第27話 「Devil’s Door」
「桃花ちゃん! ここがアタシも泊まれる宿よ!」
ケルベロスの尻尾は、夜風を切って弾けるように揺れていた。
まるで修学旅行前夜の子どもだ。
その無邪気さに対し、目の前にある異様さの建物と噛み合わない。
しかし、その指し示す先を見た瞬間、桃花の全身から血の気が引いた。
「あ、悪魔の、城……?」
声が震える。
目の前にそびえる建物は、夜空を背景に黒くそびえ立つ、巨大な城だった。
ギラつくステンドグラス。
塔の頂上にはコウモリが群れ。
そして、巨大な鉄の門にはドクロの装飾。
雷鳴が走るたび、城の輪郭が妖しく浮かび上がる。
その宿は、どこをどう見ても普通の宿などではなかった。
ここに泊まってしまったら、「もう二度と朝を迎えられない」。
そう感じさせる宿だ。
もはやこれは、「魔界の魔王が住む悪魔城」と言った方がしっくりくるだろう。
この宿の名前だろうか、看板には「Devil’s Door」と刻まれていた。
「ケ、ケルちゃん? ホントにここ? 間違ってない? いくら何でも、ここは……」
「いいえ! 間違いないわ! 見てよこの外観! 最高じゃないの! どストライクでアタシ好みよ!」
テンションが突き抜けたケルベロスは二本足で立ち、両手(前足?)を頭上に広げて喜んでいる。
どうやら魔族の感性は、人間のそれと根本的に違うらしい。
(私としては、畳と布団に、白いご飯とお味噌汁が出てくるような旅館がいいんだけどな……。でも、ケルちゃんが泊まれる場所はかなり限られる。かといって私だけが泊まるわけにもいかないし……)
桃花は頭を抱えた。
「ささっ! 桃花ちゃん! 早速中へと入りましょう! GO! GO!」
「え!? あの、ちょっ……まっ、まだ心の準備がー!」
桃花の悲痛な制止を完全に無視し、ケルベロスは入口の方へと一気に走り出して行く。
ここで桃花は、ある言葉を思い出した。
(おばあちゃんが言っていた……「見た目だけで、判断するのは良くない」と……。うん、確かにその通りだ。見た目だけで全てを判断してしまうのはいけない。でも昔のおばあちゃん、おじいちゃんの見た目と強さだけで一目惚れし、結婚したと自慢げに語ってたから、全然説得力はない……。それはさておき、中は意外と普通なのかもしれない。見ていないうちに、最初から無理と決めつけてしまうのはダメだよね。うん)
心の中で長々と、無理矢理に自分へと言い聞かせ、淡い希望を抱きながら中へ入っていく桃花。
だが——
その希望は見事、木っ端微塵に打ち砕かれる。
「……やっぱりね。こういう時の勘って当たるよね。まず外れないよね。わかってたよー」
宿の中は……桃花の想像の遥か上を行った。
高い天井からは、錆びた鎖がゆらゆらと不気味にぶら下がり、壁には血のような赤い液体が無残に飛び散った跡がはっきりと見える。
そして、部屋の角に置かれた古びた診察台には、シーツを被った「何か」が横たわる。(桃花は絶対見ない)
不気味という名の代表格である怪物。
ミイラ。
フランケンシュタイン。
ガイコツ。
ドラキュラ。
などの姿も見られた。
そして更に廊下の奥には、なぜか大量の「蝋人形」まで揃っており、ズラリと並んで桃花をガン見している(ように見える)。
その他にも、謎の液体に浮かぶ、何が入っているかのわからない標本の瓶。
「これ、本物じゃないよね……?」
思わず誰かに聞きたくなるラインナップだ。
そして、照明代わりに灯っている蝋燭の火がゆらゆらと揺れ、館内を怪しく照らしていた。
「ぅぁぁ……」
声にならない悲鳴。
だが、そんな狂気の空間の片隅。
違和感のある妙に目立つ空間がポツリ。
なんとそこには、可愛いカボチャの被り物や、デフォルメされた魔女っ子フィギュアなどが、ちょこんと控えめに並べられていた。
なぜかそこだけファンシーで、ハロウィンのような和み空間が形成されている。
「すごーい! ここ凄すぎるわ! 本格的ねー!」
ケルベロスは大興奮で尻尾をブンブンと振り回し、もはや暴風レベル。
このような場所が宿であるはずがない。
これは何かのテーマパークだと、桃花は自分に無理やりそう言い聞かせていると……。
「あ、桃花ちゃん! 見て見て! あそこにいるゾンビちゃん! あれ本物よ!」
そう言われて、ケルベロスが指している方向を見ると、桃花は驚愕した。
「本物? いやいや、そんなわけ、が……あ? あれ? 動いてる! ああーーホントに動いてるうぅぅーー!!」
普通に動いていた。
そしてなぜか、そのゾンビはモップを使って丁寧に床の掃除をしている。
「何で何で!? 噛まれたら終わりだよ! 仲間になっちゃうよぉー!」
バイオハザードな展開を想像し、桃花が逃げ腰で半泣きになっていると、薄暗い奥のカウンターから、スッと一人の男性ホテルマンが現れ、声をかけてきた。
「……お客様、ご安心くださいませ。あちらのゾンビは弊社の従業員ですので、襲うようなことはございません」
「……は?」
「いらっしゃいませ。ようこそ、魔界へと誘う宿泊所『Devil’s Door』へ。人間様とお犬様の二名がご宿泊で、よろしいでしょうか?」
ホテルマンの発言からして、どうやらこの宿は本当に犬も宿泊OKのようだ。
「あ、えっ、いや……二人というか……。ここに泊まるのか、どうかはまだ……」
狂気の空間で展開される、あまりにも真っ当な接客。
焦る桃花の横でケルベロスは、カウンターに前足だけを引っ掛けるように飛ぶ。
そして、そこからひょこっと顔を出し、満面の笑みで即答した。
「よろしいでぇっす!!」
「ちょぉぉーーっとケルちゃん!? まだ待って!!」
すると、桃花の様子を見た受付のホテルマンが、穏やかに優しくケルベロスに問い返してきた。
「……本当に、お二人でよろしいでしょうか? お連れ様は、まだ決めかねているように見えますが?」
冷静に桃花の様子を見て、親切に確認してくれている。
(す、すごい……。しっかりと接客してる! って、これが当然なんだろうけど)
そのホテルマンの言葉を聞いたケルベロスは、くるりと振り返り、桃花をじっと見つめた。
「ねぇ桃花ちゃん。ここに泊まらないの……?」
その瞳は、まるで雨の日に段ボール箱に入れられた捨て犬のように、これ以上ないほどウルウルと潤んでいる。
(うっ……そ、そんな目で、私を見ないでー!)
「……え、えっと……と、泊まります。二名……です」
押しに弱い桃花は、結局そう言ってしまった。
それを聞いたケルベロスは、満面の笑顔で尻尾をブンブンと振りまくる。
「かしこまりました。ではこちらへ、必要事項のご記入をお願いいたします」
「は、はい……」
スッと差し出された上質な用紙と、不気味な悪魔が装飾された万年筆。
桃花は震える手で万年筆を持ち、用紙へと記入していく。
それはまるで、命を差し出す契約書へ、自らの名前を書いているような心境だった。
そして、書き終えた用紙を渡そうと顔を上げた時、その受付の男性とバッチリ目が合う。
その瞬間、桃花は内心で息を呑み、思わず目を見開いた——




