第34話 進撃の魔王
「それで……アタシを含め、魔族を率いる頂点として君臨するのが、『魔王』よ」
「魔王……」
ファンタジーの象徴のような名前に、桃花は緊張を覚えた。
だが、ケルベロスの口から飛び出したのは、あまりにも予想外すぎるエピソードであった。
「でもその魔王様……。桃花ちゃんの師と親でもある『最強の戦士』——その二人にね…… “一瞬でボロ雑巾” にされちゃったの」
「うん………………。え? 魔王がっ!? 魔族で頂点の最強キャラが!? 話に出てきた瞬間にやられちゃってるって何それ……。しかも、おじいちゃんとおばあちゃんがやったって……」
「ええ、魔王様ね……。その二人と対峙した瞬間、“あ、こいつらには勝てない” と瞬時に悟って、『亜空間転移魔法』で即逃走したのよ……。魔族で頂点の最強キャラが、たった二人の人間相手に……逃げたのよ?」
「あ、『亜空間転移魔法』?……。それって瞬間移動みたいな魔法?」
「そうよ。亜空間……ここではない別の異空間への移動や、そこを経由して長距離移動を可能とする超高等魔法よ」
「す、凄い!……。魔王って、そんなことまで出来ちゃうんだね」
「そう、魔王様は凄いのよ。だから簡単に逃げられる……はずだったの」
「?」
ケルベロスの言葉が、ここで一瞬途切れた。
そして——
「でもね……。全く逃がしてもらえなかったの」
「……はい?」
桃花は言葉の意味が一瞬理解できなかった。
彼女の顔が引きつり始める。
「強大な魔力を持つ魔王様の魔法よ? しかも亜空間転移魔法。他の者が追うことなど、まず不可能。なのに……」
ケルベロスの目が鋭く釣り上がる。
「普通なら、その時点で諦めるわ。普通ならね。それなのにその二人……。諦めるでもなく、魔王様の後を追うでもなく……」
再度、ケルベロスは言葉を止める。
「……その二人、魔王様が転移した場所へ……“先回り”してたのよ」
「…………どゆこと? 魔王の瞬間移動より…………は、速かったってこと!? そんなことってある!?」
「アタシも最初に聞いた時は信じられなかったわよ! 魔王様も長い長い年月を生きてきて、それが一番驚いた。いや、“怖かった!!”って言ってたわ……。もはやギャグを通り越してホラーまであるわよ!」
「私にはワケがわからないよ……」
「そうよね? アタシもそう思うわ……。でも残念だけど……事実よ」
「……」
言葉にならない桃花。
ケルベロスもこの事実を、未だに信じたくはないが、信じざるを得ないと言った様子。
「転移した先に待ち伏せなんてされたら、もはや為す術なしよ……。そして魔王様は即捕まって、即ボコボコにされた。しかも、その時の魔王様。百回以上も転移魔法で逃走したのに、ほぼ全てが先回りされて、失敗してるのよ」
「百回以上も逃げてたの!?」
「それでも魔王様ね。やっとの思いで、自分の城まで逃げ仰せることに成功したんだけど。その時には、もうボロッボロで虫の息状態……。意識不明で発見されたの」
「一体どうやって逃げ切ったの……? というか、よくそんな猛攻に耐えられたよね」
「もっともな疑問ね。それはね……自分の『魂』を対価にする、禁じ手という名の手札、ジョーカーを切ったのよ……。それが、『禁呪術』という魔法」
「禁呪術? なんか、凄く不穏な響きだね……。命を使うみたいなこと?」
「あら、察しがいいわね。そう、直接その『魂』や『命』などと言われる生命力を、魔力に変換する魔法……それが禁呪術よ」
「……な、なるほど、その名の通り、魔王の奥の手……。使いたくはなかったけど、使わざるを得なかった最終手段みたいなものか……」
