じられない。

それどころか、朝の光を浴びたその姿は、昨日よりも一層華やかで、一点の隙もなかった。


「デキる男」という言葉を具現化したような、圧倒的な清潔感と余裕。

ケルベロスが、少し身を乗り出して尋ねた。


「その内容って、アタシ達にも話してもらうことできる?」

「……ええ。お二人にも、ご迷惑をおかけしてしまいましたので。ですが……」


オリアスが、一瞬だけ言い淀むように視線を落とした。

その美しい瞳の奥に、わずかな苦渋の色が混じるのを、桃花は見逃さなかった。


「何かあったんですか……?」

「これは……あまり後味の良い話ではありません。それでも、よろしいのであれば……」


その時だった。


「オリアス。その話は俺からするから、無理はするな」

「……ああ、すまない。気を遣わせてしまったね」


二人の間に流れる、奇妙な気遣い。


桃花とケルベロスが顔を見合わせる中、ゼフォンは一歩前に出ると、冷ややかな瞳で膝をつく悪魔たちを見下ろす。


そして、淡々と事の経緯を語り始めた——

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