第32話 背徳の狂言交響曲
「可愛いワンちゃんは、何が食べたいのかな〜?」
屋台の女性店員は、ケルベロスに向かって微笑みながら、どれを注文するのかを優しく尋ねていた。
もちろん冗談で……。
「ん〜アタシはね〜え♪ このトマトキムチカレーラーメンと枝豆に、餃子、それと生ビールをジョッキでお願〜い♡ あ、キンキンに冷えた状態でね♡」
ケルベロスはテーブルの上に頬杖を立て、ウインクをしながら注文をした。
その瞬間、店員は手元のメモ帳にペンを当てたまま瞬きすら忘れ、目の前にいるその「ワンちゃん」を凝視している。
「……えっ?」
「……あっ!」
桃花は、ここで気付いた。
「犬」が言葉を使い、ごく自然に注文を済ませてしまったことに。
店員は当然、冗談で聞いたつもりだった。
なのに、まさか本当に言葉を使って注文してくるなんて、夢にも思わなかったに違いない。
屋台の喧騒の中で、このテーブルの周囲だけ、一瞬時間が止まったようだった。
「……い、今、犬が喋った? いや……腹話術のぬいぐるみ? それとも録音再生できる、おもちゃ?」
「喋ってるじゃない。アンタの目の前で」
「いいいっ……! 犬が喋ってる!? そ、その……注文したのは、ワンちゃん……ですよね?」
「そうよ。アタシが食べるんだから、アタシが注文したに決まってるじゃない」
そんなこと当たり前だろうと言うケルベロス。
それを聞いた店員の目が激しく泳ぎ始める。
頭の中の常識と目の前の現実が噛み合わず、完全にフリーズしていた。
だが次の瞬間、彼女の表情がパァッと明るく弾ける。
「うっそ! マジ!? 超可愛い! 信じられなーい! こんなことってあるのー!?」
店員のテンションが一気に沸点へと達した。
混乱を超え、興奮へと変わる。
そして、身を乗り出してくる彼女を、ケルベロスは冷静にたしなめる。
「ねぇ、ちょっと。早くオーダーを通してもらえる? アタシたちお腹空いてるの」
「あ、はいぃぃ! 少々お待ちくださいぃぃ!」
店員は奇声を上げんばかりの勢いで、慌てて屋台の方へと駆け戻っていった。
「い、今の店員さん、凄くびっくりしてたね……」
「喋る犬くらいで大騒ぎしすぎよ。世の中には、もっと不思議なことがたっくさんあるんだから〜♪」
「……た、確かに。でも、これで騒がれたら困るなぁ……」
「もし騒ぐようなら、“丸焦げにする”って脅すわ♡」
「ダメだよ! 本当に燃やしたら!」
「ウフン♡ 冗談よ〜ん♪」
そんな軽口を交わしていると、やがて食欲を暴力的に刺激する香ばしい匂いと共に、二人の元へ注文した料理が運ばれてきた。
「お待たせしました〜!」
テーブルの上に並ぶ料理の数々。
湯気が立ち、その香りに食欲が刺激され、二人の顔がほころんだ。
「わぁ、美味しそう〜! じゅるり」
「ワオ♡ これがトマトキムチカレーラーメン! いい香りじゃな〜い! 更に食欲が刺激されるわ〜ん♪」
すると、配膳を終えた店員が、もじもじと両手を組み合わせながら尋ねてきた。
「あ、あの……。食べ終わった後でいいんで、そのワンちゃん抱っこしていいですか? それと写真や動画とかも撮って、いいですか?」
「え? いいわよ。帰る時にね〜」
「やったー! では、ごゆっくり!」
スキップしそうな足取りで戻っていく店員を見て、桃花がぽつりとこぼす。
「……ケルちゃん、そういうの嫌じゃないんだ」
「だってアタシ、可愛いもの♡」
「自分で言うかな」
「当〜然♡」
桃花は冷えたグラスを手に取り、ケルベロスは両前足(両手)を器用に使い、大きなビールジョッキを持ち上げた。
「じゃ、ケルちゃんが仲間になったお祝いに!」
「あら♡ お祝いしてくれるの? 嬉しいわ!」
「それじゃいくよ! せ〜の……」
「「かんぱーい!」」
カチン、と小気味良い音を鳴らして乾杯し、二人は勢いよく喉を鳴らす。
「ぷはー! メロンソーダ美味しー!疲れた体に染み渡るー!」
「くっはぁ〜ん♡ 最っ高〜♪ この喉越し、そして程よい苦味とアルコール、コレが止められない止まらないのよね〜♡」
「まさか、ここでそんなオヤジみたいな台詞を言うとは、思わなかったよ……」
「人間って素晴らしいわ! こんなに美味しいもの作っちゃうんだもの♡」
桃花も熱々のラーメンを啜り、目を輝かせた。
「んん〜! これ美味しいよー! ああっこれ! 昔、おじいちゃんとおばあちゃんが用意した『核搭載歩行戦車』と、単身戦わされた日の夜に食べた、特製『熊鍋』に匹敵するくらい美味しいよぉ!」
「……」
ケルベロスのジョッキを持つ前足が、ピタリと止まる。
賑やかな屋台の中で、彼女の顔だけがスンッと真顔になっていた。
「……アンタ、見た目によらず……結構苦労してるのね」
「あ、『核搭載』とは言ったけど、その時は核なんて、そんな物騒で非人道な物は搭載してなかったから安心してね!」
「当ったり前でしょうがっ! あれね! 魔族に対しても、とんでもなく効くのよ! 非人道とはまさにその通りだわ! 魔族に人道もないけど……」
そんなツッコミを入れつつ、ケルベロスは犬の姿のまま器用に前足で割り箸を割り、麺を持ち上げて口に運ぶ。
「あら! このトマトキムチカレーラーメンいけるわ♡ トマトの酸味、キムチとカレーの辛さと刺激、そしてその中にある微かな甘味、それらをこの苦味のあるビールで流し込む……くぅ〜! 最高ね! 背徳の味だわ!」
「犬の食レポって……。しかも器用に箸を操るとは……。というか、体から黒い炎が出てるよケルちゃん」
「え? あらやだ! 失礼〜♪ 美味しすぎて、黒炎お漏らしちゃった♡ 恥しー♡」
ケルベロスは、「テへッ♪」とお茶目に返し、漏れ出していた黒炎を収めた。
「それにしてもケルちゃんって、美味しそうに食べるね!」
「枝豆と餃子も美味しい〜! あ、これ良かったら、桃花ちゃんもどうぞ♡」
「え! 食べていいの!? いただきまーす! 私のチャーハンも半分ど〜ぞ!」
「あら、ありがとう〜♡」
屋台の喧騒に溶け込みながら、二人は料理を和やかに平らげていった。
そして、すっかりとお腹が満たされ、その場が落ち着いてきた頃。
桃花はここで、ずっと気になっていたことを、ゆっくりと口にする。
「……ケルちゃん、私気になってたことあるんだけど」
「なーに? おかわりするの?」
「いや、そうじゃないんだ。さっき言ってた『魔族』についてなんだけど、もう少し詳しく教えてくれる?」
夜風が少しだけ冷たさを帯び、賑やかな屋台の喧騒が、桃花の耳元で遠のいていく。
「魔族のこと? ええ、構わないわよ」
ケルベロスはジョッキをテーブルへ置き、その「魔族」について静かに語り始めた。




