第22話 灼熱の黒炎
豪快に破壊された営業所の扉。
そして入口から、轟音とともにケルベロスが外へ飛び出す。
その足元から黒炎を吹き上げ、みるみる膨張して元の姿の巨躯へと変貌する。
ドスンッ!と大地が悲鳴を上げ、衝撃で営業所のガラスが震えた。
尻尾が地面を叩いて砂煙を上げ、三つの首が空を切り裂くように伸び上がり、一斉に鬼たちへと牙を剥く。
「お、おい……どういうことだよ? なんでケルベロスが、俺らに牙を向けてんだよ!?」
騒然とする鬼たち。
理解が追いつかないまま、後ずさる足音が砂を擦った。
味方であったはずのケルベロスが、今や自分たちに敵意を向けているのだから無理もない。
ケルベロスは三つの首を揺らしながら、怪しくニヤリと笑う。
「みんな驚いてる〜? アタシ、今からアンタらをぶっ飛ばすことになりましたから〜♪」
軽い声音。
だが含まれる殺気は冗談ではない。
鬼たちの背中に、じわりと冷汗が浮く。
「はぁ!? 一体どういうことだっつーの!」
「お前、何言ってるか分かってんのか!?」
「頭狂っちまったのかよ!」
その罵声を皮切りに、鬼たちは一斉にどよめく。
「この人間のお嬢さんと取引して契約した? みたいな感じよ〜♪」
三つの頭が同時に笑いながら、ケルベロスは尻尾をふわりと揺らした。
「というわけで、覚悟しなさいな♡」
「おいおい! 意味わかんねぇぞ! なんで人間の味方してんだコラ!」
ざわめきが怒号へと変わり、空気が濁る。
そこへ、紅葉が一歩前に出る。
風が彼女の髪を揺らした。
「ケルちゃん……どういうこと? なぜあなたが……?」
その声には、責めよりも戸惑いが滲んでいる。
ケルベロスは首をかしげ、申し訳なさそうに三つの顔を傾ける。
「……ごめんね紅葉ちゃん。見た通りなの……。あ、でもね! アタシ、紅葉ちゃんのことが嫌いになったとかじゃないのよ! それは信じて♡」
その言葉に紅葉は目を伏せ、複雑な表情を浮かべる。
「ケルちゃん……」
紅葉の唇がかすかに震え、ただその名を呼ぶ。
声は静かだったが、その奥には痛みとも、寂しさともつかない熱が走った。
その様子を、桃花は少し離れた場所から黙って見つめる。
一方で、そのやりとりを見ていた周りの鬼たちは、ケルベロスへ一斉に怒鳴り散らす。
「ふっざけんなや! お前のために、俺らが苦労して毎日飯作ってやってたってのに、その恩を仇で返す気か!」
「テメェがドッグフード嫌だっつーから、連日大量の買い出し行ってたんだぞ!」
「そうだ! すっげぇ大変だったんだからな! お前の体、無駄にデケェからよ!」
その瞬間、ケルベロスの瞳がカッと光る。
「よく言うわ! アンタらの作るご飯ね! ゲボクソマズイのよ! もはや食べ物ですらないわ! 泥団子以下よ!」
「あんだとゴラァァ! 俺たちの苦労も知らねぇでよぉぉ! このクソ犬が!」
「よくもまぁ毎日毎日、あんな下手クソで、マズイ料理を器用に上手に作れるわよね! 天才なのかしら!? 」
「ああん!? 文句言うんだったら最初っからテメェで作れや、バカめが!」
「犬っころの分際で! 何様じゃボケェェ!」
鬼たちの怒号と罵声が飛び交う中、それを聞いたケルベロスは猛反撃する。
「うるさいっ! アタシ地獄の番犬よ!? もうちょいグルメに扱いなさいよ! アタシの尻尾を思いっきり踏むバカもいたし! ふざけんじゃないわよ!」
「ただでさえマズイ料理を更に大失敗して、それをしれっと出してきやがったこともあったでしょ! 分かってんだからねっ! 下等生物扱いすんな!」
「酷い時なんて、腐ったみかんを投げつけてきたこともあったわ!」
尻尾でパシンと地面を打ち、プンプンと怒りながら、首ごとに三つ分の不満を吐き出す。
「……でもね、紅葉ちゃんだけは違うの。いつも優しく話しかけてくれたし、ご飯もすっごく美味しかった♪ だからアタシ、紅葉ちゃんのことだけはダイスキ♡」
「ケルちゃん……」
紅葉の目に、わずかに光が宿る。
その優しい表情を、桃花は目を離さずに見つめていた。
次の瞬間、ケルベロスは三つの頭を同時に鬼たちへ向けた。
「そ・れ・と・ね〜」
尻尾をゆらりと揺らしながら、低く唸る。
「この人間のお嬢さんに手を出したら、アタシ許さないわよ」
桃花を見ながら鬼たちへと警告した。
「……はぁ? なんだって!?」
「もし、そんなことしてごらんなさいな。文字通り、灰も残してあげないから♡」
ふわりと笑い、三つの首が同時にペロッと舌を出す。
ピリッと空気が凍りつき、鬼たちの背筋にドッと冷や汗が流れる。
さっきまでの狂気じみた戦意は見る影もない。
「別にビビってねぇし!」