「その禁呪術、効果は超絶大だけど、それ以上にリスクが高すぎるの……。かなり物騒で危険な魔法だから、これ以上は話せないわ……ごめんなさいね」
「あ、うん。大丈夫だよ、気にしないで……」
「……それじゃ、話を戻すわね」
ケルベロスの表情が尋常ではないと感じた桃花は、『禁呪術』という触れてはいけない雰囲気を察し、それ以上の追求はしなかった。
「……そして、逃げ帰った魔王様ではあったんだけど、その膨大な魔力はスッカラカンでね。体の方も……それはもう、酷い状態だったらしいわ」
「……う、うん」
「側近や幹部連中はもちろん、魔界全体が慌てふためく事態になってね……。今はまだ食事中だから、詳しい惨状は控えるけど……」
「そ、そうだね……。聞かない方が良さそう」
桃花は恐る恐る「うんうん」と頷いた。
「アタシならともかく、まさか魔王様までもが、そんな酷い目に遭うなんて想像すらしなかったわよ……」
「だよね。一番驚いたのは、魔王本人だろうし……」
「なんとか一命だけは取り留めたけど、“こ、これがトラウマか……”と言って、布団に包まってガタガタ震えてたほどよ」
「で、でも魔王って、凄まじい生命力なんだね……。そんな酷い状態から回復したんだから」
「そうね。この出来事は百年くらい前のことだけど、実はまだ回復しきれてないの……精神面がね。今も復帰に向けて、カウンセリングを受けてるわ」
「なんてことっ……!」
桃花の顔から、すっと血の気が引いた。
魔族で最強の魔王に絶望を叩き込み、廃人寸前まで追い込んだ自分の育ての親。
そのあまりの過激性と異常性に、彼女は言葉を失うしかなかった。
「そうよ! あの魔王様が手も足も出せず、一方的に袋叩きにされるなんて前代未聞よ! アンタの親、色々とおかしいのよ! 頭も体も能力も、全てが狂ってるわ! 間違いなく人間じゃない! 断言できるわ!」
「そんな言い方しないでよ……。私も狂ってるみたいに聞こえるって……」
「でもね。その魔王様の、更に上の存在がいるって話があるのよ」
「魔王の更に……上?」
「そう。それが、『大魔王』。そして……その上には、『魔神』」
「……なんか急にインフレしてない?」
桃花の苦笑いに、ケルベロスは悪戯っぽく口角を上げた。
「そう思うでしょ? でもそういう噂はあるの。魔神は世界の根源そのものって説もあるし、実在を信じるやつも一定数いるわ」
「大魔王までならまだわかるけど、魔神って……もう名前が強すぎる」
「でも、その更に上がいるって話もあるわよ」
「まさか……」
「『大魔神』」
「それもうネタでしょ? 絶対どこかの漫画かゲームから来てるやつ! そもそも大魔神って言ったら真っ先に、『ハマの大魔神』が思い浮かぶよ!」
「……アンタって、見た目によらず意外なこと知ってるわね……。まぁ、いいわ」
ケルベロスは一瞬だけ呆気に取られた表情を見せたが、すぐにクスクスと笑い声を漏らした。
空気が一気に軽くなり、桃花も釣られるようにして肩の力を抜いた。
「アタシもその話を聞いた時は、“本気で言ってる?”って思ったわ。でも、この世は知らないことばっかり。冗談みたいな話が真実だったりもするものよ」
「……怖いこと、さらっと言わないでよ」
「ま、ただの噂よ。信憑性もほぼゼロだから♪」
ケルベロスは悪戯っぽく笑いながら、ビールが入ったジョッキを軽く回した。
桃花も苦笑しながら、話の続きを促す。
「……それで、『悪魔』ってのは、さっきのイケメン悪魔三人のことなんだよね?」
「ええ、悪魔もピンキリで色々いるわよ。イケメンや美少女に、化け物、可愛い動物、そして変態……」
「……ん? 今、変態って……」
