第133話 氷山の魔聖女
「……わらわの名は『氷澪』と申す。以後、お見知りおきくだされ」
「氷澪さん。こちらこそ、宜しくお願いします」
桃花と氷澪は、互いに名を名乗り、簡単な自己紹介を交わした。
その様子を見ていたケルベロスも、すかさず二人の間に入り込む。
「アタシはケルベロスよん♪ そんで、こっちのレディは猿飛 佐助♡ そしてコイツは……ただのバカなクマよ」
「おい! おめぇ! オラに対しての扱いが雑すぎっぺや! 紹介すんならもっとしっかりやれっちゃ!」
「ま、こんな感じよ〜ん♪ ヨロシクね〜ん♡」
クマの必死な主張は、当然のようにガン無視するケルベロス。
彼の言う通り、あまりにも扱いが雑すぎる。
そのやり取りを見た氷澪は「ふふっ」と優雅な笑みを浮かべた。
「元気なシロクマよのう。しかも小さい体に似合わず、激しい訛り口調のイケボときたか……。実に面白い」
クマの見た目と声を気に入ったのか、氷澪は物珍しそうに彼を眺めていた。
そして……。
「クマよ。もしそなたが良ければ、ここでわらわと一緒に暮らさぬか? 大事に可愛がってやろうぞ」
「なんだって!?」
「!」
予想外すぎる氷澪の言葉に、言われたクマはもちろん、その飼い主である佐助までもが思わず反応してしまった。
二人のその事情(クマが佐助のペット扱いされていること)を知らない氷澪は、なおも魅力的な提案を続ける。
「クマよ。何か欲しいものはあるか? わらわが何でも与えてやるぞ?」
「マジでか!? あるあるあるばい!! 最新のスマホが欲しいっちゃ! オラが使ってたやつがコイツらに破壊されちまってよ!! めっちゃ困ってたんだっぺさ!!」
「なんだ? それでよいのか? そなたは随分と安いものを欲しがるんだな。何ならPCやタブレット、最新ゲーム機なども与えてやるぞ?」
「マジマジマジで!? やっったぜぇぇぇヒャッホーーーウ!! よし決めたべ!! オラここさ住むわ!!」
スマホ。
この単語は、どうやらクマにとって、何よりも魅力的で抗い難い響きだったのだろう。
あっさりと氷澪の誘惑に心を奪われ、佐助の目の前で寝返りを決意するクマ。
しかし、それを決して許さぬ者が、彼の目の前にいる……。
「氷澪殿。あまりクマを揶揄わないでいただきたい。それに、クマの飼い主は拙者でありますので、ご冗談はほどほどに願います」
佐助は特に焦った様子もなく、いつもの冷静さを崩さずに対応していく。
だが、それを聞いた氷澪も、特に残念といった様子でもない。
「そうかそうか、これは失敬。すでに飼い主がいたのでは仕方がないのう……ではクマよ。わらわの元へ来たくなった時はいつでも来るがよい。手厚く歓迎してやろう」
半分冗談、半分本気といった感じなのだろうか。
氷澪は妖艶な笑みを浮かべ、あっさりとそのように告げた。
そして、話題の中心となっていたクマはというと……。
「……はは? オ、オラがここさ住むって話は? オラのスマホPCタブレット、ゲーム機は?」
「あるわけがないだろう。だが以前に話をした約束通り、お前にはスマホを買い与えてはやる」
「……」
当たり前のように言い放つ佐助。
あっさりと信じ込んで有頂天になっていたのもあり、その反動は計り知れない。
今日のクマは散々である。
「……では、そろそろ参ろうか。雪嵐と沙雪は先に戻って準備をしてもらえぬか。わらわはこの者たちに町を案内してから戻る故」
氷澪は、雪嵐と沙雪へそう指示を出した。
「承知したぁぁぁ!! では俺たちは先に戻り、もてなしの準備に入ろうぞぉぉぉ!!」
「うん! じゃ、みんな! また後でねー!」
二人は、騒がしくも元気に自分たちの家である城へと帰っていく。
つい先程まで緊張していた沙雪の表情も、今ではすっかり無邪気な子供へと戻っていた。
その背中を見送ると、氷澪は一行へ向き直る。
「皆の者よ、わらわに着いて参れ。短い時間ではあるが、この町を一通り案内しよう」
そう言って歩き出す氷澪。
だったが……不意に足を止め、後へと振り返った。
「その前に……そこの忍者よ。猿飛佐助と言ったか。そなた、わらわたちを相当警戒しているな」
「……」
彼女の鋭い指摘を受け、沈黙する佐助。
しかも、忍びであることまで見抜いていたようだ。
このことは全て事実であったため、佐助は否定しなかった。
「心配せんでも、そなたらを襲うことなどせんよ。その警戒を解く目的もあって、わらわ自らが町を案内するというのもあるのだからな。城へと戻る頃には、我々に危険がないことを分かってもらえるだろうて」
「……そのお心遣いには感謝する。だが、少なくとも氷澪殿。あなたの正体が未だはっきりしない以上、この警戒を解くことはありません」
「ふふっ、なるほどな……。そなたを口説き落とすのは、やはり簡単ではないのう」
氷澪は楽しげに笑う。
先程クマを誘惑したのも、佐助が関わっているからこそだったのだろうか。
この一筋縄ではいかない存在に対し、氷澪はどこか感心しているようにも見える。
「では、そなたの希望通り、わらわの正体とやらをお教えしよう。それで警戒が和らぐのであればな」
氷澪は改めて一行へと向き直る。
「簡単に言うと、わらわは『氷』という現象を司る精霊? みたいな感じの存在である」
あまりにもあっさりとした言い方。
だが、少し曖昧な表現でもあり、意味深でもあった。