「ああ! 俺らだって本気出せばなぁ……!」
風に舞う砂埃の中、巨大な獣と鬼たち。
そして紅葉が対峙する光景は、まるで地獄絵図のようだった。
そんな中、紅葉に公開処刑とも言えるフラれ方をした鬼。
黄鬼。
スポーツ鬼。
メガネ鬼。
この三人が、男気(と見栄)を取り戻し、前へ出る。
「ふざけんなや! 下がっててください所長! 俺がヤツを止めます!」
勢いよく叫び、スポーツ鬼が拳を鳴らす。
それに続き、メガネ鬼が冷静に眼鏡を軽く押し上げ、黄鬼も吠える。
「君だけで出来るのか? 当然、僕も行くよ」
「お前らだけに行かせねぇぞ! 俺もやるぜ!」
「あ〜らら〜ん♪ 紅葉ちゃんの前でカッコつけたいの? お年頃〜♡ でも、紅葉ちゃんが相手ならまだしも、アンタらじゃアタシを止めるのは無理無理よ〜♪」
ケルベロスがクスクスと笑う。
「あぁ!? やってみねぇとわかんねぇだろうが!」
「舐めてんじゃねぇぞ! ボケテメェコラ!」
スポーツ鬼と黄鬼が、激しく声を上げる。
「あら〜♪ ならやってみる? かかってきなさいな♡」
「上等だコラァ!!」
「ぶっ飛ばしてやるぜぇえ!!」
そう言って二人の鬼は同時に地面を蹴り、土煙を上げてケルベロスへ突撃する。
「はぁ……。また君たちは考えなしに突っ込む……」
そう言ってメガネ鬼は、「やれやれ」とため息をついた。
「二人ともやめなさい!」
勢いよく走り出した二人の鬼に対し、紅葉の声が響く。
だが、二人はすでに突っ込んでおり、聞こえていない。
理性は置き去りだ。
すると——
「あらよっと〜♪」
次の瞬間、ケルベロスの右前足が軽く動いた。
それだけだった。
ドゴォォッ!!
突っ込んできた二人の鬼は、まとめて薙ぎ払われて吹っ飛び、景色が一瞬歪む。
スポーツ鬼は近くの大岩へ凄まじい速度で激突し、その衝撃で岩がバラバラに粉砕された。
黄鬼は地面を勢いよくバウンドしながら、木々を何本もへし折り、森の奥へと消えていく。
「あっ……?」
その光景を見たメガネ鬼の眼鏡レンズに、「ピシィィィッ!」と大きなヒビが入る。
周囲の鬼たちは呆然。
紅葉も額に手を当て「だから言ったのに……」と、呟いて肩を落とす。
桃花は完全に目が点。
ケルベロスは、尻尾をふりふりさせながら舌を出して笑っている。
「あら? ちょっとやりすぎちゃったかしら? ま、いっか♪ どうせ倒すんだし♡」
三つの首が同時に笑い、黒い炎が口の奥に渦巻いた。
「もう面倒だから、一気にやっちゃうわ!」
ケルベロスは三つの首を高く掲げた。
「紅葉ちゃんの後ろにいる鬼だけを狙うから、上手く避けてね〜♡」
紅葉の目が見開かれた瞬間、空気が熱に震えた。
三つ首の口から吐き出された漆黒の炎が、地面を焼き尽くし、風を巻き上げる。
周囲の鬼たちは、避ける暇もなく黒炎に呑まれた。
黒炎は柱のように天へ伸び、空を裂き、凄まじい轟音が響く。
ドオオオッ!!!
「っ!!」
紅葉は咄嗟に横へ飛ぶ。
その拍子に、スーツの裾が一部焼け焦げたが上手く回避した。
運よく紅葉のすぐ傍にいたメガネ鬼も、かろうじて避けることには成功する。
だがその瞬間、彼の眼鏡のレンズが「バッキィィィッ!!」とキレのいい音を立てて砕け散り、ただのフレームだけになった。
「あ、見えない……。でも、買い換えれば……いいか……」
と呟きながら、そのまま崩れるようにパタッと気絶した。
焼け焦げた空気が熱波となって、桃花の頬をかすめる。
悲鳴を上げる間もなく、一瞬で丸焦げになった鬼たちは、地面に黒い塊として転がる。
ケルベロスは恍惚の表情で空を見上げた。
「アッハ〜ン♪ この感覚、懐かし〜刺激的ぃ〜♡」
焦げた煙が立ち込める中、桃花はその圧倒的な力に言葉を失った。
自分と戦った時とはまるで違う、桁外れの破壊力。
(……わ、私の時、本気を出してなかったの?)
この光景を見た桃花は背筋が冷える。
「ま、鬼どもは香ばしく丸焦げになっちゃったけど、まだ原型はあるし、鬼の生命保険で元通りになるでしょ。そのまま一生おねんねしててもいいけど♡」
熱風が過ぎ去った後、静寂が訪れる。
そこに立っているのは、ケルベロスと紅葉、そして桃花だけだった。
黒煙が立ち込める中、ケルベロスは三つの首を紅葉の方へ向けた。
その眼差しには、かすかな迷いと寂しさが混ざっている。
紅葉の紅い髪が風に揺れた。
彼女は着地の勢いのまま片膝をつき、ケルベロスを静かに見ていた。
ケルベロスの口元が、かすかに歪む。
その空気の緊張を感じ取った桃花は、思わず息を呑み、拳を握りしめる。
風が吹き抜け、焦げ跡に舞う灰が、まるで雪のように落ちていた。




