第118話 残酷な悪夢のテーゼ
「ねぇ、桃花ちゃん。アンタもしかして、あの『バカクマ』のこと心配してるの?」
歩きながら、ケルベロスが呆れたように横目で桃花を見上げた。
それに対し、桃花は少し言いづらそうに頷く。
「うん。昨日の夕食に、あまりにもタイムリーで熊鍋が出てきたから……」
「あー、あれね」
ケルベロスは納得したように息を漏らす。
「あんたもモノ好きねぇ。あのバカを心配するなんてさ。最初はアイツを熊鍋にする気満々だったのにね〜。昨日だって、夕食の熊肉をがっついてたくせにさ」
「うっ……それは、そうだけども……」
痛いところを突かれ、桃花は言葉に詰まる。
昨晩、十文字村で振る舞われた豪華な夕食。
そのメインディッシュとして目の前に出された熊鍋の中に、あの喋るクマが「お肉」として入っていたのではないか……。
なんだかんだ言いながらも、桃花はずっとそのことを気にしていたのだ。
そのクマは村を離れた後、近くの森の中にいるという位置情報を、昨晩の食事の時にケルベロスのスマホアプリが示していた。
だからこそ、この地を完全に離れる前に、最後に彼の安否を確認しておきたいと、桃花はそう思っていたのである。
「……桃花さん、ケルベロスさん。バカクマとは、一体何のことですか?」
二人の会話の文脈が見えず、佐助が不思議そうに首を傾げた。
ここでケルベロスが、その事情を佐助へと端的に説明する。
「昨日、アタシ達が十文字村に入るきっかけを作った喋る熊よ。その村にあった犯罪組織『熊坂長範』のメンバーだったヤツでもあるわ。レディは知ってるんじゃない?」
「……熊坂長範。なるほど、その熊でしたか」
佐助は静かに頷いた。
その口ぶりからして、熊坂長範については既に把握していたようだ。
忍びである彼女が、その情報を知らないはずがないだろう。
「そのクマがね。昨日の夜ご飯に、熊鍋として調理されて出てきたんじゃないかって、桃花ちゃんが心配してるってワケ。クマとは他にも色々とあったんだけど、今は割愛するわね」
「……そういうことですか。熊坂長範の件は我々も把握はしておりましたが、込み入った事情があり、踏み込めずにいた厄介な事案でした。ですが、結果として彼らを逮捕。そして組織壊滅まで一気に進み、ほとんどが解決しております。九割方は……ですが」
「九割方? まだ完全には解決してないってことかしら?」
ケルベロスが眉をひそめる。
「あ! その残り一割って……もしかしてクマさんのことですか?」
話の流れから、桃花はすぐに気付いた。
佐助が言っている未解決部分が誰を指しているのかを。
「はい。桃花さんのおっしゃる通りです。熊坂長範らがお縄についた時、メンバーの一員である熊だけがいませんでした。ですので、先程のお二人の話を聞く限り、間違いなく、その熊は未だ捕まっていないクマでしょう」
「ってことは、警察もクマさんを探してるってことですか?」
「はい。現在も警察はクマの捜索をしております。もしその熊が目撃された場合、即射殺されることになるでしょう。なにせ、相手は危険な熊ですから」
「確かに……そうですよねって射殺ぅぅ!? 捕まえるんじゃないんですか!?」
思わず桃花は素っ頓狂な叫び声を上げてしまった。
予想もしていなかった言葉だった。
それを聞いていたケルベロスは、腕を組みながら冷静に頷いている。
「レディの言う通り、ただの人間からしたら、熊は脅威で危険な生き物でしょうからね。しかも、悪事を働いていたクマなんて捕まえても仕方ないわよ。人間社会に動物を裁く法なんてないし。見つけた瞬間に駆除しちゃうのが妥当な判断よね」
物騒な内容だった。
見た目に反して、極めてドライで物騒な現実を突きつける。
「……ま、この話は、あのバカクマが、“まだ生きていれば” の話だけどね〜♪」
「そ、そうだよね。クマさんの生存を確認しないと分からないよね……うんうん」
桃花は無理やり自分へ言い聞かせ、なんとか落ち着きを取り戻そうとする。
そんな彼女を見た佐助は、静かに口を開く。
「では、その熊坂長範の残党であるクマを探しましょう。桃花さんが気になるのでしたら、今のうちに生存を確認するのは拙者も賛成です。この事案を完全解決にしておくことに越したことはありませんからね」
佐助は桃花の提案に快く賛成した。
その忍びの鶴の一声を聞いてしまったケルベロスは、もはや反対するわけにはいかなくなる。
「はぁ……もうわかったわよ。アタシしかアイツのいる場所まで案内できないしね」
ケルベロスも渋々といった様子で二人に付き合うことに。
そして自分のスマホを取り出して、クマに仕掛けた魔力の位置を確認する。
だが——
「……あれ?」
「どうしたのケルちゃん? クマさん見つかった?」
何か引っかかるようなケルベロスの不穏な反応。
桃花は違和感を感じた。
「ええ、見つかったは、見つかったんだけど……。昨日と位置が変わってないわ。森の中からほとんど動いてないの」
「位置が変わってない? どういうこと? 昨日の夜に確認した時から、軽く十二時間以上が経過してるよ? もしかして……」
桃花の表情が曇る。
胸の奥がざわついた。
クマ自身は、すでに狩られてしまったのではないかと、最悪の想像が頭をよぎってしまう。
その様子を見た佐助は、冷静に対応する。
「桃花さん。実際にその場へ行ってみないことにはわかりません。まずはケルベロスさんのスマホに表示されている場所まで行きましょう」
「は、はい……」
佐助の落ち着いた声に促され、桃花は不安ながらも頷いた。
ケルベロスも現在地とクマの位置を交互に確認している。
「じゃ、二人とも行くわよ。ここからすぐ近くだから、そう時間はかからないわ」
そう言ってケルベロスは、二人を先導して近くの森へと案内する。
しばらくして、目的の森へと入っていくのだが、そこは人が立ち入れるような場所ではなかった。
整備された道などない。
動物が何度も通ったことで、自然にできた細い獣道だけが続いている。
木々は鬱蒼と生い茂り、太陽の光も葉に遮られ、森の中は昼間にもかかわらず薄暗かった。
草木をかき分けながらしばらく進む。
すると突然、視界が開けた。
木も雑草もほとんど生えていない。
不自然なほど広い空間が、森の中にぽっかりと現れた。
三人は獣道を抜け、その広場へ足を踏み入れる。
その瞬間——
「……マジ?」
思わず、ケルベロスの口から呆れ果てた声が漏れてしまった。
その視線の先には……。
丸々とした、デカい生き物が仰向けになり、大の字になって寝転がっている。
「……zzz、おいおい、オラを使った熊鍋なんて……もう食べられないっちゃよ」
寝言を言っていた。
普通に、寝ていた。




