第25話 旅は道連れ
黒い煙が消え、音の抜け落ちたような静寂が戻る。
まだ、ほんのわずかに戦いの余熱が空気に残っていた。
桃花は背負い直したリュックを手でポンと叩く。
そして、ゆっくりと振り返って微笑む。
そこには、黒く艶のある毛並みと、少しふてぶてしい笑みを浮かべた三つ首の魔獣。
——「地獄の番犬ケルベロス」。
ほんの少し前まで敵だった存在。
それが今、一緒にいる。
不思議だった。
だがその不思議さよりも、心の奥で湧き上がる安心感のほうが勝っていた。
一人じゃない。
——その言葉が、胸の中をじんわりと温めていく。
「……というわけで、今日から桃花ちゃんと一緒に行動するってことで、いいのよね?」
「うん。私も一人は心細かったし、助かるよ」
照れた笑いが、まだぎこちない。
あの殺気がまるで嘘だったかのように、今は空気が和らいでいる。
だが、ふと胸の奥に小さな棘が残る。
「ねぇ、今更、私が言うのも変だけど、ケルベロスは魔族側なのに、私のような人間と一緒にいて大丈夫なの?」
桃花の問いに、ケルベロスは小さく肩をすくめて笑った。
「別に、”人間と一緒にいちゃダメ”なんて決まりはないからね〜♪」
軽く尻尾が揺れる。
「あ、でも魔族側がそれを知ったら……。アタシ、ヤバいかも〜♡」
「え……?」
冗談めかした声に、桃花の表情が曇った。
一緒に行こうと誘ったりしなければ、ケルベロスはこんな危険を負うこともなかったかもしれない。
その裏に潜む可能性を想像してしまい、桃花の胸が痛む。
「……ご、ごめんね。私が、誘うようなことを言ったから……。一緒にいるのが嫌だったら無理しないで、すぐに離れてね」
自責の色を帯びた声。
その言葉に、桃花は責任を感じている
「な〜に言ってるのよ〜♪ アタシがそうしたいからそうしただけよ。それに——」
三つの顔のうち一つが、ふにゃっと優しく緩む。
「きび団子ちゃんが、と〜っても美味しかったから〜♪ それに勝るものなんて、そうそうないわ〜! また食べたいわ〜♡ もうお腹空いたかも〜?」
「えぇ……そんな理由?」
「そんな理由が、一番強かったりするのよ〜ん♡」
思わず笑みがこぼれる。
重かった空気が、ふっと軽くなった。
けれど、すぐに真剣な瞳で桃花へと戻る。
「でも、もしそんな危ない状況になったら、今度は私が助けるからね! 今の私じゃ、ちょっと難しいかもしれないけど……」
「ふふっ、ありがと♪ でもね、アタシ桃花ちゃんと戦って感じたの。アンタ自分で言うよりも実力あるわよ。もしかしたら、アタシよりも強いかも〜?」
「……はい?」
予想外の評価に、桃花の思考が止まる。
「精神的には、まだまだ可愛いピヨピヨのひよっこちゃんだけどね〜♪ でも、技術や精度は高いわ。伸び代も感じる。あのじじばばに、がっつりとシゴかれただけはあるわね〜」
「うぐっ……精神的に弱いのは否定できない。でも私の方が強いかもって言われても、あまりピンと来ないな」
「あら、ちょっと言い過ぎたかしらね。確かにアンタ、実戦経験は無さそうだし?」
「ギクッ!? わ、わかります?」
「そりゃわかるわよ〜。アタシ、アンタより数万年も、オ・ト・ナ。なんだから♡」
「あはは……大先輩には敵いませんなー」
和やかな空気が流れ、さっきまであった緊張感は消えていた。
「でもケルベロスより、私の方が強いかもって言うのは、やっぱり言い過ぎだよね」
「あら? ならもう一回、戦って確かめてみる?」
「や、やらないって! せっかく助かったのに、今度こそ死んじゃうよぉ!」
「冗談よ〜♪ でもアタシの言ったこと、そんなに外れてないと思うの〜♡」
