第132話 氷苑凍鶴 - ヒオンイテヅル -
ケルベロスの巨躯に乗り、難所を強引に突破して雪嵐と沙雪の住処へと到着した一行。
「着いたよ! ここがわっちたちの住んでる町『氷苑凍鶴』だよ!」
沙雪が嬉しそうに両手を広げ、その場所を紹介した。
だが、その光景は一行の想像を遥かに上回るものだった。
そこには、現実離れした幻想的な景色が果てしなく広がっていたのだ。
先程までいた街『雪籠門』とは、まるで別世界である。
至る所に透き通るような氷で作られた木々や建物が立ち並び、その合間には雪で作られた様々な形のかまくらまである。
地面にも精巧な雪だるまや、芸術品のような氷像などがあちこちに飾られていた。
道の両脇には、等間隔にいくつもの雪灯籠が置かれており、その中で灯る小さな炎は、吹雪の中でも消えることなく、辺りを優しく照らしている。
そして更に奥へと視線を向ければ、和風な雰囲気を漂わせる立派な城が見える。
雪と氷によって造られたその城は、周囲の景色と見事に調和しながらも、ひと際大きな存在感を放っていた。
氷と雪の王国。
まさに『秘境』と呼ぶにふさわしい、思わず息を呑むような場所であった。
そんな別世界を目の当たりにした四人は、あまりの絶景に言葉を失ってしまう。
ここで最初に口を開いたのは桃花。
「……す、凄い……。これは、言葉にならないね……」
その声には、驚きと感動が入り混じっていた。
「ええ、アタシも長いこと生きてるけど……こんな景色は初めて見たわ。圧巻ね」
隣にいたケルベロスも、三つの頭をそれぞれ僅かに動かしながら、目の前の景色を見つめている。
二人が感嘆する一方で、佐助とクマもまた、目の前の光景に釘付けになっていた。
やがて佐助が、静かに感想を口にする。
「確かに、これは神秘的ですね。こんな山奥に、このような場所が存在しているとは」
「これって一体誰が作ったんだべさ。絶対自然に出来たわけじゃねぇっぺよこれ」
クマが不思議そうに声を漏らした。
その疑問に、沙雪が得意げに答えていく。
「それはね! わっちの姉上が作ったんだよ! しかも全部! 凄いでしょ!」
その言葉を聞いた全員が更に驚愕する。
この広大な街を、雪嵐と沙雪の姉が “たった一人で” 作ったと言うのだから。
「これを沙雪ちゃんのお姉ちゃんが作ったの!? たった一人で!?」
「そだよ! ぜーんぶだよ!」
「……」
桃花は、また別の意味で言葉を失ってしまった。
目の前に広がる町。
氷で作られた建物も木々も、雪像も、かまくらも、そして遠くにそびえる城までも。
それら全てを、“たった一人で” 作ったというのだから、驚くなという方が無理な話である。
しかし、そんな桃花たちとは対照的に、この話をした沙雪はとても嬉しそうだった。
その表情からは、自分の姉を心から誇りに思っていることが伝わってくる。
そんな沙雪は、ふと雪嵐へと視線を向けると、笑顔で声をかけた。
「兄上! みんなをお家まで案内しよう……って、え? どうしたの兄上?」
「……………………お、おう。案内、しようぜ…………………」
返ってきた声は、あまりにも弱々しかった。
つい先程まで、あれほど暑苦しいくらい騒がしかった雪嵐が、今では信じられない程に大人しい。
明らかに様子がおかしい。
何か理由があるのだろうか。
あまりの落差を見て、心配になった桃花は雪嵐へと近寄っていく。
「だ、大丈夫ですか?……あれ? もしかして雪嵐さん……酔いました?」
「あ、ああ……。どうやら、このデカい犬のハンドル捌きに対応できず、酔ってしまったらしいぞぉぉぉ……」
力なく答えた雪嵐の言葉を聞き、桃花は改めて彼の姿を見る。
本来の姿に戻ったケルベロスの上に乗り、ここまでやって来たが、その乗り心地はお世辞にも良いとは言えなかった。
ガッタンガッタンと激しく揺れ続け、時には振り落とされそうになるほどの荒々しい走り。
