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天織り満天 - 交錯する世界を繋ぐ花 -  作者: 天堂 かける
第2章 桃と鬼

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第21話 地獄の取引

「十分だけ時間をあげる。その間に決断しなさい」


そう言って紅葉が外へ出て行った瞬間、営業所の中に静寂が訪れる。


桃花はその場に立ち尽くし、手をぎゅっと握りしめた。

心臓の鼓動が、やけにうるさく警鐘を鳴らしている。


紅葉の言葉が耳の奥で何度も反響していた。


十分の猶予。


それは慈悲ではなく、残酷な「決断」の時間だった。

その間に、ここから出なければ……殺される。

紅葉と交わした会話の断片が、頭の中を何度も駆け巡る。


彼女の静かな声。


かつての過去をほんの一瞬、漏らしたときのあの悲しげな表情。

心の奥に閉じ込めていた過去。


(……あの人、あんなに辛い思いをしてたなんて……)


知りたくなかったのに、知ってしまった。

だからこそ、今のこの状況が余計に苦しい。

知らなければ、ただの敵でいられたのに。


桃花は唇を噛み、泣きながら両手で顔を覆う。


(こんな状態で戦えば……私は殺される。でも、ここで逃げてしまったら……)


心が引き裂かれるように、迷いが渦巻く。

決断できない。

だが、考えている時間も多くはない。

焦りで呼吸が荒くなっていく。

精神も混乱し、まともな思考ができなくなっていた。


——その時だった。

耳の奥に、ねっとりとした甘い声が滑り込む。


「ん〜? なにやら、しょっぱい匂いがするわねぇ♡」

「っ!?」


ビクリと肩を震わせて振り返る。


すると、いつの間にか来客用ソファの上に、先ほど戦った「地獄の番犬ケルベロス」が寝そべっていた。

尻尾を左右にゆったりと揺らしながら、どこか楽しげにこちらを見ている。


「ケルベロス……!? いつの間に中へ? い、いや、それよりも……」


——小さい。

見上げるほどの巨大な身体が、十分の一ほどに縮んでいる。


「ど、どういうこと? さっきまで、あんなに大きかったのに……どうやって入ったの?」

「ウフ〜ン、ちょこ〜っとだけ、小さくなってみたの♡ それにアタシ、潜入とか得意なのよ。『地獄のステルス犬』なんて呼ばれてるくらいなんだから〜♪」


緊張で固まっていた空気に異物が落ちる。

軽薄さと底知れなさが同時に漂う。


「……いや、そうじゃなくて、なんでそんなに……」


桃花が食い気味に聞こうとした瞬間、ケルベロスはわざとらしくため息をつく。

その仕草一つで、その場の主導権が完全に切り替わった。


「で、そんなことよりどうするの? 可哀想なお嬢さん。今のアンタ、面白いくらい追い詰められてるわよ」

「……」


現実を抉るような言葉に黙り込む桃花。


「ウフ♡ そこで提案! 今なら、この、ア・タ・シ・が、助けてあげてもいいわよん♪」

「……え?」


桃花は一瞬、自分の耳を疑った。


「ダ・カ・ラ〜 “アンタのこと助けてあげましょうか?”って言ってんの〜。すんごく優しいでしょアタシ? 今ならお安くしとくわよ〜ん。サービスサービスゥ〜♪」

「……なんで、そんなこと」


桃花は警戒しながら後ずさる。


「あらま、わかってないのねぇ」


ケルベロスの笑みは柔らかく、それでいて底知れない。

まるで、心の奥まで見透かしているかのようだった。


「アンタが今、何を考えてるのか、全部わかるわよ〜。もう、“どうしたらいいかわかんなーい”って顔してるもの」


桃花の背筋に冷たいものが走る。


「……心を読んだの?」

「アタシ、犬だから鼻と耳がいいの〜。紅葉ちゃんとの会話、全部聞こえちゃってたのよね〜。別に聞くつもりはなかったけど」


「聞いてたの?」


羞恥と苛立ちが混ざる。


「今のアンタの思考や心理も、手に取るようにわかるわよ♪」

「っ……!」


桃花の胸がざわつく。


「“判断できなーい”、“決められなーい”っていう、混乱した心、ぜ〜んぶ丸見えよ。しかも、紅葉ちゃんに同情もしちゃってるでしょ♪」

「……!!」


全て本当のことだった。

何も言い返せない桃花。


「そこで、最初に言った“提案”に戻りま〜す!今外にいる鬼たち、全部アタシがお片づけして・ア・ゲ・ル♡」

「え?」


不意に声が漏れ出てしまう。


「そうすれば、アンタは “逃げる”か、“挑む”か。どっちを選んでも、最悪な展開は避けられるわよ。どう? 悪くない取引でしょ?」

「……どういうつもり? あなた、鬼の仲間でしょ?」


桃花が警戒の目を向けると、ケルベロスは指を左右に振った。


「仲間? ノンノン♪ アタシは『魔族』だから、鬼の子分なんかじゃないの♪」

「ま、魔族……!」


世界の構図が一段深くなる。


「そ♡ 実は今、鬼と魔族はね、『停戦中』なの。一応、表向きは協力関係ってやつね」

「え?」


「そんでね。信用の証として、お互いの陣営に代表を派遣してるの。いわば出向みたいなもんね、それには監視の意味合いもあるわ」

「停戦中? 協力?……。あなたは今、鬼側に派遣されてるってことなの?」


「そういうこと! でもあくまで契約上の関係よ。忠誠心なんてナッシング〜♪」


ケルベロスは軽く話しているが、その裏には緊張した均衡が透けて見える。


