第37話 今宵は、どうか安らかに
待合室で待っていた桃花とケルベロスが目撃した光景とは——
「オラァァ!! 邪魔なガイコツは飛んでいけやぁぁーー!! 特大ホームランじゃぁぁーーい!! 来季はメジャー行って、オオタニの鬼スイーパーだって打ってやるわぁぁーーい!!」
ガチャン! パキパキ! カラーン!
「あ〜れ〜」
間の抜けた声と共に、ガイコツ従業員は女性客の持っていた酒瓶でフルスイングを叩き込まれ、完璧な放物線を描きながら、豪快に吹っ飛ばされていった。
再びバラバラになった骨たちが、カタカタと音を立てて宙を舞う。
「ああーっ! ガイコツさんがまたバラバラにっ!」
「……というか、あれは何なの? 持ちネタ? バラバラ芸? 正直、見てる分には面白いけど……」
「あ、それ……ちょっと分かるかも……。どうやって元に戻るのかも気になる」
不謹慎な会話をする桃花とケルベロスが、意味不明な親近感を抱き始めたその時、颯爽とラウムが再び姿を現した。
「お待たせしました。こちらがお部屋の鍵です」
あの大混乱の真っ只中を通り抜けながら、彼は髪一筋乱さぬままスマートに鍵を差し出す。
「ありがとうございます!」
指先が触れ合う距離で鍵を受け取った瞬間、桃花の心臓がドキッと大きく跳ね上がった。
(……わあ! この人、すごく清潔で、凛としたいい匂いがする!)
「あ、見て桃花ちゃん。あの女のところに、主役のオリアスがお出ましよ!」
ケルベロスに促され、桃花がロビーの隙間から覗き見ると、そこにはオリアスが立っていた。
オリアスは床に散らばるバラバラの骨を綺麗に避けながら、何事もないように女性客の前で恭しく一礼し、丁寧に接客を始めている。
状況があまりにも意味不明過ぎて、尊敬を通り越して笑えるまである。
先程までバーサーカーモードだった女性客は、オリアスの姿を捉えるなり、急に上目使いになり、とろけるような満面の笑みを浮かべ、とても嬉しそうにしていた。
「あの状況で、あんなに爽やかな笑顔で接客ができるなんて……凄すぎるよ」
「そうね。アタシもそう思うわ……」
桃花とケルベロスは、その芸術的なまでの接客術に、しばし目を奪われていた。
「では、こちらの裏手からお進みください」
ラウムが、ロビーを介さない裏通路の入り口へと二人を導く。
「アンタはどうするの? オリアスと悪魔祓いするの?」
「はい。僕も合流し、悪魔祓いを行います」
ケルベロスの問いに対し、ラウムは迷いなく答える。
その横で桃花は、驚いた表情で呟く。
「あ、悪魔が悪魔を祓うって……なんだか、凄い状況だよね」
ここでケルベロスは、おねだりするような甘える声でラウムに付け入る。
「ねぇ〜ん♡ 悪魔祓ってるト・コ・ロ♪ アタシ、見てみたいなぁ〜♡」
「ふふ、企業秘密ですよ」
爽やかな笑顔で、あっさりとかわすラウム。
その笑顔を見てしまった桃花は……。
(うぐっ! 笑顔の破壊力が高すぎる! た、耐えられるか、私よ……!)
ハートを撃ち抜かれ…………そうになった。
危なかったようだ。
「ケチ〜! そういう言い方されちゃうと! 余計に気になるじゃないのよっ!」
ケルベロスが頬をぷくっと膨らませてぷんぷんと抗議している中、ラウムは優雅な仕草で、裏通路の方へと手を差し伸べた。
「ではここからは、あちらの『ゼフォン』がお二人をご案内いたします。それでは今宵、素敵な夢が見られますように……」
そして、裏通路の入り口で待っていたのは、もう一人の悪魔「ゼフォン」。
スラッと背が高く、眩いばかりの金髪を揺らしながら、二人の元へと歩み寄ってきた。
「ようこそ悪魔の宿、Devil’s Doorへ。ラウムより紹介がありました、ゼフォンと申します。お部屋までご案内いたします。さぁ、こちらへ」
彼もまた、目が眩むような美貌の持ち主だった。
だが、オリアスの清潔感やラウムの静謐さとは違う。
どこか柔らかく華やかだが、同時に一度触れたら二度と戻れないような、危険な香りを纏っている。
「アンタがゼフォンね。こうして間近で会うのは初めてかしら?」
ケルベロスが興味深そうに声をかけると、ゼフォンは艶やかな微笑を返した。
「そうですね。ですが、あなたのことは存じていますよ」
「あら♡ そうなの〜?」
「以前、魔界でエキドナと一緒にいらしたところをお見かけしたことがあります」
「あ! エキドナちゃん! そういえば、しばらく会ってないわね。あの子、元気にやってるかしら?」
「その時は任務中でしたので、お声がけは控えたのですが」
「ええ〜! 遠慮せずに声かけて欲しかったわぁ〜♡」
(……実はケルちゃんって面食い?)