「せ、精霊!? そういう存在がいるの!? 妖精とか神様みたいな!? というか、氷澪さんって妖怪じゃないんですか!?」
「随分と驚くんだな」
これを聞いた桃花は、思わず声を上げて驚いた。
いきなり予想外の存在を知らされたのだから、無理もないとも言える。
その新鮮な反応に、なぜか氷澪の方も少々驚いた表情を浮かべていた。
しかし、その話を聞いたケルベロスは冷静である。
魔獣である彼女は、特に驚いた様子はない。
「ふーん、なるほどね〜。言われてみると、確かに妖怪って感じがしないわ。もっとこう次元の違う力みたいな、そんな不思議な力をアンタから感じるわね……。アタシね、昔アンタみたいなヤツと会ったことあるから少し分かるのよ。そいつと似たような雰囲気してるわ」
「ほう、そうであったのか。そやつがどんな者であったか気になるところではあるが……それはまた後で話を聞くことにしよう。そなたのような魔族で、魔界へと通ずる地獄門を守る『地獄の番犬』に会うのも、初めてであるからな」
そう言って、氷澪は再び佐助の方へと視線を向けた。
「どうだ? わらわの正体を明かしたぞ。少しは信用してもらえたかな?」
「……精霊という出鱈目な存在を、いきなり信じろとは無理な話でしょう」
「ふふ、確かにな……そなたの言う通りかもしれん。この存在を証明すらしていないしな。信用してもらうはずが、更に不審がられてしまったか」
しかし、佐助の次の言葉は、氷澪の予想とは少し違っていた。
「だが、決して信じないとも言っていない。少なくとも、あなたに悪意がないことは分かります」
完全な信用には至らない。
それでも、佐助がほんの少しだけ警戒を緩めたことは、彼女にも伝わっていた。
この言葉を聞いた氷澪は妖艶な笑みを浮かべる。
「ならば……その固く結ばれた心の紐を、少しずつ解いていくとしよう。詳しい話はまた後でな」
そして、この町『氷苑凍鶴』を案内していくため、みんなを連れて歩み始めていく。
しばらく進むと、前方に人だかりのできた広い場所が見えてきた。
何やら賑やかに盛り上がっている。
遠くからは、音楽のような音まで聞こえてくる。
その光景を目にした一行は、思わず足を止める。
「……あれ? ひ、人がいる!? あれ人……だよね?」
「確かに、あれは人間だわ。どういうこと? この雪山に住んでる人間がいたってことかしら?」
「私てっきり、色んな種類の妖怪が住んでる場所だと思ってたよ」
桃花とケルベロスは意外そうに目を見開く。
しかも、そこにいるのは数人程度ではない。
数十人から、下手をすれば百人以上はいる。
その光景を見た佐助が、何かに気付いたようにハッとした。
そして、驚きを滲ませながら口を開く。
「あの者達……まさか……!」
氷澪が振り返り、佐助の思考を代弁するように話し出す。
「気付いたか? あの者達は全員、この “雪山で遭難した人間” である」
「……やはりか。行方不明になった人物……写真で見た顔が何人かいる」
佐助の予想は当たっていた。
“この雪山に登った者が帰ってこない”
その原因は単なる遭難だけではなく、妖怪である雪女に襲われたからだという噂まであった。
実際、山に登った者のほとんどが帰ってきていなかったのだから。
だというのに、その遭難者たちは今、無事にこの町へいる。
それと同時に、佐助の中で新たな疑問が生まれる。
「この者達は全員、あなた達が保護したのですか?」
「そうだ。この雪山はわらわ達の庭でもあるからな。遭難した者がおったらすぐに分かる。異常が出たその度に救助へ向かって保護したため、全員が無事であるぞ」
「全員が無事だと……? 一人残らず、遭難者を助けたと言うのか?」
「ああ、一人残らずだ。人死になど出てしまっては気分が悪いだろう? それに山(庭)も汚れる」
あまりにも淡々とした答えだった。
まるで、それが当然のことだと言わんばかりである。
だが、その言葉に佐助は明らかな驚きの色が顔に出てしまう。
遭難者を全員救助した。
一人も死なせていない。
それは、これまで佐助が抱いていた雪山と雪女への印象とは、あまりにもかけ離れていた。
しかし、これで疑問が解決したわけではない。
むしろ更に謎は深まるばかりであった。
「ならばなぜ、救助された遭難者達は山を降りずにこの街へ留まっているのですか? 百歩譲って、怪我をしていたのなら話は分かる。だが、あの様子を見る限り、元気百倍で体力が有り余っているようにしか見えん」
佐助の疑問はもっともだった。
普通ならば、体力が回復した時点で山を降り、自分たちの故郷へ帰るはずである。
なのに、ここにいる遭難者たちは一人残らず、この『氷苑凍鶴』へと留まり、あまつさえ宴でもしているかのように楽しんでいる。
これには何か理由があるはず。
「その理由を知りたくば、あそこにいる人間達へ直接尋ねてみるがよい」
「まさか……あの者達は自らの意思で、この場に留まっていると言いたいのですか?」
「ちなみにだが、わらわは魔術や妖術といった類の術は一切使っておらぬ故。そこはご承知おきくだされ」
「……なるほど、“百聞は一見に如かず” というわけですか」
氷澪の言葉が真実なのか。
それとも、まだ何か隠された事情があるのか。
それを確かめるには、まず自分自身の目で、この町に暮らす人間たちを見極めるしかない。
その真意を確かめるべく、目の前で賑わう人間達の輪へと足を踏み出すのだった。




