第20話 謎テロリスト
紅葉の声が、営業所内に低く鋭く響いた。
「……外に出ていなさい」
その一言に、逆らえる者など誰もいなかった。
外へ出た鬼たちは、何とも言えない不満を抱えたまま、営業所の前に固まっていた。
怒りと戸惑いが入り混じる空気の中、誰もが今の状況を呑み込めずにいた。
重たい空気が地面に張りつくように淀んでおり、やがて行き場のない苛立ちが、口を突いて出る。
スポーツ鬼は怒りで顔を歪め、言葉を吐き捨てた。
「……所長は、あの女と何を話すつもりなんだ? なんでその場で、すぐ始末しねぇんだよ!」
そこへ、赤鬼が唸るように話し始める。
「俺たち、あの女のせいで散々な目に遭ったんだぜ? 骨を折られただけでなく、木に逆さ吊りまでされたんだぞ! あいつがまだ生きてるってだけで腹が立つぜクソが!」
それを聞いた青鬼は、肩をすくめた。
「最初に見た時、いい身なりの女だったから、絶好のカモだと思ったんだけどね……」
「というか……お前らも所長を狙ってたのかよ」
この黄鬼の言葉に、スポーツ鬼とメガネ鬼の視線が交差する。
その視線には、仲間への探りが入っているようにも見えた。
メガネ鬼が乾いた笑みを浮かべ、眼鏡のフレームを指でクイっと上げながら答える。
「……ああ。見事に玉砕だったね。所長、壁が高いだけでなく、分厚すぎるよ」
「所長を狙ってるやつが、俺を含めてまさか三人もいたとはな。あの場で行くつもりはなかったが、取られるくらいならって思ったら体が勝手に動いてたぜ」
メガネ鬼に続いて、スポーツ鬼は苦笑混じりに話し出してくる。
怒りの感情は比較的には薄いようだ。
「僕も同じだったよ。でも僕はね。少しずつ確実に距離を詰めて、成功率を上げてから挑むつもりだったんだよ。まさかこんな展開になるとは、ホントに予定外だよ」
メガネ鬼が笑みを崩さず、ため息をついて答えていく。
実はライバルだったと判明した今、この三人の間に奇妙な連帯感が生まれている。
「というか君、昨日所長を食事に誘ってたのか」
「そうだ! ちゃっかりしてんなこの野郎!」
メガネ鬼とスポーツ鬼は呆れた様子。
抜け駆けしようとした事実にブーイングが飛ぶ中、黄鬼が落ち込んだように顔をガクッと落とした。
「昨日と今日で、二連続でフラれたけどな……」
その哀愁漂う黄鬼の様子に、短い沈黙が流れる。
その気まずさを払拭するように、スポーツ鬼がぽつりと呟いた。
「……ま、まぁ、んでだ。所長の『気になる人』って、一体誰なんだ? お前らわかるか?」
「さぁね。ここにいないなら、僕らが聞いても本当に知らない人物だろうね。まったく、所長はどこまで遠い存在なんだか……」
メガネ鬼が、クイっとメガネを指で押し上げる。
レンズの奥には、諦めきれない感情が揺らめいていた。
「なんか、ちょっと気まずいよなぁ……。このあと、所長と顔合わせづらいぜ。特に俺は……」
黄鬼がぼやいていたその時、ふと青鬼が何かに気づき、キョロキョロと周囲を見回した。
「あれ? そういえばケルベロスは?」
「ん? いないな……。あんなデカい奴が一体どこ行った?」
赤鬼も眉を寄せる。
それを聞いた他の鬼も周囲を見渡したが、気配がない。
あの巨体。
あの威圧感。
それがまるで最初から存在していなかったかのように、跡形もなく消えている。
皆が一瞬、背後の影を気にしたのだが……。
そこには、何もいなかった。
得体の知れない不穏さが肌を撫でる。
遠くでカラスの声が響き、静寂を際立たせた。
すると……。
——ガチャ。
正面の扉が開き、営業所の中から紅葉がゆっくりと姿を現した。
陽の光が彼女の髪を照らし、その紅い瞳と冷ややかな気配が、瞬く間に場の空気を支配した。
「所長! あの女は! どうしたんです!?」
スポーツ鬼が食い気味に問いかけた。
紅葉は一瞬だけ目を伏せ、数秒の沈黙ののち、静かに口を開く。
「……十分だけ、猶予を与えたわ」
「は? 猶予?」
それを聞いて、ざわめく鬼たち。
紅葉は感情の欠片もなく、言葉を続けた。
「ええ。みんな、十分経ったら中に入って仕事を再開して。それまでは、全員ここで待機」
「十分……?」
メガネ鬼が眉を寄せる。
紅葉の声が一段、低く落ちた。
その声には、有無を言わせぬ凄みが宿っている。
「十分の間に、あの人間が出てきたら遠慮はいらないわ。殺しなさい」
鬼たちがざわめき、顔を見合わせる。
ここでスポーツ鬼が疑問を問いかけた。
「もし十分経っても、まだ中にいた場合はどうするんですか?」
紅葉は更に続ける。
「同じよ……。容赦なく殺しなさい」
その一言で、鬼たちの目の色が変わっていく。
どちらに転んでも「殺せ」という許可。
抑圧されていた暴力への渇望が溢れ出す。
だが、それを聞いたスポーツ鬼がすぐさま声を上げた。
「な、何を言ってるんですか所長! なんでそんな回りくどいことをするんです!? 今すぐやっちまえばいいでしょうが!」
興奮の渦が広がり、他の鬼たちも獣のような咆哮を震わせる。
「そうですよ所長! 早くしねぇと、あの女逃げちまいますぜぇ!」
「あいつの顔と体を引き裂いて、泣き叫ぶところをよ! 早く見たいんですわ!」
「俺に真っ赤な血を見せてくれやぁぁぁぁーーーー!!」
狂気の歓声。
殺意と興奮で空気が震える。
そんな狂騒の中。
紅葉が一歩前に出る。
ガッ!