「アタシのような魔獣も同じね。蛇型、狼型、竜型など……盛りだくさん!」
「そんなにいるの?」
「いるいる。竜なんか、話しかけただけで口から破壊光線を吐いてくるわよん♪」
「そんな危険生物とは、絶対に遭遇したくないよ……」
「そうねぇ。でも、どの世界も似たようなもんよ。人間界だって変な奴、多いでしょ? アンタの親でもある師の、じじばばのように」
「……まぁ、確かに……って! おじいちゃんとおばあちゃんを変な奴って言わないで!……とは、もう言えないね。私もそう思っちゃったし……」
桃花の反応を見たケルベロスは、肩をすくめて笑っている。
その仕草は、どんな異界の存在よりも人間臭く見えた。
「ま、こんなとこかしら。詳しい話はまた今度ね♪」
「うん、ありがとね。あ、ちなみに鬼ってさ、魔族と似たような存在なの?」
「……アンタ、何も知らないのね。最強のじじばば猛者たちに鍛えられてたんでしょ?」
「そうだけど……。それ以上に、若い時の自慢話しか聞かされてこなかったんだもん」
「……まぁ、いいわ。でもアタシとしては、その “自慢話” のほうが逆に気になるけどね♪」
「鬼を叩きのめした話ばっかりだよ。しかも同じ話を無限ループで繰り返すし……」
ケルベロスはクスッと笑い、また生ビールを口へと運んだ。
「……鬼はね、『妖怪』の部類に入るわ」
「妖怪? ってことは、鬼以外にも種類が?」
「いるわよ。妖狐や河童に天狗などなど、他にもたっくさん。アタシも何度も会ったことあるわ」
「へぇ、そんなにいるんだ」
「妖怪はこの『人間界』と、また別にある世界『地獄界』ってところを拠点にしてるらしいわよ」
「……なんか、自分から聞いといてなんだけど、もう情報量が多すぎて、頭がいっぱいだよ……」
桃花はこめかみを押さえ、心地よい疲労感に身を任せた。
「ふふっ、俄かには信じられないわよね。でも、そういう世の中なのよ。この世界は♡」
「そういえば、この街って魔族もいるんだね。オリアスさん達とか」
「そうね。この望郷街は魔族や妖怪なども出入りしてるみたいよ。さっきからちらほら見かけるわ」
「え? この街に、他にもいたの!? 全然気づかなかったよ……」
「温厚な奴らが多いみたいね。アタシみたいに変身して、擬態してる奴が多いわ。周りに気を遣ってるんじゃないかしら。オリアス達が人畜無害な感じだからね。この街の人間や妖怪達も、安心してるんでしょうね♡ 意外と治安は良さそうよ♪」
ケルベロスは、話を締めくくるように片目を鮮やかにウインクさせ、大きく声を上げた。
「というわけで……おねーさーん! 生ビール追加ー! 大ジョッキでね〜!」
そして、この空気を変えるかのように、勢いよく追加のビールを注文した。
「まだ飲むの!? しかも大ジョッキ!」
「当たり前でしょ! アタシ、飲んでナンボの犬系魔獣だから♡」
「意味わかんないって!」
桃花の制止も虚しく、先程の店員がノリノリで「はーいっ!」と返事をして駆け寄ってくる。
そして桃花は諦めたように笑い、メニューを指差した。
「じゃあ、もういいや。私も……パフェ頼んじゃお!」
「あら、いいじゃないの! 締めにパフェなんて最高よ♡」
賑やかな笑い声と、重なるグラスの音。
桃花は、自分の内側にある「まだ見ぬ何か」への予感を抱きながらも、今はただ、この温かな時間を噛みしめていた。
異界の話を知れば知るほど、世界は広く、険しく見える。
けれど、隣で豪快にビールを煽る小さな相棒がいれば、どんな未知も恐れることはない。
そんな確信に近い想いが、甘いパフェを待つ桃花の心を静かに満たしていった。




