第11話 鬼の陣地
鬼商会の営業所内へ足を踏み入れた瞬間——
桃花は思わず足を止めた。
(……違う)
想像していた光景と、あまりにも違いすぎた。
そこに広がっていたのは血の匂いでも、悲鳴の残響でもない。
整然と並べられたオフィスデスク。
壁際には書類棚、天井からは白い蛍光灯。
そして、スーツに身を包んだ鬼たちが当たり前の顔で働いている。
trrrr——
「はい、鬼商会でございます。……その件ですね。でしたら、そのまま人身売買の契約で進めさせていただきますので」
「……ええ、恐喝プランBでご契約中の村ですね。今月分の“上納”は、予定通り回収いたしますのでご安心ください」
普通の営業トークに聞こえるが、内容は完全にアウトだ。
だが社員の鬼たちは真剣そのもので、誰一人として、ふざけているようには見えない。
これが彼らにとっての「日常業務」なのだと、否応なく理解させられる。
(……ほ、本当に会社だよ! なにこれ?)
異様なのは仕事の内容だけ。
空気そのものは静かに落ち着いている。
その違和感に背筋がじわりと冷えた。
そして——
受付カウンターの奥から、一人の女性が歩み寄ってくる。
「!」
その女性を見た桃花は、一瞬見惚れてしまう。
美しい。
あまりにも、整いすぎている。
すらりと伸びた背筋。
無駄のない肢体。
艶やかな黒髪に、吸い込まれそうな紅い瞳。
計算されたような笑顔と、隙のない所作。
まさに「容姿端麗」という言葉を、そのまま絵にしたかのような美女だった。
さっきの三バカ鬼が言っていた通りである。
これは男性はもちろん、女性でも納得してしまうレベル。
だが、目の前にいる彼女は妖艶で、どこか影を纏ったような雰囲気を放っていた。
完璧すぎる笑顔。
だが完璧すぎて逆に違和感があった。
まるで台本通りに、「受付嬢」という役を演じているような。
目の奥が笑っていない……桃花はそんな気がしていた。
「改めまして、鬼商会へようこそ」
彼女は深々と一礼する。
「先程、お電話を承りました『紅葉』と申します。本日は、どのようなご用件でしょうか?」
声色、表情、距離感。
接客としては非の打ちどころがない。
だが、背後にはスーツ姿の鬼たち。
外には、地獄の番犬ケルベロス。
ここはもう完全に「敵の巣窟」だった。
桃花は一瞬言葉に詰まったが、胸の奥でおじいさんとおばあさんの声が響く。
——「鬼を目の前にしたら絶対に躊躇するなよ、やられるぞ」
——「奴らは『人間』ではないの。油断だけは絶対ダメよ〜♪」
握りしめた拳に力がこもる。
紅葉は、そんな桃花の反応を見逃さなかった。
ほんの一瞬。
唇の端が、微かに歪む。
「……ふふっ、それで」
その瞬間、空気が変わった。
声は同じ。
だが温度が違う。
「あなたのような『人間様』が、一体ここに、何の御用でしょうか?」
紅葉の雰囲気が変わった。
優しい微笑みはそのまま。
しかし、そこにあったのは歓迎ではない。
値踏み。
見下し。
そして、悪意を楽しむ余裕。
人に意地悪をするのが好きで堪らない——
そんな感情が滲み出ているように感じた。
(……この状況、流石にもうお見通しか。まぁ、あれだけ外で大暴れしてればね)
外での騒動。
ケルベロスの敗北。
ここまで来て隠す意味はない。
桃花は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
逃げ場はない。
後戻りもできない。
それでも——
恐怖の奥で、覚悟だけが静かに形を持つ。
桃花は紅葉を真っ直ぐ見据え、その答えを告げるため、口を開いた——