「そうかなぁ……。どっちでもいいよ。私、ケルベロスと戦いたくないもん」
「ウフ♡ アンタやっぱり“優甘い”わ〜♪」
「優甘いって……それ、優しいと甘いを略したでしょ!」
「そうとも言う〜♡」
軽口の応酬。
そのやり取りが距離を縮めていく。
「ねぇ、私も紅葉さんみたいに、“ケルちゃん”って呼んでいい? すごく可愛いと思ったし、私もそう呼びたいなって」
「もちろんよ♡ 心の距離が、ぐ〜んと縮まった感じ〜♪」
「やった! 改めてよろしくね。ケルちゃん!」
「こちらこそよろしくね〜。桃花ちゃん♡」
二人の間に、ほんのりと温かな風が吹き抜けた。
戦いの緊張が解け、心が和らいでいく。
「でもさ、ケルちゃんの体、大きすぎて目立つよね。鬼の営業所に入った時みたいに小さくなれない?」
「なれるわよ〜♪」
次の瞬間、ふわっと光が弾け、ケルベロスの巨体がぐんぐんと縮んでいく。
そしてそこに現れたのは——
三つ首のまま小型化したケルベロス。
「すご……一体どうなってるの? この世は不思議なことばかりだよね」
「そうよ♪ この世は、不思議なことしかないのよん♡」
「ケルちゃんは数万年も生きてるのに?」
「思うわよ。だって、アンタの育ての親、じじばばに一瞬でボロ雑巾にされたのよ? この世界は、本当にわからないことしかないわ」
「そ、そっか……。でも宇宙レベルで考えてみると、確かにわからないことだらけだね」
「だから、“この世は面白い”のよね〜♪」
「ケルちゃんは凄いね。私はまだ、“この世は面白い”なんて思えないよ」
「いいのよ。無理にそう思うことないわ。ただ辛くなるだけだからね♪」
受け止められた感覚が、桃花の胸を静かに温めていく。
「うん……ありがとう。ケルちゃんとは、ついさっきまで敵同士だったのに、こんな話してるのは、なんか不思議な感じだね」
「ウフ♡ “世の中は広い”ってことよ〜♪」
「そのセリフ、おばあちゃんにも言われたよ〜」
こうして軽口を交わしながら、二人の間に自然と笑いが生まれていく。
「でも身体が小さくなったとはいえ、三つ首のままだと、まだ目立つよね……」
「ならもっと小さく、そして可愛くなってみようかしら〜っと♡」
次の瞬間、また光がふわっと弾けた。
なんと、そこに現れたのは——
「……え? こ、子犬? しかも黒柴で……首が一つになってる!?」
「人間ウケがいい黒柴の子犬になってみました〜♪ どう? アタシ可愛いでしょ♡」
ケルベロスの更なる変身を見た桃花は、あまりの予想外な出来事に驚いた表情を見せる。
その場の空気が一瞬で弾んでいく。
「すっごくいい! 最高! 可愛い! 堪らん! ずっとそのままでいて〜!」
「あら、お気に召したみたいね♡」
桃花は思わずケルベロスを抱き上げ、頬ずりした。
「毛並みふわふわ〜」
ケルベロスは照れくさそうに尻尾を振る。
「こんなにウケるとは思わなかったわ〜♪ この姿なら街に入っても安心ね!」
「うんうん! 完璧〜!」
「でも、こういうのあんまりやったことないから、慣れるまでは少し時間がかかるわね〜」
「え、そうなの? だったら無理はしないでいいからね?」
「アタシを誰だと思ってるの♪ 任せなさい!」
「本当? それなら、いいんだけど」
「大丈夫よ♪ 心配ナッシング〜♡」
「よし! それじゃケルちゃん、このまま街まで行ける?」
「おっけ〜い♪」
夕暮れの中、二人は歩き出す。
穏やかな時間が、ゆっくりと流れる。
その流れの中で、新しい関係が静かに重なっていく。
しばらくすると、やがて遠くに街の灯りが見えてきた。
この小さな光が、これからの旅路をそっと照らしていた。




