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天織り満天 - 交錯する世界を繋ぐ花 -  作者: 天堂 かける
第2章 桃と鬼

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第10話 ケルベロス戦

一歩、前に出た瞬間だった。


地面が——

ドンと、腹の底を打つように揺れた。


ケルベロスの前脚が叩きつけられた地面から、蜘蛛の巣状に亀裂が走る。

黒い炎が地を舐め、焦げた土の匂いが一気に広がった。


重い。

ただ重いだけではない。

その一撃には逃げ場を奪う圧があった。


——まるで、

物語が次の章へ強制的に進められる合図のように。


「……でも、ここで退くわけには!」


桃花は歯を食いしばり、身構えた。

全身の神経が研ぎ澄まされ、次の一撃を待ち受ける。


——のだが。


「……実はねぇ〜」


不意にケルベロスの右の首が、妙に気の抜けた声を出した。


「ここの勤務も、結構大変なのよ〜」

「え、え?」


何の前触れもなく、いきなり会社の内部事情を暴露し始めてきたのだ。

この状況に、桃花は思考が追いつかない。

攻撃が来ると身構えていた神経が、空振りしたまま宙に浮く。


「ねぇアンタ、最近の鬼商会、福利厚生がヤバいって話、ご存知?」

「は? いや、知りませんよ!」


反射的にツッコミを入れてしまう自分に、桃花は内心で舌打ちした。

今度は、ケルベロスの真ん中の首が当然のように話し始める。


「この会社ね、組合費って名目でね? 毎月3万も給料からボッタくるのよ。しかも何の為に取るのか、どう使うのかの説明が一切ない。これ超ウザったいでしょ?」


さらに左の首。


「社食はマッズイご飯しかないし〜。ボーナスも段ボール一杯に詰め込まれたみかんだし〜」


(……何だこれ。いきなり会社の愚痴を言ってきた!? なんで!?)


桃花は心の中で、更にツッコミを入れた。

空気が妙にズレている。


「あ、いやいや! 鬼商会の闇事情とか聞かされても!」


桃花は一瞬、気が緩んだ。


「……ふふっ」


三つの首が、同時に笑う。


「本当に素直で騙しやすい子ね。はい、隙アリ〜♪」


三つ首が一斉に咆哮した。


音が殴ってくる。

空気が震え、木々が悲鳴を上げて折れ、鼓膜が限界まで引き伸ばされる。


「ひぃぃ……! 耳が壊れるよぉ!」


桃花は両耳を押さえつつ、必死に踏ん張って耐える。


会社の愚痴は気を引いて隙を作る為の餌だ。

営業所に入る前も、このように気を引いてその隙を突いてきた。


この短時間に、まんまと二度も引っかかってしまう。

桃花とケルベロスの実戦経験の差が現れた瞬間だった。


桃花の動きが鈍ったところを、ケルベロスの爪が風を切って鋭く振り下ろされる。


「ぐぁっ、危ないっ!」


咄嗟に跳んで、ギリギリでかわす。

爪が地面を抉り、その横で爆ぜる音がした。


「へぇ〜。アンタ、案外しぶといのね。面白いわ!」


(……これは、強い! さっきの三バカ鬼の比じゃない! だけど、ここで怯むわけには!)


次の瞬間、桃花は地を蹴り、一足飛びでケルベロスとの間合いを詰める。

そして、そのままの速さで右の首筋へ狙いを定めた。


勢いよく空中回転し、全体重を乗せた左脚の鋭い蹴りが閃く。

おばあさん直伝の蹴り技「閃嵐せんらん」。


ガキィィン!

金属のような音が響き、蹴りが弾かれた。


「痛っ! なんて硬さ! 攻撃が全然通らない!」


まるで鋼鉄。毛皮の下の皮膚が異常に硬い。


「ウフッ♡ アタシ硬いでしょ! これは、避けられるかしら!」


更に三つの首が連携して襲いかかってくる。


右の首から炎。

左の首から牙。

中央の首から衝撃波が放たれる。


逃げ場を防ぐような、三方向から同時攻撃。


「ぐっ!!」


転がりながら必死に回避する。

足元の地面がえぐれ、熱風で髪が焦げそうになる。


「熱っ! このままじゃ、押し潰される……!」


息が詰まる。


「いいわアンタ! 楽しくなってきたかも〜!」


ケルベロスの声が弾む。

体が温まってきたのか、攻撃がより一層激しさを増していく。


(どう攻める? 何かないか……!)


焦りの中、ふと頭の中でおじいさんとおばあさんの声が蘇った。


——「桃花、力押しに頼ってはいかんぞ。相手をよく観察して敵の『癖』を見抜け」

——「そうそう☆ 簡単ではないけど、相手の『癖』を見つけると、戦況が変わるわよ♪」


(……相手の動き、癖……そういえば! 三つの首、同時に動く際、上手く連携が取れていない!)


よく見ると、噛みつきと炎と爪のタイミングが、微妙にズレていることに気付く。

真ん中の首の炎が収まる瞬間、桃花は姿勢を低くし、ケルベロスの下へと素早く滑り込む。


「ここ!」


左足の腱を狙った拳が、確かな手応えを伴って突き刺さる。


「あらっ!?」


その攻撃で巨体がよろめき、体勢が崩れた。


その隙に飛び上がり、左の首の鼻先に狙いを定め——

重力と体重を乗せた右拳を真下に振り落とし、思い切り殴った。


「おりゃぁぁっ!」


おばあさん直伝の打撃技「落陽らくよう」が完璧に決まる。

殴られた衝撃を受けて、左の首のケルベロスが堪らず、くしゃみをした。


「ぶべちっ!」


そのくしゃみの勢いで出てきた炎が、ブワッと自分の体毛へと燃え移る。

よく燃える毛と、炎の威力も相まって、瞬く間に自分の体へと燃え広がっていく。


この相性は最悪だ。


「いやあぁぁーーん!! アタシ、燃えてるわぁぁ!!」

「消防よ!! 誰か早くイケメン消防隊呼んできてぇぇん!!」

「あっはぁぁーーん!! 香ばしく焼けちゃうぅぅ!!」


三つの首がバラバラにやかましく叫び散らす。

地面に転げ回り、身体を叩きつけたり擦り付けたりして、なんとか炎を打ち消した。


そしてケルベロスは、ゼーハーと息を切らしながら、やがて動きを止めた。


「お、お見事よ。恐れ入ったわ……」

「アンタ、見た目によらず、結構やるじゃない」

「降参ですわ〜」


三つの首が一斉にぺこりと土下座。


「……」


桃花は、しばし呆然と立ち尽くす。


「……いや、私の一撃がきっかけとはいえ、これって自爆では?……まぁ、いいか、私が勝ったという事は変わりはない……よね」


少々呆れつつも、結果的に勝利したことにホッと胸をなで下ろした。


この勝利は、相手の「癖」を見抜いた観察力が決め手となった。

勝てたのは、おじいさんとおばあさんの教えがあったおかげだ。


その教えがなかったら、それを思い出せなかったら……おそらくここで負けていただろう。


桃花は心の中で「ありがとう」と二人に深く感謝した。

そして、その教えの通りに動けている自分に、小さな自信が芽生えたのを感じていた。


「……よし、これでようやく中に入れる」


鬼の営業所のドアノブに手をかけて回し、カチャッとドアを開ける桃花。

だがその背後で、ケルベロスの真ん中の首が小さく呟いた。


「……次のお相手は、こうは、いかないわよ〜♪」


その言葉に背筋を震わせながら、鬼の営業所の中へと足を踏み入れていく。


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