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天織り満天 - 交錯する世界を繋ぐ花 -  作者: 天堂 かける
第2章 桃と鬼

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第19話 紅葉の告白、裂かれた狭間

営業所に残されたのは、紅葉と桃花の二人だけだった。


扉が閉まる音の余韻が、まだ壁に薄く残っている。

外へ出ていった鬼たちの気配が、まだ完全には消えていない。

沈黙が床を這うように、じわじわと広がった。


桃花は構えを崩さない。

鋭い視線を紅葉に向けたまま、先に口を開く。


「……私と、一体何の話をするつもりですか? さっきも言いましたが、あなたと話すことなんてありませんよ」


桃花の言葉は硬く、拒絶の意思が込められていた。


紅葉は、ふっと軽く微笑む。

だがその笑みは、どこか遠く、寂しげだった。


「そんな怖い顔しないで……。情けで、あなたをここで見逃してあげてもいいわよ」

「……は?」


桃花の眉が、ぴくりと動く。

予想外の提案に、思考が一瞬停止した。


「……どういうつもり? さっきまで私を陥れようとしてたのに、今度は見逃す? 一体どんな風の吹き回しですか?」


その言葉には、僅かな警戒と戸惑いが混ざっていた。

紅葉は腕を組み、視線を落とす。


「本当は、挑んできたあなたを、徹底的に叩きのめすつもりだったけど……気が変わったの」

「気が変わった?」


桃花の声が低くなる。


「ええ。あんな風に告白されて、気になる人がいるなんて話をしてたら、ふと昔のことを思い出したの……。だから、見逃すのは私の気まぐれね」


その言葉に桃花は思わず目を細めた。


「昔のこと?」


紅葉は静かに頷いた。


「……あなたを逃がす理由があるとしたら二つ。一つは、私も同じ「女性」だから。そして、もう一つは——」


そこで言葉を切り、彼女の表情がわずかに陰を帯びる。


「私が……『人間と鬼のハーフ』で、人間の血が混ざっているからよ」


その告白は静かだった。

桃花の呼吸が一瞬遅れる。


「……人間と、鬼の?」

「そう。父が人間で、母が鬼。私の体の中には両方の血が入ってる。だから……あなたを見逃すのは、人間の血が流れている『もう一人の私』としての情けよ」


その事実は淡々と語られた。

だが……重い。


敵だと思っていた相手の中に、自分と同じ「人間の血」が流れている。

桃花の胸の奥で、何かが軋むような音がした。

困惑と、わずかな共感への拒絶が胸の内でせめぎ合う。


「……なぜ、鬼側にいるの?」


桃花の問いは鋭い。

だが、その鋭さは攻撃というより確認に近い。


紅葉は、そっと目を閉じ、遠い記憶を手繰り寄せるように語り出す。


「……私が幼い頃ね、鬼である母が、人間の父を殺したの」

「!」


一瞬で空気が沈んだ。

重力が増したように息が詰まる。


紅葉の声は変わらず静かだ。

けれどその奥には、押し殺した痛みが確かに滲んでいる。


「私の家庭は……普通じゃなかったから。鬼と人間のどちら側からも、『穢れた存在』として扱われて、差別されたの」

「……」


桃花は構えたまま、ただ黙って話を聞いている。

だがその瞳の奥で、警戒とは別の感情が芽生え始めていた。


「……だから、どこにも居場所なんてなかったわ。体を休める場所も、気の休まる場所もなくい。そしてお金もなく、食べるものもない。そんな生活が……何年も何年も、続いたのよ」

「……」


「……そしてある日、あまりにも貧しい生活に耐えられなくなった父は……。私と母を、他国のとある奴隷商に売ろうとしたの。金のために」

「売る……?」


桃花の声が擦れる。


「そう。金さえあれば助かると思ったんでしょうね。私たちを捨てて、自分だけ逃げようとしたのよ……。知ってた? 他国では、鬼って種族はとても高額で売れるのよ? でもその前に、母がそれを知って父を止めた——いや、もう殺すしかなかったと言うべきかしら」

「殺すしか、なかったって……」


受け入れがたい結末に、小さい声で桃花は問いかけた。


「それくらい……私たちは、追い込まれていたのよ。この辛さ、あなたには……想像もできないでしょうけどね」

「っ!」


悲しそうな表情を見せた紅葉の言葉に、何も返せなかった。

否定も肯定もできない。


「だから、母も必死だった……。私を守るためにね。そして生きるため、一緒に逃げたわ。逃げる相手はもちろん奴隷商。しかも欲深い卑劣な人間だったわ。どんな手を使ってでも、母と私を捉えるために、どこまでも追ってきた。でも、それでも私たちは逃げ続けたわ」