桃花は呆れつつも、自分の中に芽生えた疑問をゼフォンに聞いてみた。
「あの、ゼフォンさんは、お祓いには参加しないんですか?」
「ん? お二人をお部屋までお送りした後、オリアスとラウムに合流して“掃除”しますよ」
ここでケルベロスは再度、悪魔祓いを間近で見れないか、ゼフォンを口説く。
「ね〜え〜ん♡ どうやってお掃除するのか、アタシも見てみたいんですけどぉ〜♡」
「ちょっとケルちゃんまた? いい加減しつこいってば!」
「フフッ。それは商売ですので、お見せできません……。内緒ですよ」
ゼフォンは静かに、だが拒絶を感じさせない絶妙な距離感で微笑んだ。
ケルベロスは悔しそうに唇を尖らせたが、その瞳にはどこか楽しげな色が混じっている。
「んー! もう!……でも、謎めいていて、口が堅い男というのも、嫌いじゃないわ♡」
(満足してるじゃん。でも、その気持ちはわかる気がする……不思議と嫌味を感じない)
その有無を言わさぬカリスマ性に、桃花も納得せざるを得なかった。
「悪魔祓いは、明日の朝には滞りなく終わっております。どうぞご安心を。チェックアウトの際は、気兼ねなくロビーへお越しください」
ゼフォンの静かな声に、桃花は思わず息を呑み、小さく頷いた。
「今日は……本当に、謎ばかりの一日だよぉ」
「色々と気になることはあるけど、仕方ないわね」
桃花は頭を抱え、重い足取りで廊下を進んでいく。
そうこうしているうちに、二人は宿泊する部屋の前へと辿り着いた。
「では、また明日の朝に。ごゆっくりお休みくださいませ」
ゼフォンは優雅に一礼すると、影が溶けるように静かに去っていった。
部屋に入るなり、桃花は弾力のあるベッドに倒れ込み、天井を見上げたまま大きく息を吐き出した。
「はぁ〜あ……。それにしても本当に、すっごい一日だったなぁ……」
「アタシも、こんなドタバタは久しぶりだったわよ」
ケルベロスは自分の尻尾をぽふんと落とし、どこか誇らしげに笑う。
「でもさ……。取り憑かれるとか、お祓いとか。明日の朝、本当に大丈夫なのかな?」
「大丈夫に決まってるでしょ♡ 相手はあのイケメン悪魔たちよ? あの三人が本気を出したら、サキュバスだろうがインキュバスだろうが一瞬で塵よ。あの人間の女だって心配いらないわ♪」
「う、うん。確かに……。あの三人が失敗する姿なんて、一ミリも想像できないね」
桃花はここで、ふと気になっていたことを問いかけた。
「ねぇケルちゃん。さっき言ってた、悪魔の『サキュバス』と『インキュバス』って一体どんな悪魔なの?」
「それも、明日になったらわかるわよ」
「そうだね。もう脳の処理が追いつかないもん。明日でいいか」
桃花がくすっと笑うと、ケルベロスも嬉しそうに尻尾を揺らした。
「あ、そういえばケルちゃん。寝る時もその姿のままで大丈夫?」
「平気よ〜♪ まだ慣れてないけど、このくらいぜーんぜん問題なし♡」
「そっか、ならよかった」
桃花の瞳は、心地よい眠気と微かな不安が入り混じり、次第にぼんやりと霞んでいった。
ケルベロスは柔らかく笑い、ベッドの端にちょこんと腰を下ろした。
「もう休みましょうか……フフッ、明日はもっと、不思議で面白いことが起こるかもよ〜♪」
「不思議で面白いのはいいんだけど……ほどほどでお願いしたいかな。毎日は身が持たないよぉ」
そんな他愛もないやり取りを交わすうちに、桃花のまぶたはゆっくりと、重力に抗えずに落ちていった。
「もう、だめ……ケルちゃん……おやすみ……」
「おやすなさ〜い♪ いい夢見るのよ〜♡」
パチンという小さなスイッチ音と共に、部屋の灯りが静かに落ちた。
こうして桃花の、あまりにも「イベント満載すぎた旅の初日」が、ようやく幕を閉じた。
だが、これは長い旅路の、ほんの序章に過ぎない。
これから出会う数多の人物、そして騒動という名の試練が、彼女たちを待ち受けている。
でも、今夜くらいは——どうか、静かな安らぎが彼女を包んでくれますようにと、願うばかりであった。
桃花は、微かな花の香りに包まれながら、深い眠りへと沈んでいった。




