第13話 「紅葉」
——ガチャッ!
静まり返っていた営業所に、暴力的な勢いでドアが開かれた。
逆光を背負って現れたのは、三つの歪な影。
「お疲れ〜いっす」
「ただいま戻りましたよ〜」
「ヤッホー! 戻ったぜーい!」
聞き覚えのある、軽薄で騒がしい声。
そこにいたのは、つい先ほど桃花が木に吊るし上げ、無様に悶絶していたはずの、赤・青・黄の肌色をした「三バカの鬼」たちだった。
「なっ……!?」
桃花の心臓が、嫌な跳ね方をした。
あり得なかった。
あれだけ徹底的に叩きのめし、軽く全治数ヶ月は下らない傷を負わせたはずだった。
それからまだ一時間と経っていない。
だというのに、目の前の三バカ鬼たちは傷跡一つない。
まるで長めの昼休みから戻ったかのように、憎たらしいほど晴れやかな顔をしている。
「よっ、おっかないお嬢ちゃん」
「さっきはどうも〜」
「ぎゃはは! 驚いてる顔もキャワウィー! 傑作だぜ!」
三色の鬼たちが交互に放つ言葉が、嘲笑となって桃花の肌を刺す。
足元がふらつくような感覚に襲われた。
だが、追い打ちはそれだけでは終わらなかった。
「あら、あなたたち、おかえりなさい。早かったわね」
「おいっす『紅葉所長』! お疲れ様でーす!」
三バカ鬼が揃って紅葉に対し、頭を下げた。
その宛先に、桃花は耳を疑った。
(……紅葉……所長? 今、そう言った?)
その単語が脳内で反芻されるたびに、血の気が引いていくのがわかる。
(どういうこと……? 紅葉は、ただの受付嬢じゃなかったの? いや、そもそも所長は留守だったはずでは……!?)
混乱する桃花を、紅葉は潤んだ瞳で見つめ、唇を三日月のように歪めた。
「ふふっ……すっごくいい反応ね。今のあなた、最高にいい顔をしてるわよ」
「そりゃそうですよ〜。俺たち、ちゃ〜んと『仕事』したんですからね!」
桃花は、この状況を全く理解できていない。
震える声を絞り出すのが精一杯だった。
「……何を、言っているの……?」
「ふふっ、気になる? 面白くなってきたことだし……。せっかくだから、少しだけ、"ネ・タ・ば・ら・し”といきましょうか」
紅葉は指先で唇をなぞり、獲物をいたぶるような愉悦を瞳に宿す。
「ぎゃはっ! それ、もう言っちゃいます?」
不吉な予感が、冷たい蛇のように桃花の背中を這い上がった。
(何を話す気だ……。嫌な予感がする……)
「まず一つ目のネタバラシ。この子たちの怪我が、なぜ一瞬で消えたのか……。そこからお話ししましょうか」
(そうだ。あれだけの傷がこんな短時間で治るはずがない。一体どんなカラクリが……?)
桃花が息を詰めて見つめる中、紅葉は、さも愉快そうに告げた。
「ふふっ、私たち鬼はね。みんな『鬼の生命保険』に入っているのよ」
(……ん? 何だって? 今、生命保険って言った?)
あまりにも、この場にそぐわない単語を聞いた瞬間、桃花の思考が停止した。
「この保険は特別でね。どんな深手を負おうと、瀕死の淵に立たされようと、放っておくだけで肉体は即座に再生される。超絶便利で、少しだけ『お高い』保険なのよ」
紅葉の説明を聞いた三バカ鬼たちは、ここぞとばかりに、揃ってイキリ出す。
「そうそう! 俺たちがピンピンしてるのはその保険のおかげよ!!」
「傷さえ治れば、木から降りるなんて造作もないことさ」
「そもそも保険がなくても、鬼である俺たちの回復力は、お前ら人間の比じゃないがなぁ!」
(……えっと……。なんか保険とか言ってるけど、それってつまり「魔法」なのでは? もしくは「呪術」的な類とか。いくら鬼でも、あれほどの傷が一瞬で治るはずがない)
桃花は必死に理屈をこじつけた。
この世界には、魔族や鬼などの様々な種族がいる。
超常的な力が契約(保険)の形をとり、存在していても何の不思議はない。
そう考えなければ、目の前の理不尽を受け入れられなかった。
「……それじゃ、次は二つ目のネタばらしといきましょうか」
(……え、え? お、終わり!? 保険の詳細はバラさないの!? 保険の正体って、魔法か呪術ですよねっ!? ねっ!?)
そんな桃花を知ってか知らずか、全くお構いなしに、さっさと次の話へ進める紅葉。
「あなたはね、私たちの手の平の上で、コロコロ〜と転がされていたのよ。そして、あなたとのやり取りは、この子たちから私にしっかりと報告させてあったから、全部知ってたってワケ」
紅葉の声は蜜のように甘く、毒のように浸透していく。
先程の一つ目の保険の話よりも、目の色を変えて嬉々として話している。
そこへ、三バカ鬼たちが続く。
「そうそう、ここの場所と連絡先を教えたのも作戦よ!」
「所長が留守だって言ったのも、その所長が受付嬢のフリをしてたのもね」
「ぜ〜んぶ! お前をここに誘い出すためのエサだったんだよ! その受付嬢が、“クレーム率九割で最悪” っつーのも、俺がボロッカスにフラれたってこともなぁ!」
(……なるほど。どうやら私は、最初から騙されていたらしい。まんまと鬼の作戦にハマっていたというわけか)
その瞬間、認識が反転した。
桃花が乗り込んできたこの営業所は、最初から自分を誘き寄せるため閉じ込めるための「檻」だった。
まんまと罠に引っかかった滑稽な獲物。
相手を見抜く目もない、胸の奥からせり上がる情けなさと、自尊心が擦り切れるような屈辱。
桃花は唇を噛み締め、拳を震わせるしかなかった。
営業所内の鬼たちが、三バカに同調してドッと沸き立つ。
一人の少女を出し抜いた下劣で野卑な笑い声が、室内を満たしていった。
だが——
その喧騒の真ん中で、紅葉だけがフッと、その綺麗な顔から笑みが消えた。
冷徹で、何かを見定めるような無機質な視線。
先程までの愉悦が嘘のように、その場の空気が凍りついた。




