第12話 受付嬢の正体
営業所の中へ足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。
思っていた以上に、そして拍子抜けしてしまう程に広い。
営業所内は、机と椅子が規則正しく並び、通路は確保され、書類棚も整然としている。
どこをどう見ても、普通の会社のオフィスそのものだった。
壁に貼られたスローガンが、更にその違和感を際立たせる。
——「安全第一」
——「クレームゼロを目指そう!」
(……信じられない。鬼の営業所で、その標語は無理がある。人を攫い、売り、脅し、そして喰らう連中がクレームゼロ? 一体どういう目標設定だ。というか、クレーム率九割の受付嬢がいる時点で既に終わっている。そもそも、鬼の存在自体がクレーム対象でしょ……)
その滑稽さが逆に背筋を冷やした。
「異常」が、完全に「日常」として成立している場所。
桃花の視線の先に立っているのは、「紅葉」。
その紅葉は、すらりと背筋を伸ばし、こちらを見据えている。
桃花は、先ほど投げかけられた問いを、胸の奥で反芻する。
そして、迷いを断ち切るように口を開いた。
「……口に出して言う必要はないと思いますが、私はあなた達、『鬼』を退治しにきました。当然、紅葉さん……あなたもです」
はっきりと言い切る。
言葉を置いたその直後、営業所が凍りついた。
キーボードを叩く音が止まり、書類をめくる音も消える。
鬼たちの視線が一斉に桃花へと集まった。
重い。
肌に刺さるような無言の圧。
その中心で紅葉だけが、くすりと笑った。
「……ふ〜ん」
細い指で頬をなぞりながら。
まるで面白い話を聞いた時のような感じで。
「私を含め、ここにいる鬼全員を? あなたみたいな可愛らしい人間の女の子が、たった一人で?」
笑みが、わずかに深まる。
「ふふっ……それはまた、勇敢ですね〜。ま、無謀とも言いますけど」
その声音は柔らかい。
だが、そこに含まれているのは明確な優越。
——確かに、その通りだった。
たった一人で、敵陣に乗り込み、鬼全員を倒すと言っているのだから、どう考えても分が悪い。
先ほど戦ったケルベロスですら辛勝だった。
だが、ここまで来た以上、もう引き下がる事はできない。
全力で行くしかなかった。
桃花は無言で腰に刺している刀——
斬魔の太刀「鬼殺死」を即座に抜刀できるよう構え、鯉口を切る。
「ふふっ、そんな怖い顔しないでくださいよ。まずはあちらの椅子に座ったらどうですか? お茶を淹れますよ」
紅葉は腕を組み、余裕の態度を崩さない。
親切の仮面か。
時間稼ぎか。
それとも本気で仕事として対応しているのか。
桃花は、紅葉が何を考えているのか読めないでいる。
「……あなたと話す事は何もありません。というか、もうその手には乗りませんよ」
冷たく言い返す。
(……そう、何度も騙されないぞ。私だってバカじゃない……と思う)
営業所内にいる鬼全員が、桃花を見ている。
一斉にかかってくる可能性も十分に考えられる。
油断はできない。
一瞬の気の緩みが死に直結する。
「はぁ……私たちって、本当に信用されていないんですね」
その声には呆れと、わずかな苛立ちが混ざっていた。
「いいですか? 今の私たちは勤務中であり、仕事中なんです。ここで暴れられると迷惑なことくらい……わかりますよね?」
紅葉は、ため息混じりに話してくる。
周囲の鬼たちの視線も、じわりと鋭さを増していく。
(……勤務中? 人を騙して、陥れて、迷惑をかけている連中が、“仕事中なので、迷惑だから、邪魔しないで” など、どの口が言う)
「……」
桃花は無言のまま、構えを崩さない。
その沈黙が、かえって場の緊張を高めていく。
――するとその時。
その均衡を乱暴に叩き壊すように……。
ガチャ!
勢いよく扉が開き、遠慮の欠片もない足音が営業所に響き渡った。
ズカズカと踏み込んでくる気配。
そして——
ヘラヘラと緊張感ゼロの笑い声。
場違いなほど軽い空気を纏い、予想外の人物がそこに現れてきた。