どうやら雪嵐は、このゴツい見た目に反して乗り物には極端に弱かったらしい。
ただでさえ白い肌が、今は更に青ざめた顔色になっていた。
そんな彼はケルベロスの背中の上で、ぐったりと仰向けになっている。
すぐには動けそうにない状態だった。
全員が目の前の絶景に気を取られていたため、誰もこの異変に気づかなかったようだ。
ただし、佐助を除いては……。
「……」
彼女は油断していない。
これは何かの作戦ではないのか……。
そんな疑いを持った鋭い目つきで雪嵐を見つめていた。
冷静に状況を俯瞰する佐助の横で、沙雪は慌てて兄へと駆け寄る。
「兄上!? 顔色が悪いよ! 大丈夫!?」
「はっはっは……。顔色が悪いのはいつも通りのことぞ……。だが、まだ動けそうにないから、もう少し横になっていたいな……」
「ちょっと待ってて! 姉上を呼んでくるから! そしたらすぐ治るよ!」
元の姿に戻っているケルベロスの背中の上で繰り広げられる騒動。
当然、ケルベロス自身はこの場から動くわけにはいかなくなった。
「アタシの上で、何だか大変なことが起きてるようね。まだこの姿でいた方がいいかしら?」
ケルベロスがそう尋ねた……その時だった。
「……なんと情けない。その程度で音を上げるとはな。弛んでいるのではないか?」
聞きなれない女性の声が響いた。
「……え?」
一瞬、空気が止まる。
そして次の瞬間。
ケルベロスの目の前に、見知らぬ一人の女性が立っていた。
「!!!」
三つ首全てが、一斉にその女性を見る。
全く気配を感じなかったのか、ケルベロスは相当驚いた表情をしている。
「……ア、アンタ誰よ!?」
普段は強気なケルベロスが声を荒げ、狼狽えている。
尋常ではない様子に異変を感じた桃花たちも、ケルベロスの視線の先へと顔を向けた。
その女性を見た沙雪は、一転して嬉しそうな笑顔を浮かべて手を振る。
「姉上! ただいまー!」
「あ? 姉上? 沙雪ちゃんのお姉ちゃん? あの人が……?」
急な展開に、桃花はキョトンとしてしまう。
目の前にいるのは、どうやら雪嵐と沙雪の姉であるようだ。
「ようこそ『氷苑凍鶴』へ。我々はそなたらを歓迎いたします」
姿勢を正し、綺麗なお辞儀をする彼女。
その声には落ち着きがあり、凛とした響きがあった。
彼女もまた、雪嵐や沙雪と同じく、雪のように白い肌をしている。
髪の長さは腰くらいまであるが、髪色は二人とは違い、淡く輝くような銀色であった。
そして身に纏っているのは、白を基調とした美しい着物。
その見た目はひたすらに妖艶で、世の男を魅了し、全てを惑わす。
まさに絵に描いて飛び出してきたような、そんな神秘的な容姿をしていた。
その姿を目の当たりにした桃花は、思わず見入ってしまう。
沙雪が自慢する姉という言葉にも、自然と納得してしまうほどだった。
そんな中、ケルベロスの背中でぐったりとくたばっていた雪嵐が、無理矢理に上体を起こす。
「よ、よう……姉貴。わざわざ出迎えてもらって悪いな……。こいつらに沙雪が世話になったんだよ。家まで案内してくれねえか? もてなしてやりたい……」
相当参っているのだろう。
つい先程まで、暑苦しい声量で騒いでいた男とは思えない。
まだ回復には時間がかかりそうである。
姉はそんな彼の姿を一瞥すると、淡々と口を開いた。
「そうか、では案内しよう。だがその前に……雪嵐はそこから降りなさい。そちが乗っていては他の者が降りられまい。そもそも乗り物酔いを起こすなど、鍛え方が足りぬのではないか?」
「……お、おうよ。確かに姉貴のいう通りだな……。だが、さっきよりも気分が良くなってきたぞ。そろそろ動けそうだ……」
そう言うと、雪嵐はグッと一気に体を起こした。
先程までの弱々しさが嘘のように、その身体に力が戻っていく。
そしてケルベロスの背中の上から、一気に地上へと飛び降りた。
……ズシン!!!