静寂が落ちる。


それは、先ほどの恋愛劇の沈黙とはまるで違う。

重く逃げ場のない沈黙。


「……でもね、すぐに限界が来たわ。幼い私を抱えては逃げきれない。そう考えた母はその後、鬼の総本山である『鬼ヶ島』へと行き、入れてもらえるよう必死に頼み込み。なんとか鬼の世界で生きる道を得られたの。でも、私は……迷ったわ」


一瞬だけ、悲しそうな表情を見せる。


「けれど、最終的には『力のある鬼』を選んだ。『弱い人間』として搾取され、苦しむくらいなら『強い鬼』として生きる道をね」


桃花は拳を握りしめ、言葉を探すように口を開いた。


「……その話、嘘じゃないという、証拠はあるんですか?」


それは、微かな抵抗。

信じてしまえば、戦えなくなる予感があった。


「証拠なんてないわ。この話を信じるかどうかは、あなたが決めることよ」


その一言が不思議なほど静かに響いた。

押しつけではない。

同情を乞うわけでもない。

ただ、事実として置かれた告白。


桃花の中で、何かが胸の奥に突き刺さり、崩れる音がした。

戦う理由が一瞬で揺らいでしまう。

紅葉の言葉の裏に、どこか「嘘」ではない何かを感じた。

頭の中がぐるぐると回り、息が詰まりそうになる。


「どうして……そんな話を、私にしたの……?」

「……なぜかしらね。昔を思い出したから……。ただ……それだけよ」


紅葉は、そんな桃花をまっすぐ見据えた。


「逃げるなら裏口から出なさい。だけど、もし挑む気なら、正面入り口から出て来なさい……。それを決めるのは、あなたよ」

「!?」


そして鋭く続ける。


「……多勢に無勢。私たち鬼を相手に、真っ向から挑んでも勝てない。あなたは今、そう感じているのではないの?」

「!!」


図星だった。

反論の言葉が、喉で凍りついた。


「……十分だけ待ちましょう。その間に考えなさい」

「十分……?」


「ええ。十分経ったら、私たちは営業所の中に戻る。あなたがいなければ、そのまま仕事に戻るわ……。けれど、もしあなたが、まだここにいたら——」


ここで言葉が途切れ、そして言い放つ。


「容赦しない」


冷たい宣告。


その声には揺らぎがなかった。

だが、紅葉の瞳は冷たくも、どこか哀しみを含んでいるように見える。


「私は人間と鬼のハーフだけど、人間を殺すことに躊躇はしない。それが、鬼として生きるってことだから」


そう言い残し、踵を返して扉を開けた。

外気が流れ込み、彼女の長く赤い髪を揺らしながら、静かに出ていった。


そして、室内には桃花一人だけが残される。


再びの静寂。


時計の針が、やけに大きな音で進んでいく。

桃花はその場から一歩も動けなかった。


「……私、どうすれば、いいの……?」


心臓が痛いほどに鳴る。

「逃げる」か、「戦う」か。

どちらを選んでも、もう戻れない。


頭ではわかっている。


ここで逃げたら、もう二度と鬼に立ち向かえなくなる。

でも、こんな精神状態で挑んで戦えば……負ける。


確実に殺される。


桃花の目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。


紅葉の話が頭から離れない。

もしあの話が本当なら、紅葉は被害者だ。


鬼としても人間としても、その両方の痛みを、彼女は誰よりも知っている。

同じ「人間」の血を引きながら、「鬼」として生きることを選んだ彼女。

その苦しみと覚悟を、少しだけ理解してしまった。


「……そんな過去、聞いちゃったら……。もう戦えないよ……」


実戦経験なんて、ほとんどないに等しい。

まだ心も体も追いついていない。

鬼を「殺す覚悟」など、今の桃花にはない。


そもそも、自分が死ぬ覚悟すら——

視界が滲み、涙が止まらなくなった。


「……もう、どうしたらいいか……わかんないよぉ……」


床に落ちた雫が、ぽたぽたと音を立てた。


時間だけが残酷に進む。

焦りと恐怖が絡まり合い、呼吸が苦しくなる。

孤独と絶望が桃花を押し潰そうとした。


——その時。


「……あ〜らら〜ん。泣き虫なお嬢さんだこと〜♪」


ビクリと肩を震わせ、桃花は声のした方へと振り向く。


するとそこには、生き物らしき黒い影が見えた。

低く、どこか艶のある声が響いた。


「……ケルベロス……!」


三つの頭を持つ「地獄の番犬ケルベロス」が、じっと桃花を見つめている。

いつの間に入り込んだのか、全く気配すら感じさせなかった。

そして、ケルベロスは微かに口元を緩める。


「ウフフ♪ 今度はアタシと、少〜しだけ、お話、し・ま・しょ♡」


ケルベロスは三つの頭をゆっくりと傾けて、ニヤリと笑う。

その金色の瞳の奥には、何か底知れぬ光が灯っていた。


涙で濡れた頬のまま、桃花は戸惑いの表情を浮かべる。

理解が追いつかないまま、時計の針だけが静かに進んでいた。

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