第33話 魔族と鬼
食後の穏やかな時間が、屋台の湯気と共に心地よく流れていく。
桃花はグラスを両手で包み込み、視線を落としたまま、静かに口を開いた。
「ねえ、ケルちゃん。魔族について、もう少し詳しく教えてもらえる?」
その言葉に、向かいの席でくつろいでいたケルベロスは、ぴくりと耳を動かす。
「ん? ええ、いいわよ」
ケルベロスは何から話そうかと考え、喉の奥で言葉を転がすようにして、ゆっくりと語り始めた。
「そうねぇ、それじゃ、まず魔族が、“どこにいるのか”ってところから話すわね」
「うん、お願い」
「本来、魔族という種族は『魔界』っていう場所に住んでるの」
「さっきケルちゃんとオリアスさんの話の中で、魔界って言ってたね。こことはまた違う、別の世界があるってこと?」
「そうよ。そこから人間界、つまり桃花ちゃんたちの領土へ遠征してきてるわけ」
「どうやって来てるの? なぜこっちへ?」
桃花の問いに、ケルベロスは身近な例を引くように首を傾げた。
「移動手段は色々あるわ。今日泊まる宿、あるでしょ?」
「あの『Devil's Door』のこと?」
「そう。あれって、実はただの宿じゃないの。魔族が両方の世界を行き来するための『門』を管理する施設でもあるのよ」
「人間界と魔界を繋ぐ場所ってこと!?」
自分が今夜泊まる場所が、まさか異界への入り口であるという事実。
その一言が、桃花の足元の地面を揺らした。
「そういう施設は色んなところにあってね。アタシもその場所を通って、この世界へ来たのよ。Devil's Doorからではないけどね」
「そう、だったんだ……」
桃花の胸に、奇妙な戦慄が走った。
世界のすぐ裏側に、「異界」という未知の領域が存在している。
その事実に、グラスを持つ手がわずかに震えた。
「……それじゃ次は、なぜこっちへ来たかの理由ね。これは単純に、この人間界を魔族が侵略し、支配を広げるためよ」
「!」
桃花の肩が大きく跳ねる。
だが、ケルベロスは動じることなく、どこか冷徹な響きを帯びた声で続けた。
「別に驚くことじゃないわ。アンタたち人間も、同じことしてるでしょ?」
「いや、そ、そんなこと……」
「そうかしら? 人間も森を削り、獣を追い出し、資源を取り出す。そうやって、自分たちの文明を発展させてきたじゃない。アタシたちは、それと同じことをしに来ただけ」
「……」
突きつけられた事実に、桃花は言葉を失った。
正義や悪といった単純な言葉では測れない、生存競争の冷たさが、夜の空気を重く沈ませる。
絶句する桃花を見て、ケルベロスはふっと声を和らげた。
「別に桃花ちゃんを責めてるわけじゃないわ。もう、これくらいで泣きそうな顔しないの」
「わ、私、泣きそうな顔してない!……よね?」
「ムキにならないの。話、続けるわよ」
「……うん」
桃花は気を取り直して姿勢を正す。
そして、ケルベロスの瞳をじっと見つめ返した。
「魔族と人間も似たようなものよ。魔族も、資源が豊富にある人間界へ来て、更なる発展を望んだ……。共存ではなく、人間たちを滅ぼしてね」
「……」
「ついでに言うと、鬼も同じことしようとしてたのよね。それで、魔族と鬼がこの人間界を取り合って、大喧嘩を繰り広げた。まぁ戦争ね」
「魔族と鬼が……戦争。さっき、鬼の営業所で話してたよね」
「そうよ。でも、最強の二人の出現——つまり桃花ちゃんのじじばばが、両陣営をまとめてボコボコにしたおかげで、やむを得ず休戦状態になったってのが、今の状況ね」
「おじいちゃんと、おばあちゃんか……」
桃花は複雑な心境で、深い溜め息をついた。
自分のルーツが、世界のパワーバランスを暴力的に、かつ強引に書き換えたという事実。
それは誇らしさよりも、底知れない困惑を彼女に与えていた。
「でも、いいの? ケルちゃんは侵略しに来たのに、私に付いてきて、魔族に反逆するような真似をして……」
「……いいのよ♪ こっちの料理は美味しいし、きび団子は絶品だったし♡」
「ええ……そんな、軽い感じの理由……?」
「そうよん♪ それに、魔族の全員が血気盛んなわけじゃないの。アタシもね、紅葉ちゃんや桃花ちゃんと出会って、少し……毒気が抜けたというか、ね」
ケルベロスは茶目っ気たっぷりに笑い、少しだけ目を細めた。
その表情からは、侵略者としての狂気よりも、一人の放浪者としての充足感が滲んでいる。
桃花は、その柔らかな空気に、少しだけ救われたような気持ちになった。
「あの宿……Devil’s Doorにいる悪魔連中もそうだと思うわ。あの様子を見る限り、侵略が目的じゃないみたい。オリアスたちを見てそう感じなかった?」
「確かに……侵略するって雰囲気はないね。すっごく優しかったもん。悪魔って、もっと残虐性が強くて、怖いものだと勝手に思ってたから、意外だったよ」
「そうよね。アイツらのような悪魔って、実はかなり珍しい存在よ。じゃ、今度はその魔族の種類について話すわね」
「うん。お願い」
「魔族は大きく分けると二種類いるわ。アタシみたいな『魔獣』と、オリアスたちのような『悪魔』。この二系統が基本ね」
「……へぇ、そうなんだ」
桃花は興味深そうに身を乗り出し、ケルベロスの言葉を噛みしめた。
「そして、もう一つ、ごく稀に『半人半魔の魔人』と呼ばれる存在の魔族がいるのよ」
「半人半魔の魔人?」
「そう。悪魔と人間のハーフ。遺伝子的に奇跡の産物と言われるくらい希少なのよ。だからこそ『魔人』なんて特別な呼び方をされるの」
ケルベロスは指先でテーブルをコツコツと叩き、音を響かせた。
「紅葉さんも鬼と人間のハーフって聞いたけど、魔族にもそういう存在がいるんだね」
「そうね。紅葉ちゃんも相当レアケースよ。鬼と人間のハーフだから『鬼人』って呼ばれてるわ」
「紅葉さんが、鬼人……」
桃花の脳裏に、凛とした紅葉の姿が浮かぶ。
だが、次に続いたケルベロスの言葉は、ひどく重いものだった。
「紅葉ちゃんから話を聞いたわよね。ああいう存在って、どっちの世界からも嫌われるの。人間からも鬼からも、“どこにも属せない” 存在として扱われ、差別されてるの」
「……」
桃花の表情が曇る。
「魔人も同じよ。魔族にも人間にも受け入れられず、半端者として差別される……。力は強いけど居場所がない。アタシの知り合いにも魔人の子がいたけど……まぁ、色々あったわね」
ケルベロスの声には、少しだけ寂しげな響きが混ざっていた。
「だから、魂はいつも孤独なの。紅葉ちゃんも……相当苦労してるはずよ。昔も……今もね」
「……」
一瞬、会話が途切れた。
屋台の活気とは切り離された、痛みを伴う沈黙。
桃花は何も言えず、ただ紅葉の抱えてきた孤独を思い、胸を締め付けられた。
ケルベロスはそれを振り払うように、ビールをぐっと一口飲み、空気を切り替えるように息をついた——