体の大きさに比例して、体重も超重量級であろう。
着地した瞬間、一瞬だけ大地が揺れたような衝撃が辺りへと伝わる。
体制を整えた雪嵐は、両腕を高く上げ、そのままググッと身体を伸ばした。
「…………ぃいよぉぉぉぉぉっしぃぃぃっ!!! もう大丈夫だぞぉぉぉぉぉ!!! みんなにはぁぁぁぁぁ心配かけてしまったなぁぁぁぁぁ!!!」
「うっさいバカ!! アタシの耳元で大声出すんじゃないわよバカ!!」
即座にケルベロスから怒声が飛んだ。
また怒られた雪嵐。
しかし、当の本人には全く気にした様子がない。
というより、そもそも聞いているのかすら怪しい。
「おう!!? すまんなぁぁぁぁぁ!!! 次からは気をつけるぞぉぉぉぉぉ!!!」
「だからうるさーーーーーい!!! アンタそれさっきも言ったわよバカ!!! 」
またしても同じやり取り。
もはやワザとやっているのではないかと思ってしまう程である。
ケルベロスも呆れ果てたように三つの頭を下げる。
彼が降りたことに合わせ、桃花たちも一斉にケルベロスの背中から飛び降りていく。
全員が降りたことを確認したケルベロスは、魔法を使い、また黒柴の子犬姿へと変身する。
巨大な身体がみるみるうちに縮んでいき、やがてその姿は黒柴の子犬へと変わった。
それを見た雪嵐は、またしても大声で叫び出した。
「ぬおぉぉぉぉぉ!!? 首が三つあったデカい犬が小さくなっただとぉぉぉぉぉ!!? しかも首が一つになっているぅぅぅぅぅ!!! なぜだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
「うるっさ!! だからもう……!! バカなのコイツバカなのバカ!!?」
ケルベロスが叫び散らす。
何を言っても無駄なのではないか。
諦めにも似た感情が、ケルベロスの中に芽生え始めていた。
それを見た彼らの姉が、申し訳なさそうに一言声をかける。
「すまないな。こやつの大声はわらわが何度注意しても全く聞かんのだよ。後でしばき倒しておくから、それで勘弁してもらえぬか?」
「……そうしてもらえるかしら? 出来ればコイツの頭に、フルフェイスのマスクを被せてもらえると助かるわ」
ケルベロスが心底疲れた様子で答える。
「善処しよう。とりあえず、ここでの立ち話もなんである。沙雪が世話になった礼と、雪嵐が迷惑をかけた詫びをしたい。わらわたちの城へと案内する故、着いて参れ」
それを聞いた桃花が「え!?」と驚き、改めて遠くに見える城へと目を向ける。
「し、城って……? 目の前に見える、あの城ですか!?」
「そうだが……どうかしたのか?」
「あ、いいえ……。まさか、あの城へ行くことになるとは、夢にも思っていなかったので……」
目の前に見えているだけでも、その立派さは十分に伝わってくる。
その場所へ自分たちが招かれる。
この事実に、桃花はまだ実感が湧かないようだった。
すると姉は、僅かに口元を緩めた。
「ふふっ、そうか。では後ほど、最高のもてなしをしてやるとしよう。楽しみにしているがよい……。ところで、そなたよ」
「はい?」
不意に呼びかけられ、桃花は顔を上げる。
すると、その女性はまっすぐに桃花の目を見つめていた。
先程までとは少し違う、どこか探るような視線。
「そなた……わらわと昔、どこかで会ったことがあるのではないか?」
「私が……ですか? えっと……あるような……ないような?」
桃花は戸惑いながら、自分の記憶を探る。
しかし、どう思い返しても目の前の女性と会った覚えはなかった。
「……いや、申し訳ない。変なことを聞いてしまったな……忘れてくれて構わない。そういえば、そなたの今の名は何と申す?」
「あ、自己紹介が遅れました。私の名前は桃花と言います」
「いや失敬。こちらから名乗るのが筋であったな。わらわの名だが……」
そう言って、静かに微笑んだ。