「でも昔はね〜、鬼と魔族はバッチバチの敵対関係だったのよ。血で血を洗う大・戦・争! アハ〜ン! 今思い出しても、最っ高にスパイスィー♡」

「そんな鬼を裏切るようなことしたら、また戦争になるんじゃないの?」


「そんなことないわ。だってね——」


一瞬、ケルベロスの表情が変わる。


「両陣営ともに、案外こういうことは日常茶飯事だから〜♪ どうせ、いつものことだと言われて終わりよ。だから戦争になんて、まずならないわ」

「どっちもそんなことしてるのに、なんで戦争にならないの? そもそも、なぜ停戦中なの?」


疑問が次々と溢れ出る。


「理由はとっても簡単♪ むか〜しむかし、あるところにね、“とんでもないバケモノ人間” が現れたとさ。それも二人〜♡」

「とんでもない……バケモノ人間?」


ケルベロスの笑みが、一瞬だけ真顔になる。


「そう。ついこの間ね……って言っても、百年以上前の話だけど……。アタシね、その二人と戦ったことあるのよ。結果? 全く歯が立たず、一方的にボコられちゃったの〜♪ 未だに夢に出てきて魘されるレベルだから、もうトラウマ〜♡」

「……その、バケモノ人間って……?」


「ウフフ♪ アタシの予想、きっと当たってると思うの〜」


ケルベロスはニヤリと笑った。


「アンタの動き、構え、技、装備品——それらを見て、すぐピンときたのよ。だって、あのときの二人と全く同じだもん。まるでデジャヴよ、間違いないわ」


桃花の胸に、ざわめくような感情が走る。


「まさか……おじいちゃんと、おばあちゃんが? 昔、そんなことまで……?」

「ねぇ、その二人って、アンタの師匠か何か?」


「うん。私を育ててくれた親でもあり、師でもある……かな」

「ふ〜ん? なるほどね〜。その二人、鬼と魔族をまとめてぶっ飛ばした伝説級の人間なのよ」


「お、鬼と魔族を!?」

「その無双ぶりが、あまりにもぶっ飛び過ぎたもんだからね。国や地域によっては都市伝説扱いされてるほどよ」


「都市伝説扱いって……」


言葉の重みが、ずしりと落ちる。


「そんで、たった二人のバケモノ人間の出現で、鬼と魔族はフルボッコ! その惨劇で両陣営ともに、戦う気が失せちゃったのよ。お互いの気力も兵力もスッカラカン。だから、ここは一旦休戦として、その二人に対抗するための協力体制を取りましょう。というのが、停戦の理由よ」

「それは初耳だよ……。しかも、停戦の理由がそれって……」


「しかもその二人、まだ生きてるでしょ? だから戦争が再燃しないってワケ。だって未だに鬼も魔族も、その二人にやられてるんだから。そりゃどっちも迂闊に動けないわよね〜」

「おじいちゃんとおばあちゃんって、今もそんな活動を!? 私、全然気付かなかったよ……」


彼らの背中を見て育ったことを、今改めて実感する。

ケルベロスは尻尾をふわりと揺らし、楽しげに続けた。


「だからね♪ 因縁みたいな? ま、そんな感じでアンタを “つ・い・で”に、助けてあげるのも悪くないのかもって♡」

「……ついで?」


「そ! 実は、アンタを助ける一番の理由は、他にあるの♡」


ケルベロスの鼻先が桃花のリュックへ向く。


「アンタのリュックの中に入ってる『お団子』みたいなやつ、あるでしょ?」


桃花は、おばあさんがいつの間にか、リュックの中へ入れていたことを思い出す。


「お団子?……。もしかして『きび団子』のことかな?」

「あ! それかも〜! それね、さっきからずっと! ものすっご〜く甘くて美味しそうな匂いがしてるのよ〜ん♪ アタシ、ずーっと我慢してたけど……もう、限・界♡」


「……え?」


一瞬、場の緊張が緩む。

だが今の発言は、おそらく冗談ではない。


「だから、『取引』しましょ♪ アタシが外の鬼どもをお掃除するから、その代わり、そのきび団子ちょうだいな♪ ね? 等価交換ってやつよ♡」

「きび団子が、等価交換……になるの?」


きび団子と命。

全く釣り合わないはずなのに——


だが、この状況を打破するには、もうその道しかない。

ケルベロスが、どこまで信用できるかも分からない。

だが、嘘を言っているようにも、騙そうとしているようにも見えない。


今はもう、他に選択肢もない。

余裕もない。

そして——時間もなかった。

桃花は唇を強く結んで、悔しさを噛み締めるように答えた。


「……わかった。取引、しましょう」


ケルベロスの尻尾がぴょん!と跳ねた。


「きゃ〜ん♡ 交渉成立ぅ〜っ! アッハ〜ン♪ 早く食べた〜い! アタシのきび団子ちゃんたちぃ〜♡」

「あの……そのきび団子は、ここから無事に出られた後でも、いい……?」


「オッケー! 任せときなさいっ!!」


次の瞬間、ケルベロスの瞳がギラリと光った。

さっきまでの軽さが嘘のように、獣の気配がブワッ溢れ出す。


「さ〜てと、ただ今より、地獄の番犬! 出! 動! いたしま〜す♡」


そして、豪快に扉へ体当たりをし、勢いよくその扉を吹っ飛ばすケルベロス。

その瞬間、外では鬼たちの発する狂気の雄叫びが響き渡った。


だが——


「お待たせ〜モブ鬼ちゃんたちぃ〜♪ 本日は生中継にて、『ケルベロス VS 鬼軍団 ─ 病院への直行片道切符スペシャル ─』を、地獄放送局の提供で、力の限りお送りしまぁ〜す♡ 」


一瞬の静寂。

ケルベロスの咆哮と鬼たちの悲鳴が交錯し、空気が震えた。

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