ヒールの踵に当たった砂利の音が鋭く響く。
その瞬間、空気が一気に凍りついた。
一言も発さず、ただその視線だけで鬼たち全員を圧倒した。
胸の奥を鷲掴みにされるような、重く鋭い威圧。
その紅い瞳は氷のように冷たく、刃のように光る。
「……ッ!!」
鬼たちは一斉に黙り込む。
「……大人しくしてなさい」
紅葉は長い髪を揺らし、その一言で全てを締めくくる。
沈黙のまま、焦った鬼たちは激しく頷いた。
だが、その沈黙の中——
黄鬼。
スポーツ鬼。
メガネ鬼。
この三人だけは、別の想いを抱えていた。
その静けさの中で黄鬼が小声で呟く。
「……やっぱ、所長って最高に怖ぇ……。でも、最高にイイ女」
メガネ鬼もスポーツ鬼も、同じように紅葉の横顔に視線を奪われていた。
彼らは、まだ諦めていなかった。
紅葉は「気になっている人」がいるだけで、付き合ってるわけじゃない。
それなら、まだ自分たちにも可能性はある。
声には出さないが、三人の心は同じ言葉を反芻していた。
紅葉は腕時計を見る。
安定した間隔で動く秒針が、やけに遅く進んでいるように感じた。
カチ、カチ、カチ……。
時間が音を立てて過ぎていく。
風が止み、世界が息を潜めたようだった。
張り詰めた緊張の糸が、限界まで引き絞られる。
そして……十分が経つ直前。
その静寂を破るように——
ドガシャーーン!!
営業所の扉が内側から破壊され、凄まじい勢いで吹っ飛んだ。
「!!?」
その瞬間、驚いた鬼たちが一斉に入り口へと振り向いた。
飛んでいった扉が、紅葉の隣を風を切りながらギリギリで掠めていく。
それでも彼女は微動だにしない。
そのまま飛んでいった扉は、たまたま紅葉の背後にいた青鬼の顔面へと、運悪く直撃した。
「へぶしぃっ!」
青鬼は地面へと倒れ、鼻血を出しながら気絶した。
鬼たちがざわつく中——
紅葉だけは一切目線を外さず、入口のみを見つめていた。
粉塵が舞う中、その入り口前に立っていたのは……桃花。
彼女はゆっくりと、外へと歩み出る。
顔は涙ぐんで目元が赤い。
息を切らし、額には汗がにじんでいて顔色も悪かった。
緊張に包まれながらも、それでも真っ直ぐに紅葉を見据えている。
「……」
紅葉も桃花の姿をじっと見つめる。
その瞬間、抑え込まれていた鬼たちの欲望が一気に爆発した。
「女キッタァァァァーーーー!! 八ぁぁっつ裂きじゃぁぁぁぁーーーー!!」
「殺せ殺せ全てを殺せぇぇぇぇぇーーーーー!!」
「サツガイ!! サツガイせよぉぉぉぉぉーーーーー!!」
「俺は地獄のテロリィィィーーースト!!」
鬼どもは頭が狂ったような雄叫びを上げ、一斉に足を踏み鳴らす。
暴力と嗜虐の声が飛び交い、その場は一瞬で狂気に染まった。
だが紅葉だけは表情を変えず、その紅い瞳が桃花を捉え、冷たく呟く。
「……残念だわ」
その囁きは、鬼たちの狂気に掻き消されてしまう。
「ねえぇぇえ!! 所長さんよぉぉお!! この女やっちまっていいんすよねぇぇぇぇ!!」
「もうっ!! 我慢できなぁぁぁぁイィぃぃぃYoooo!!」
鬼たちの声が重なった瞬間、別の声が空気を切り裂く。
「ざぁ〜んねぇ〜ん♡」
桃花の背後から、耳に残る甲高く艶やかな声。
その声が聞こえた方へと、一斉に視線を向ける鬼たち。
空気が歪んだ。
「アンタたちのお相手は、この、ア・タ・シ♡」
先程まで姿のなかった「地獄の番犬ケルベロス」が、桃花の後から艶やかに笑いながら外へ出てきたのだ。
その瞬間、鬼たちの血の気が引いた。
風が止み、空気が揺らぐ。
紅葉の瞳が静かに細められ、一瞬の静寂が訪れる。




